心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

迷いは捨てる

2007-12-21 | 書の話
                     金文【利殷】の臨書 
      


昨日は書の教室では、年内最後の書き収めでした。
来年4月にある15回記念展に向けて、早くも皆さんからも熱気を感じ

展覧会までの間は、普段のお稽古の添削はできないけれど、基本的に書は(も)
孤独で内なる自分との戦い。地味にとぼとぼと勉強するばかりなり。。。

そんな普段の手習いと違って、作品は逆にいかに自分を解放しさらけ出せるか。
繊細、素朴、緻密、優雅、大胆、鍛錬、温厚、真摯、洒脱、線妙、典雅・・・。

今の自分は何を表現したいのか、まずはそれを確認しなければ作品に自分は残せない。
その何かがモヤモヤしていては、何枚書いても答えは見つからないもの。
何の文字を「書く」かではなくて、何を表現したいのかが大事。

まずは「迷い」を捨てること
あれもこれもやってみたくもなるけれど、心静かに今、何を一番表現したいかを
自分に問うてみる。

よし、これでいこう!と決めたら、そこから悩みもがけばいいわけで。
好きな人、好きな音楽、好きなお店を見つけて出かけるように、
まずは今の自分が求める好きな書を見つけて、信じて、愛して。

写真は、何か1枚!とのリクエストで書いた金文。半切(35×138cm)
原本の、今は文字として残っていない宇宙人のような文字と目が合ったので。



     金文原本と釈文


うにゃ・・なんだか自分の作品にしたくなっちゃった。
こんな感じのどこかおとぼけ顔で不器用そうなのが好みです、わたし。

それぞれに、自分らしさが表現できるように楽しみましょう!
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もうすぐクリスマスで

2007-12-20 | つれづれ


大好きな大好きなフンデルト・ワッサーの作品「ブルー・ブルース」(1994年)
ポストカードを持っていて、この季節にいつも飾ってます。

最初に彼の作品に出会ったのは、1985年の季刊「銀花」別冊の手紙という雑誌で。
一時は日本人女性と結婚し、浮世絵をはじめ日本文化への造詣も深いらしく、
百水という雅号も持っている。 残念ながら2000年に他界。

自然をこよなく愛し、自然の法則に従って生きる者だけが過ちを犯さないという
信念を持ち、自然との調和、自然への回帰を唱え続け。
トレードマークは渦巻き。そこに生と死の永遠を思い。。

どの作品を見ても、色も線もあったかくて優しくて、どこか人や自然、生き物全てへの
深い愛情と尊厳を感じて、ずっと見ていたくなるんです。

98年、新宿での展覧会で本物をたくさんたくさん観たけど、ため息の連続でした。
色の魔術師。たくさんの色を使っているのに、全然うるさくもなく嫌味もなく。
つまりは調和しているってこと・・なのかな。


       
       木は善の花 1982                    ワッサーさん 素敵


晩年は建築にも意欲的で、ウィーンにはフンデルト・ワッサーハウスなるものがある。
一般の人のアパートとして今も使われているというところが、また素敵。
緑をたくさん植え、曲線や色を多く使っていて、楽しそう。
こんな家に私も住みたいなぁ。



    
 
      ウィーンのワッサーハウス             切手のデザインもたくさん。
                                   こんな切手で届いたら


日本では、大阪舞州ゴミ処理場(←クリックでパンフレット見れます)の建築が有名。
(見学もできるみたいです! う~ん行ってみたい
税金の無駄遣い!と問題にもなってしまったようだけど・・。

ワッサーさんの作品はギャラリーSPACEKIDSでたくさん紹介されてます。
 

追記
一日一書は、書の作品だけでなく、これからはことばを「書く」ことも含めて・・
私の書ばかりではなくて、好きな書家や作家さんの作品、気になる展覧会情報も
お伝えしていければと思っていますので、どうぞよろしくお願いします

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人生にはいくつもの幸福がある

2007-12-19 | つれづれ



昨日は忘年会でよく食べ、よく飲み、よく歌い、深夜の帰宅。
ただ今深夜2:20。眠いです。。

えっと。それで参加者は完璧理数系の7人と私の8人。

同じようにこの世に生まれても、性格も興味も、得意分野も人それぞれ。
時々、文系の私にはちんぷんかんぷんの話題もあるけれど、
なるほど~と思ったお話をひとつ。

S先生の大学院時代の先生は、仏と鬼の両面を持った方だったとか。
普段は本当に仏様のようなのに、お酒が入ると学生を叱咤する鬼になられたらしい。

その先生から言われたことは、「本は読むな」だったそう。
つまり、本を読むということは、書いてあることを理解するまでのこと。
研究とは何もない所から、問題や答えを探すことである、と。

頭でっかちではだめってことね、きっと。
何でも自分で感じて動いて、体感していくことが、大事ってこと。

それは、何も専門的な研究に限らないことであり。
ものを創る作業も、初めに答えありきではなくて、探し続けるもの。
そう、生きることもしかり・・かなって、ふと思った。

自分にいつも質問をし問題を出し(楽しく気楽にね)探し続けること、
それって生きるしあわせの元の素じゃない?って。

自分を大切にするということは、自分を使うこと。
もっともっと体や頭、心を使えば使うほど、貯金は増える。
そして銀行の貯金と違って、その貯金は使えば使うほど増えるような気がする。

昨日みたいに全く違う世界に生きる人とも話をしていくと、人のしあわせの法則は
人の数だけあるんだなぁって実感する。

つい自分の信じるしあわせだけをしあわせと思い込んで、人にも理解を求めたり
することもあったけど、きっと人生にはいくつもの幸福があるんですね~。


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気持ちはいつも旬で

2007-12-18 | つれづれ


昨日はまた12/14のブログに登場したS先生と、
なんとなく語り合うひと時がありました。

何かの答えを持ちながらも探しておられるようで。

人は自分の進もうとしている道が正しいのか、この道を行くとどこへ行くのかとか、
逃げているんじゃないかとか迷うこともありますよね。
(と言うか、迷ってばかりなのかな。)

あれこれ話しているうちに、人にはそれぞれ役割があるんだと思う、という話に。

たとえば私の書の師は、伝統的で正統な書を守り継承する役割。
私は、書を始めるきっかけとなる最初の一歩を広げる役割。
きっと、どっちも必要で、きちんと役割分担があるわけで・・・。

するとS先生も、やさしい笑顔で「そうだよね」と。

結局は自分らしく生きるしかないんですよね。。
自分が信じている道をこつこつと、「これでいいの大丈夫」と励ましながら歩く。

ああも生きたい、こうあらねば!なんて悩んでるよりも開き直って腹くくって、
「しょうがないね、これが自分なんだもん」って自分を許してあげたくなる。

年を重ねても、自分の中ではいつも旬でいたいものです。

旬と言っても、新鮮で最も味のよい出盛りの時期という方の意味ではなくて、
それぞれの、それぞれの時期にちょうどいいアンバイ(状態)ってこと。

不器用は不器用なまま、猛進したい時は猛進して、静かが良い時は心静かに。
その時の自分が求めるものに素直に正直に生きるのが、一番よかね、きっと。

背伸びせず自分を眺められるような境地に、私もなれるかな。。。











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手仕事の魅力

2007-12-17 | つれづれ
** 上左から:玄関のwelcomeコーナー 中:ステンドグラスのスタンド 右:手作りキャンドル **
** 下左から:お母様お手製ポーチ   中:はた織り機  右:タグも全て手書き **



15日は直心杯のあと、高校からの同級生で二児の母でもあり、染色家としても
活動を続けるOさんの、色とりどりの布展にお邪魔しました。

自宅をギャラリーにして。 このお宅がまた気持ちいいのです。
きっと、あちこちに手作りのものがさりげなく置かれていて、なんとなくあったかい
雰囲気が、居心地の良さを作っているのかな・・と。

玄関には手作りの看板と、クリスマスの装いの手作りwelcome メッセージが。
扉を開けると、彼女のお母様作のステンドグラスのスタンドが迎えてくれました。

   
      案内はがき            草木を集め糸を染め、紡ぎ、織ったマフラーたち
      

彼女はロハス的生活を実践していて、衣食住にも自然のものにこだわりを持ち、
手作り、手仕事を楽しみ、大事にする人。
小学校1年と5歳になったばかりの男の子二人も、自然とモノづくりを楽しんでいる様。



↑これは5歳の弟君が、お煎餅の箱を見つけて何気なく作ったという「あおい君」。
ちゃんと洋服も着せて、幼稚園も毎日一緒に行っているらしく、先生もちゃんと
「あおい君」と言って出席をとってくれるんですって。素敵な先生

手仕事の魅力は、生活を楽しむという、とても素朴で単純なしあわせを
思い出させてくれるところかなって思います。

目の前の糸や木や紙や布といった素材を、日々眺めながらどう生かそうかなと
あれこれ想像する時間。
そして手や足やからだや頭を使って、創っていく時間。
でき上がったものを、生活の中で使ったり触ったり眺めたり味わったりする時間。

その時間たちには、自分が生きてる実感と喜びがあるように思うんです。
でも現代人は、この生きている実感が曖昧で不安なところがあるっていうか。。。

つまりは簡単なことなのかも。
生きてるってことをからだで感じ有難いなぁって思うには、自分を使えばいいんだ
自分の手、足、目、耳、からだ。
それらを怠け者にしちゃうと、生きてる意味も見つけられなくなっちゃうのかも。

今回彼女は、連日の徹夜仕事でウサギの目になっていたけど、「子供達に
はた織り機を見て欲しいと思って、片付けるのは大変だったけど工房も開放したの」と。

幼稚園のお友達もたくさん来ていて、子供が子供らしく遊びまわる姿を見ていて、
改めて手仕事の魅力を感じた一日でした。

素敵欲しい~と思われた方、ここにコメント頂ければ詳細ご案内します。

今日はご紹介したい写真がいっぱいあったので、一書はお休みします
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極真空手 直心杯

2007-12-16 | つれづれ
                     直心(下も) by 沙於里




昨日は、このブログのブックマークでもご紹介している、極真会館東京城西
三和道場、三和師範主催の第6回東京都空手道選手権大会にお邪魔した。
(師範の奥様は、高校からの同級生というご縁でして・・
このブログにも登場の桑島師範も香川からいらしていた。

大会プログラムの最初のページには、
直心(じきしん)とは、物事にとらわれず、ありのままを認める素直な心、
どんな事にも対応できる謙虚な心です。(中略)大会、競技、勝負の先にある
本来の到達点、勝ち負けも敵も我も無しの境地「直心」を目指します。 とあり。

師範の空手を通して、感謝・勇気・礼節・思いやりなどの真(まごころ)への
気づき、そしてそれを育てることへの厳しくも熱い思いは、並大抵のものではなくて
いつも頭が下がるばかり。。




** 世界大会でも優勝された岡本徹師範代の演武 ** 


師範のコメントに「最近は、昇段した黒帯が電話一本で辞めていく。自分は選手や
技術者は育て上げても、人の道を行く者にできなかったと自責の念にかられる」と。
本当にそれは難しいこと。

相撲界しかり、ボクシングしかり、そして企業、政治家、官僚しかり。。
ため息がでることばかりだけど、何もかも諦めていては、未来へ申し訳ない。

溢れる情報やたくさんの生き方の中で、私は何を表現し伝えたいのだろう。。

ニュースを見ていると、事件の被害者でも必ず職業や身分を公表される。
私は何て言われるんだろう。。て思う。書家と書かれるには抵抗がある。

三和師範のことばを読んで、あ、そうだったって思った。
私にとって書は、きっかけであって目的ではないような。

書の道は(も)果て無き道のりで、私の師が命がけで取り組んだようには
到底できそうにない。
どこか諦めの境地も否めないけれど、私は・・書家であるより、
ただの一人の人として、書をきっかけに誰かと関わっていたいのかな・・と。

書を通して、自分を楽しんだり喜んだりしていくうちに、誰かとも「喜」
「信頼」「思いやり」を体感し、その輪を広げて行けたらなぁって思う。
うん、改めて今日確認。

直心杯の後、同じく高校からの共通の友人である染色家の個展に向かい、
みんな頑張ってるなぁと勇気をもらって帰ってきました。
その個展の模様はまた明日。

ほんとは昨日の続きで、社長ちゃんとのミラクル話もあったんだけど、
それはまた近々ということで。。。
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変化こそ進歩

2007-12-15 | つれづれ



大学を卒業して最初に就職した先は、小さな和紙の企画・製造会社だった。
当時はリクルート全盛、同期は皆大手を目指していたけど、就職相談室で
何となくめくっていた求人誌にあったその会社に惹かれてしまって。

会社は和紙の人形作家として著名だった女性社長と、30代位の女性の2人。
そこへ新卒4名の私達(全員女性)が就職。

とにかく毎日が刺激的でミラクルだった。

全国の和紙を集め、商品(ステーショナリー、キッチン用品、ラッピング用品、
インテリア等々)を企画し、時には自分達の手で製作し、
百貨店でのショップの他、私は飛び込みで銀座や新宿と営業し販路を探したり。

当時渋谷のS百貨店担当で、納品作業も全て自分、時には池袋の会社から
大きなダンボールを台車に載せたまま山手線に乗って、渋谷までなんてことも。
そのまま和紙ショップでの接客もし・・・。

今思うと、怖いものはなかったし、恥ずかしいと思う所が人とは違っていたのかも。
他を知らなかったこと、若かったこと、そして何より社長のどこまでも前向きで
自分の力で物事を考え、行動するという精神に、どこか惹かれていたのでしょう。

その社長がよく言っていたことば。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」そしてこの「変化こそ進歩」

社会もモノづくりも初めての私達にとって、厳しくてはちゃめちゃでパワフルで、
できないことはないと信じていた社長ちゃんは、スーパーウーマンだった。

先日も連絡を取り近況を伺うと、今はその会社はたたみ、中国商品を扱う会社を
経営しているとのこと。今は社長ちゃんと呼ばせて頂いている。
おそらく70歳近くを迎えられていると思うけれど、一人で年に何度も中国に行き
まだまだ、益々変化と進化を続けられているよう。

私の人生に、ひとつの色を与えてくれた人でもあり、愛すべき存在でもある。
その社長ちゃんとのミラクル話の続きはまた明日。。

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師走は走るなり

2007-12-14 | つれづれ
               「ともかくもあなた任せの年の暮れ」 一茶の句



この時期は毎年走り続ける生活。
普段のお勤め仕事の合間に、オール手描きのカレンダーを、
頼まれるまま、ひたすら描くなり描くなり。。

絵や書はともかく、数字を書くのは根気がいる作業。
呪文のように1・2・3・4・・と呟きながら書いているのに、
ふと魔がさして5の次が7になったり・・。


今年は更に、年賀状教室とお正月の書のイベントがあって、
年賀状もまだまだだし、そろそろ忘年会の季節。。
ふぁ。。。机の上も部屋も頭ん中も↓今こんな感じ



毎日更新のブログも、日々の生活をタイトにしているところもあるけれど、
一日一書と謳ったからには・・とお尻を叩きつつの自虐的毎日を送っております。

なんでそんな無理してまで?とか、文がかたい~とか、「・・ちゃう」って
言葉遣いはどんなもの?と外野も何かと厳しゅう(うるそう)ございますの。

ま、根が怠け者ゆえ。 これくらいしないとグウタラになってしまうゆえ。
ふぁいと~ (←カタカナよりも力ない感じ・・)

一茶の句は、強引に突き進むのではなく、自然の流れに沿って平穏に
年の瀬を迎えた心境を歌ったらしいですけど、なかなかそうもいきませぬ。。

それでもおとといやっと久々に行けました。近所の日帰り温泉。
癒し癒し。。
風邪はなかなか抜けてくれないけど、師走は走るなり~でがんばりまっす。


何をするにも健康あってのこと、みなさまも、向寒の折柄ご自愛のほど。




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今日の追記:追悼

2007-12-13 | 禅語・般若心経


今日12月13日は、親しくさせて頂いていた女性(Kさん)の3回目の命日と
ごく最近知った。 7年位ご無沙汰をしてしまっていた間の訃報だった。

亡くなったと伺ったあとでも、Kさんがよく出かけた街を車で通るとき
いないかな・・と、無意識に道行く人を目で追ってしまう。
あ・・そうだ、もうこの街を歩く姿に出会うことはないんだ・・と思うと、
命の不思議を思ってしまう。
生きている私との違いはどこにあるのかな・・と。

般若心経の一節「究竟涅槃」。
究竟は、至極の所、行きつく所に行きついたこと。
涅槃は、仏の入滅、つまり悟りの境地。
そして究竟涅槃とは、一切の迷いから脱した境地。

紀野一義氏(仏教学者)の本では、
「最高の瞑想、最高の智慧の完成に到達すること、何ものにもひっかからず、
怖れを知らず、つまらぬ夢想などせず、あらゆることがはっきりしてくること」と。

Kさんとのいろんな出来事が懐かしく、いとおしく思い出されて、
不思議と今もあの街で楽しそうに買い物をされておられる姿が
そこにあるように思えてならない。

でもやっぱり、もう一度お会いしたかった。。
合掌。
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癒しの漢詩

2007-12-13 | 漢詩
                          (‘07春 半切) 




中国、李紳の詩。禅寺の夕暮れの景観を詠んだ詩とある。

幽鳥静時侵径月 ゆうちょうしずかなるときけいをおかすのつき
野烟銷處満林風 やえんしょうするところまんりんのかぜ 
                            静雅堂「翰墨自在」より

漢文は得意ではないのだけど・・だいたいの意味は多分こんな感じかなと。
「幽」なる(=奥深い)静かできれいな「径」(=みち・場所)に鳥がやってきて、
その静寂に入り、野に烟(煙)が銷する(=広がる)所には林の風が満ちている。

翰墨自在(漢詩歌を集めた本)をめくっていて、ふぁっと情景が浮かんできて
あぁ・・いいなぁ・・ 書いてみたい!と思った詩。

書は大抵は縦書きが多いけれど、この詩は広がる静かな野の風景を、
文字でありながら絵のような表現にしたくて、横書きにしてみた。 
陳列の際、左下には陶器の壺に枯れ枝(前年の展覧会で飾っていた柳の枝)を添えて。

作品を書くときに聴いていたのは、Chaco Journey(←クリック 視聴もできます)
目を閉じるとどこまでも続く大地、命をイメージし、やさしい永遠を感じる世界に
いつ聴いても何度聴いても癒されます。
毎晩、タイマーにして寝るとよく眠れます

そして音楽だけではなく、苦手だからって諦めないでじっくり向き合うと
漢詩からも、こんな風に癒されることもあるものです
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