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心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

夏バテに効く造像

2010-08-10 | 書の話
                             (半紙)

龍門小品造像の臨書。

夏バテなのか、体が思うように動いてくれませぬ。
でもって、体の健康=心の健康ってことでして。。

そういうときは、敢えて造像のような力強いものを書いてみる。

あれこれ弱っている時は、いつぞや父に言われたような
ミミズが這ったようなものしか書けず・・だけど
そうもしてられない日常に、前へ進むきっかけをくれる書ってのもあるわけで

あ。原本はもっと凛々しく、逞しく。
でも今日はちょっとスキャンする気力ないので、また後ほど。

でもって、今日の造像にぴったりな1曲。 Sadeの  Soldier of Love

かっこいい~!

you tubeの埋め込みができないようなので、ここをクリックで曲へ

(あ、父母世代の皆さま、危なくないので大丈夫でござる  )
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本気は能動

2010-07-05 | 書の話
                            (半切1/4)

前回の書道教室で書いた甲骨文。
普段から半切の感覚を養えたら・・と、半切1/4のサイズも課題にしようかな、と

よく師が言っておられた。
半紙のお手本もらって、それを何枚書きましたなんてのは、子供でもできること。
本気で書を学びたかったら、そこから先のことを自分で探すべし、と 

半紙に四文字書いたら、今度は八文字、十二文字・・・。
文字の組み合わせを変えてまた四文字、八文字・・・。
半紙を横にしてみたり、紙の大きさを変えてみたり。
筆を変え、墨色を変え、紙質を変え・・。

その無限の舞台の上で、どれだけの書風が書けるか、
それには引き出しがたくさんなきゃだめだ、と。

引き出しを増やすには、ひたすら臨書することなり、とな 

本気は能動。
能動は衝動。

書を始めた頃の、突き動かされて書いていた感激を忘れずにいたいなぁ 

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臨書から作品へ

2010-06-29 | 書の話
                         「造加牟尼」(半紙)   
 
久々に龍門小品造像の臨書。
通信で学んでいらはる碧さんのご希望で。

原本はこちら(↓)


素朴であったかくて純な線が書きたかったのだけど・・

文面は「父母兄弟姉妹の為・・皆得解脱・・」とあるからに、
家族を思って、一字一字彫られた碑なのかな 

原本の「造」の字、なぜかハクション大魔王の口を思い出す。
こんな表情に書きたいと何度か書くも、なかなか思い通りに書けず。

それぞれを半紙で臨書したら、部分でも全部でも作品としてまとめてみたくなる。
そのうちだんだん回りの拓の部分も・・と、ロマンは広がるのであ~る。



以前、造像にはまっていた頃は、あれこれ遊んだなぁ・・と、ふと。
また、夢中になれる時間を作りたいなぁ・・

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詩から受け取ったものを

2010-06-26 | 書の話
                          (はがき倍版カード)

「林裏灌園人」りんりかんえんのひと  by王維

愛用の墨場必携、清雅堂の「翰墨自在』藤原楚水偏より。
でも明確な意味がいまいち掴めず、だけど。

ちなみに本にある注釈は・・
山中の陰士である。林裏(林の中)を樹下叉は花下に作れるもある。

蒸し暑い日が続いてますが、そんな時こそ「涼」を演出するのが日本の文化。
あ、この詩は中国のですけどね、ちょっと拝借して。

この詩から風景なり空気感・・膨らみませぬか 

漢字(詩)のすごいところは、只そこにあるだけで
人それぞれに無限の世界を想像させてくれるところ。

そして受け取った世界を、また自分なりに表現すること、
それが書することの喜びのひとつでもあるような 


この詩をイメージして選んだ今日の1曲は、
Yo-Yo Maが演奏するバッハの Cello Suite No. 1


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強さの音

2010-06-21 | 書の話
                           半切1/4の半分(部分)

某空手道場に依頼されて書いた「一心不乱」の部分。
数枚お送りして、選ばれたのは自分で思っていたものとは一番遠いものでして
あ、これは選ばれなかったものの「一心」の部分。


選ばれたのはこれ。。↓



「一」 の文字が一番、どっしりしていたので、とのことでしたが
確かに、これを含め他の「一」は、パーンって破裂音のするもので、
選ばれたのは、造像風にぐっぐっぐと横に引いて書いたもの。

そっか・・なるほど。。
空手の強さとは、破裂音じゃなくて、
気合を入れてお腹の底から吐き出す、地響きだったんだ・・。

でも「心」は、選ばれなかった方が、気合入ってると思うんだけどなぁ。。
でも一心不乱の真摯な姿には、ちょっとハッタリがかってるか・・。

またひとつ、勉強になりました。


昨日は、書展3ケ所巡り。近々レポートを。
母は今頃ばててるかも。。
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書は線なり、線は人なり

2010-06-10 | 書の話
                                (半紙1/2)

久々に山頭火の・・ 「どうしようもない私が歩いてゐる」

一昨日の絵手紙教室で、細くてやわらかい羊毛の筆で書かれた
遠藤さんの作品を参考に書いてみたなり。
あ、私は細いかための面相筆で。か細くてちょっと軽いけど・・。

遠藤さんは書道教室にもいらしていて、先日の 蘭秀会展 での作品はこの2点。
細い字でも、ぶっとい線でも、生き生きとしていて 


  
武者小路実篤の詩


甲骨文「無」


書は人なりって言うけれど、書は線なりって思う。
線は、その時その瞬間を生きている自分の鏡だって思う 

美しい楷書と言われるものの魅力も、形よりもまず線なのだと思う。
だって、形にばかり囚われていては、生きてる線は書けない。

まずは・・
激しいものは激しいままに
弱い心は弱いままに
無器用な自分は無器用なままに
迷いながら迷ったままに書けばいいんだって思う 

そこから見えてくるものを頼りに、なりたい自分、書きたい線を探すなり。

いわゆる級とか段とか、それはそれで、ある時期の励みにもなるけれど
自分をもっと知りたくなったり
もっと自分を喜びたくなったら
「自分の線」を探してみようではあ~りませぬか 

書の魅力は、線なのだから。
そして線の先に、造形は自然と生まれるものなのだから。

そう・・つまり、書は線なり、線は人なり、とな 

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その瞬間を想像するだけで

2010-06-01 | 書の話
                             「寅」 (部分)


書を始めた頃、「前衛書」なるものがあるなぞ知らなかった。
たまたま、広い書の世界で巡り会えた師が、前衛書を追求される方だったわけで。

今や前衛書は、ひとつのジャンルになってしまった感が否めないけれど
当時は、多種多様な用具・用材、表現の可能性にドキドキして。

たとえば書くものは、筆に限らずなんでもござれと実験的にあれこれと。
たとえば、スポンジ、雑巾、ダンボール、ブラシ、刷毛・・とか。
用材も墨のほかに、ネオカラー、墨にボンドや牛乳、卵白を混ぜたり・・。

ちなみに、今日の写真は硬い毛のブラシで書いたもの。
ダンボールよりは多少弾力があるから立体感は出るけれど、線に深みは出ない。
けれど、気・骨・剛・激・幽・貫といったものは感じるような 

ところで。
毎日同じものを食べていたら、飽きてしまうというか、感激も薄れていくような

日々生きているということは、穏やかな日もあれば、
怒りをぶつけ、悲しみを吐き出す日もあり。

時に、なるべくなら怒りを抱かず、淡々と生きられたらと思うけれど、
たまには感情をコントロールせずに、表現という場にぶつけてみるものいいものだ。

前衛などという概念に囚われず、内から沸いてくるものをそのまま搾り出せたら。
その瞬間を想像するだけで、鼓動が高まるってものだ 

いつか・・その快感を味わいたいものよのぉ 

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今、探しているもの

2010-04-25 | 書の話
                                「鳳」部分


昨日はお昼からずっと・・墨磨り機の回る音を聞きながら、作品づくり。

書きたいもののイメージはあったものの、思い通りのものが出てこない。
あっという間に磨った墨はなくなり、冷蔵庫にストックしてある墨も使い果たし。

自分らしい書って何なんだろう・・と自問自答。

今書きたいものは・・
屈託のないもの、大らかで力強いもの、けれど力の抜けたもの。
たぶん今の自分が探しているもの。

まだまだこれから、今日も探す作業は続くなり。
今お気に入りの曲を聴きながら → Nujabes -Luv(sin)pt.3 feat Shing02



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金文を書いてみる

2010-03-30 | 書の話
                           金文 (半切)

蘭秀会展作品の参考に書いてみたもの。
題材は同じで、細いのと太いの。 原本はこれ(↓)
(二玄社 中国法書選1 甲骨・金文p34)



ちなみに今はない文字もあるのだけど
右上から乃孫作且己宗 寶黹●●・・ 
ちゃんと調べればいいんだけど、金文のちゃんとした辞書を持ってなくて。

『字通』をはじめ、白川静の辞典をいつか手に入れたいと思いつも、
どれもなかなか高価なものでしてねぇ。。

そんな折、伯母から書を学んでいるなら何かの役に立つかしらと、1冊の本が届き。
亡くなった義叔父が大事にしていたという『読画四千年~支那象形文字の美』。




昭和34年初版当時580円というから、かなり高価な本だったような。
文字の成り立ちについて、著者の菊池貞二氏の定義はなかなか興味深く。

機会があれば、ちょっとづつご紹介できればと思っちょります。


辞書の情報は→ こちらから



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私のうしろに道はできるのか・・

2010-02-21 | 書の話
                            (半紙)

いばったって駄目だ。
見る人が見れば見え透いてしまう。
飾ったって駄目だ。
嘘をついても駄目だ。
無心にその人の力量だけ出していればよい。
そういう素直な心が出るだけで書はたのしいのだ。

洋画家であり水墨画、書、陶芸、随筆など多彩な作品を残した中川一政氏のことば。

彼の書展を初めて観た瞬間に、書を学びたいと思い、
更にこのことばは、私にとって書への夢や希望を抱くには十分なものだった。

書は、ただ文字を並べて意味のわからない漢詩を書くだけじゃない。
この線が、この空間が・・と講釈を並べて、理屈を競うだけのものじゃない、と。

もっともっと。
まだまだまだ。
何をしても中途半端な自分に、気力も自信も見失う日も多々..

何が余計で、何が足りないのか
たぶんもっともっと自分自身を曝してえぐらなければ
書の、人生の、本当の楽しさには到達できないのでありんすかねぇ 


僕の前に道はない 
僕のうしろに道はできる  (高村光太郎)


*中川一政氏の作品はこちらから→真鶴町立中川一政美術館
左のブックマークにもリンクはってます。

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