心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

扁額の空間

2010-08-25 | 漢詩
                              (半紙1/2)


夏雲多奇峯

夏の雲はもくもくと峯をなしているようじゃのぉ って感じかな。

扁額(横作品)は難しいって言われるけれど、私は横もの、結構好き。

書ではたいてい右から左へと書くわけで。
それはたぶん落款(印)は左に押すというのが通例だからなのか?

日本語(書も)は、もともとは縦書きの文化であるのに
英語が入ってきてから横書きにもするようになったのかな。
英語とか外国語の多くは左から右だものね。


横書きでも、ノートとかペン書きの時はもちろん左から右なのに
筆になるとなぜか左から右への字配りができない・・。
不思議だ。。

何度か左から右へと書いてみようとやってみるも、
どうも空間が読めない・・。
まったくもって不思議だ。。

皆さまはどないですかえ?
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荷香十里

2010-08-24 | 漢詩
                              (半紙)

荷香十里 かこうじゅうり

お茶のことばだったような。。
確か・・いい香りが遠く十里先まで運ばれてくる、って意味。

なんだか最近、そんな環境も時間も感覚も気づかずに
日々慌ただしく過ごしているような。

ちょっと休憩したいなぁなぞと、ぼんやりと。
ちゃんと勉強がしたいなぁ・・

ただただ臨書を繰り返す時間は、
心の安定と、ほんの少しの自信を運んでくれるような 

そんなことを思いながら・・の、荷香十里。




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覚悟して生きる

2010-06-16 | 漢詩
                        (はがき倍版カード)

「居處幽」 きょしょゆうなり

世を避けて求むる処なく幽雅な暮らしをしている人のこと。 
 *参考:『翰墨自在』藤原楚水編 清雅堂

古き中国にしても、日本にしても、そんな暮らしに憧れたのかな。。
いや、私だって実はちょっと憧れる 

最近ね・・物忘れは増える、新しいことはなかなか頭に入らないとか
もとより噂話や流行には疎く、テレビもあまり見ず・・なんてだんだんと 
 
どこか静かな処で、ゆったり暮らしたいなぁ・・なんて、つくづくと 


ま、本当にやりたいことだけがしたい、それは誰もが思うことでして 

前に小田原の すどう美術館 にお邪魔した折、
館長の須藤さんのお話をふと思い出すなり。

そう、大事なことは「覚悟」して生きるということ。
自分がどんな生き方をしたいか、何を一番大事にしたいか・・を覚悟すること。

まだまだ覚悟が足りないなぁ・・と、改めて 

早くも寅年も半年が過ぎたけど、今年はちょっとだけ一歩を踏み出せたような。
残り半年、なりたい自分に近づくことができるよう、日々を大事に生きたいものであ~る。


今日はある意味「居處幽」な、猫さんで和んでね 


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文字と文字の響き合いから

2010-04-21 | 漢詩
                           (半紙1/2)

春遂鳥声開 ~唐太宗の句
春は鳥声を追って開く、の意。

先日の絵手紙教室でのお題のひとつ。
そう、絵手紙なのにこんな書の作品もお題に。


(↑)中野さんの作品(半紙1/2)

中野さんが書いてこられた作品を参考に。中野さん、独特の書体、書風お持ちで。
何枚も書かれるそうだけど、いつも見たこともなような書体でみんなでびっくり
なのに、これでひとつのフォントができるのでは?と思うくらい、統一感があり。

私のはというと・・普通?になっちゃうけど・・
文字の大きさ、墨量、縦と横、求心性と開放性、余白を見ながら書いてみたなり。

つい、紙一杯に文字や絵を書いてしまいがちだけど、
文字と文字、余白の白を引き立てるには、それぞれが頑張っちゃだめというか。。

広がりのある「春」、きゅっとウエストを締めた「遂」
それに背中合わせの表情の「鳥」響き渡る声はタクトを振るように
「開」は墨量を多めに強い線でもって全体を締めるように・・ って感じに書いてみた。

隣同士の文字が自己主張し過ぎず「響き合う」が大事でして。
結果、それぞれがよい音を響かせることにもなるような。

そう、人と人の関係もまた似たりなり~。
よき関係とは、それぞれの個性を認め合うことなのかもしれませんねぇ 

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楽しい!があることのしあわせ

2010-04-07 | 漢詩
                               19cm×13cm

10年位前に書いたのが出てきて。
有名な杜甫の詩、江碧鳥愈白 山青花欲燃 ・・のはずなのに
れれ・・よく見たら最後の「燃」が「然」ってなってるうう・・
・・ってんで、ちょっと小細工したけど、バレバレでありんす

なんだか字もにょろにょろだ・なんて思いながらも、
先週末から展示会の準備が楽しくて、あれこれ脱線しちゃって
ブログ用作品のネタ切れ ・・ってことで、図々しく載せてしもた。

小品を数点、裏打ちして額に貼り込んでいたんだけど、
額と作品との響き合いを見ながら、背景の色を選んだり
ここしばらく、こんな楽しい作業忘れていたなぁ・・と夢中になり。

私、どうも夢中になるとご飯を食べることを忘れるらしく。
深夜、めまいがして、なんでだ?って思うと、あ・・って 
いかんいかんねぇ。。

昨日、その作品たちを加賀に送ったので、まずはひと息。

何事も・・楽しい! これが何よりでありんす。
楽しい!があることはしあわせなり~
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漢詩から感じる景色

2010-03-27 | 漢詩
                           (はがき)

野鶯啼破春  野の鶯が啼いて春を破る
鶯が春の訪れを告げて啼くの意。

春の訪れを告げることを「春を破る」と表現するわけで。
漢詩の美しさは、漢字を知っていることで味わえるのだなぁと、ありがたく 

漢字は、そこにいるだけで、それぞれ意味や印象というものがあり、
それを組合わせることで、さらに想像力や世界も広がるものでして 

さて。 皆さまは、たった五つの文字を組合わせたこの詩から、
どんな景色、どんな音、どんな色、どんな匂い、どんな温度・・を
思い浮かべますかえ? 


今日は母の誕生日。
白い花が好きな母に、近所で嬉しそうに咲いていた白い花をこの場を借りてお届け。
水仙と、雪柳、そして我が家のベランダのリメリアとハナカンザシ。
Happy Birthday  はは~   








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国破山河在

2010-03-24 | 漢詩
                              (はがき)

かの有名な杜甫の詩「春望」の最初の五句。
國破れて山河あり。

城春草木深 感時花濺涙 恨別鳥驚心 烽火連三月 
家書低萬金 白頭掻更短 渾欲不勝簪 と続く。

これなんて書いてあるの? と先日Kちゃんに聞かれて。
書を習っていない人にしたら、読めないよ・・と。
だって普通学校では、行書なんて教えてくれないもの・・と。

れれ?そうかなぁ。。
ふむ。・・そうだけど。 そうなんだ・・となり。。

よく私の師はこんなお話をされておられて。

書家は文化や教育のレベルを落としてはいけないのだ。
一般の人が読めないからと言って、読める文字を書いてばかりいたら
書の歴史は終わってしまう。

読めないなら勉強すればいいのであって、
読めないからだめだというのでは、文化を捨てるに等しい・・と。

かくいう私も行書や草書・・その学ぶべきことの多さに愕然とするばかりだけど
少なくとも書を学ぶ者の一人としては、読めないことを恥かしいと思うような
気持ちだけは忘れずにいたいな・・と。。

それにしても、書の道も果て無き道よのぉ。。。
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獨坐大雄峯と書くには

2010-02-24 | 漢詩
                            (大判はがき)

獨坐大雄峰 (どくざだいゆうほう)
大雄峯に向かい一人座禅す。

書では割とよく書かれる文言。碧眼録より。

羊毛でじっくり粘って書いたつもりだけど、
ことばの意味合いからすると、伸びやかさも足りない。。

やっぱりこのことばは、せめて半切位の大きさに
で~んと広がる中国の山並みのようなスケールで表現せねば。。

イメージはこんな感じ(↓中国・黄山)



あれは・・もう20年近く前、私の師が団長を務められた書の団体での
中国ツアーに母と一緒に参加して、この断崖絶壁のような 黄山 にも登った。

途中、誰が運んで作ったのかと信じられないような長く傾斜のある石段が続き、
年配者は途中から、強力(ごうりき)と呼ばれる青年二人が背負う
時代劇に出てくるような籠に揺られたり、おぶってもらって登る人もいたり。

運悪く頂上に着く手前で、雨は降り出すし寒いし、霧で何も見えなくなるし。
それでも、この写真のような景色の感動と、登りきった達成感もあって
辛かったという印象は残っていなくて 

黄山には仙人が住むと言われているそうだけど、
訪れる人たちを、仙人がどこかで見守っていてくれるのでせう。

う~ん。久々に黄山の景色を見ていたら、イメージ沸いてきた。
Kさん、そういえば蘭秀会展にこのことば選ばれたような 

「獨坐大雄峯」を書くには、まずはこんな景色を眺めて、感じるなり~。
でもって、私も次回はもっと堂々と悠々と雄々と・・書いてみたいでありんす 

黄山の景色はこちらのブログで拝見できます→中国ぶらぶらある記
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雪を掃いて茶を烹(に)れば

2010-02-01 | 漢詩
                             「掃雪烹茶」 (はがき)

臨風弄笛      風に臨みて笛を弄べば
欄干上桂影一輪  欄干上に桂影一輪あり
掃雪烹茶      雪を掃いて茶を烹(に)れば
籬落邊梅花數點  籬落辺に梅花数点あり

の一節。
静かな雪景色と、漂うお茶の湯気、梅の花の姿と香りを思わせる
この詩に流れるゆったりとした時間に、しばし心を預けてみるなり 


今の時代は、温暖化の影響もあってか、季節感が薄れているというか。
そして季節の行事も、だんだん忘れられていく存在のような。

企業が力を入れる行事は、なんとか続いているものもあるけどね。
たとえばバレンタイン、クリスマス、ハロウィンとか。
あれ?どれも外国の文化であるような・・

季節の移ろい、風の動き、木々の芽吹きに気づくこともなく
情報過多の中にいて、全てを知っているような錯覚に囚われていることに
気づかずにいないだろうか、なぞとふと 

願わくば、もう少し日本の文化を大事にできたらと、この詩を読んで。

今年は、忙しがっておざなりにしているひとつひとつの行事を
私なりに大事にできたらなと思っているでありんす 

今日の詩にちなんで、2月28日まで開催中の小田原梅まつり(曽我梅林)のご案内。
家からは割と近いのに行ったことがないので、今年は出かけてみようかなと。

詳細はこちらからどうぞ→ 小田原梅まつり
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思いと作品は・・

2010-01-29 | 漢詩
                         王維の詩(24cm×30cm)

結實紅且緑 実を結んで紅(こう)にして且つ(かつ)緑(りょく)
復如花更開 復(また)花の更に開くが如し
山中儻留客 山中儻し(もし)客(かく)を留めれば(とどめれば) 
置此芙蓉杯 此の芙蓉の杯を置かん

紅と緑とりどりに実を結んで、また花が咲いたようだ。
この山中にもしお客をお留めするなら、
さしずめこの芙蓉の花の杯を出さねばなるまい。


殿村藍田(とのむららんでん)という書家をご存じでせうか。
独自の境地のかな作品をはじめ、墨絵とともにかなのような連綿の漢詩を書かれた
叙情的な作品も印象深く 

今までは、あまり作品を拝見する機会もなかったのだけれど。
自由の身?となった今は不思議なもので、いいなぁと思える作家さんが増えて
そのお一人が、殿村藍田氏。

一点一画書かれた呼吸を辿りながら見ていると、雄大な景色が浮かんでくるような。
綿密で繊細でもありながら、大陸的な詩の心情、情景を感じさせるというか。

なにがそんな風に感じさせるのか・・・
今の私ではまだ説明ができそうにないけれど、以前はそんな風に感じることも、
作品に向き合うことすらしてこなかったなぁ・・と 

素直な気持ちで殿村氏の作品集を拝見していたら、私も書いてみたくなって。

でも。ただ文字を並べればいいってものではないわけでして・・
はぁ・・書の道も、果てなき旅よのぉ・・・
昨日は父に、ブログで偉そうに言ってる割に作品がなぁ・・とか言われ・・
は・・はい。。 おそれいりやのきしもじん。。

思いと作品は比例とは・・なかなかいかないものでありんす
しょうじんしょうじん。。

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