<岡目八目。何故、「国民は、生まれながらにして基本的『人権』を持つ…。」ことができるのでしょうか??>
K:「世論(せろん・通説)の反対が、ほとんど正しい。」と言われますが、「世論を捏造(?)することなど、いとも簡単…(朝日新聞:筑紫哲也)。」と豪語しているように、(反日・親米中の)マスコミ、TVのコメンテーターに誘導されての『世論』については、「ほうそうか。 果たしてそうか?」というスタンスが必要かもしれませんね…。
そうした中で「憲法とは、『国民』の権利を保障し、政府の暴走にストップをかけるものである…。」などという『珍説』(通説)がまかり通る世の中というのは、右を向いても左を見ても、今の日本はそれこそ「馬鹿と阿呆。」の絡み合いの相を示していると書いてある雑誌がありましたよ…。
M:う~む。 大東亜戦争の敗北と占領によって、日本は「アメリカの原理主義。」(1極支配主義・グローバリゼーション)の実験場となっていますね…。 日本国憲法がその最たるものであることはいうまでもないが、米国の『従属』を脱しての日本を「取り戻す。」には、憲法の改正は当然のことでありますね…。
小泉内閣により構造改革が進行されたが、「泣きっ面に蜂。」のTPPによって、ニッポンは丸裸にされ、国内の産業は勿論のこと、この国のかたち(コンスチチュ―ション)そのものが『崩壊』の危機にさらされることになりましょうね…。
K:そうですかあ…。 だが、米国の要求でひたすら改革を進め、TPPによって幕末の不平等条約よろしく「関税自主権。」を『放棄』し、この国の歴史・伝統・文化を自ら破壊してしまえば、何のための自主憲法の設定なのでしょうねえ?
『国柄』を喪失してしまえば、憲法などただの成文ならぬ言葉の羅列にすぎないといえますねえ?
M:かって吉田茂は敗戦からの復興として、経済優先の政策を選択しましたね。 講和独立以後も米軍は日本に駐留し、冷戦体制に「甘んじ。」て、「米製憲法。」に手をつけることもなく半世紀以上過ぎたのですね…。
新自由主義と構造改革は、この国の経済・社会・文化を次々に食い破っていくでしょうね…。 「守るべきもの。」は何か?、それはいうまでもなく『日本』なのだと思いますよ…。
K:先日も池上彰氏が2時間番組で、「憲法問題。」を取り上げていましたが、憲法というのは、「国家の根本規範。」でありますが、その前文で、「国民『主権』・市民と国権制限。」を述べており、「国民は、生まれながらにして基本的『人権』を持つ…。」とのことのようでありました。
ところで、『国家』とは、「国民とその政府。」でありますが、『国民』とは、「国家への忠誠との引き換えで、国家から『保護』してもらう権利を有する人。」ということが原義でありましょう。
さらに、『主権』というのは、「『至高』の権力あるいは、最高度に『優越』せる権力。」ということでありましょうが、そのような「崇高な力。」をどうして、生まれながらに有することができるのか?というようなことが分からないのですよ…。
M:ふ~む。 そういう面倒くさいことはあまり考えていないのですよ。 今まで、憲法についてなど話す機会がありませんでしたが、少しずつ考えてみることにしましょうか…。
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