日本語の発達した要因は3つあり、1つは中国文化から遠かったこと、2つは江戸時代からの資本主義の発達、3つは西洋列強の植民地にならなかったことです。
そこで、明治政府は、独立国である以上、行政も何もかも日本語でやるべきだということになりました。 ただ、明治維新までは、公文書はすべて漢語でした。
つまり、私たちが使っている日本語はまだ存在しておらず、本当に日本語だけでやれるかの不安は大きかったそうです。
それでも、西洋のシステムを導入するに従い、翻訳文化が盛んになり、日本語がどんどん近代的な社会で機能する言語、すなわち『国語』へと成長していきました。
大学の授業を日本語でできたことも重要でした。 植民地では絶対許されないですから。
日本語は、こうして日本人の預かり知らない条件によって発達したのです。
日本は、数多くの傑作を含め、世界でもまれに見る豊かな文学と歴史をもつ国語があるのに自分が「恵まれて。」いることを知らず、国語を大切にしようとする問題意識がありません。
脳医学から見ると、英語と日本語では脳の動く場所が違うといいます。
霊長類の個体認識や中間子理論の発見などは、西洋的な思考では出てこないといわれています。
これが、日本語の持つ競争力であり、思考する際に戻っていく言葉としての日本語の習得に『最大』の重きを置くべきだと思うのです。
そこで、明治政府は、独立国である以上、行政も何もかも日本語でやるべきだということになりました。 ただ、明治維新までは、公文書はすべて漢語でした。
つまり、私たちが使っている日本語はまだ存在しておらず、本当に日本語だけでやれるかの不安は大きかったそうです。
それでも、西洋のシステムを導入するに従い、翻訳文化が盛んになり、日本語がどんどん近代的な社会で機能する言語、すなわち『国語』へと成長していきました。
大学の授業を日本語でできたことも重要でした。 植民地では絶対許されないですから。
日本語は、こうして日本人の預かり知らない条件によって発達したのです。
日本は、数多くの傑作を含め、世界でもまれに見る豊かな文学と歴史をもつ国語があるのに自分が「恵まれて。」いることを知らず、国語を大切にしようとする問題意識がありません。
脳医学から見ると、英語と日本語では脳の動く場所が違うといいます。
霊長類の個体認識や中間子理論の発見などは、西洋的な思考では出てこないといわれています。
これが、日本語の持つ競争力であり、思考する際に戻っていく言葉としての日本語の習得に『最大』の重きを置くべきだと思うのです。
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