脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

続けたいこと

2022-06-18 13:50:48 | 日記 2
新しい仕事にも大分慣れて
自分なりに予測を立てて
計画的に仕事ができることも増えてきた。
それでも
まだまだ年間の仕事の予測は難しくて
次々と仕事が「湧いてくる」こともある。

朝7時半に家を出て
帰宅が6時半ぐらい。
さすがにへとへとになる。

でも、週3日の勤務なので
地元のボランティア活動など
やりたいことへの時間も確保できているのはありがたい。

思えば夫がいなくなってから
ありがたいことに、いつもうまく仕事に誘われてきた。
そのたび、
夫が元気だったころから続けている活動を続けたいことを話して
非常勤の勤務を選んできた。
金銭的には苦しいけれど
「なんとか暮らしていければいい」と考えるのは
夫も同じ考え方だったから。
決して裕福ではないけれど
なんとか暮らしていけるだけの収入があれば
それでよかった。

今年は夫の父の50回忌。
夫は19歳で父親を失くし
以来、祖母と母を扶養してきた。
今のような遺族年金がなかったのか
それとも若かった夫が無知だったのか
母は年金をもらっていなかった。
運転免許も持たない母は勤めに出ることをあきらめ
僅かばかりの畑や田んぼの仕事をして
日々の糧を得ていた。
その母も
わたし達が結婚して数年後に癌を発症し
60歳になって年金をもらうことを楽しみにしていたのに
それを待たずに他界した。

そんな母を思えば
今の自分はずいぶん活発な日々を送っている、と思う。
夫が住みやすく改修してくれた家で
夫の遺してくれた年金をいただいて
自分がやりたいことができていることに
心から感謝している。

自分の半身を奪われたこころもとなさも
さみしさも
なにより、当時の夫の残酷な病状に
うまく対応しきれなかった自分への憤りも
後悔も懺悔も
なにひとつ変わってはいないけれど
それでも
生きている限りは
日々を大切に生きなければ
夫に申し訳ないと思っている。
だから
夫が大切に思ってくれていた
ボランティア活動や親の会の活動などを
これからも大切に続けて行きたいと思っている。

忙しい日々

2022-04-21 19:25:26 | 日記 2
新しい職場に入り、2か月余りが過ぎた。
思いがけないことが続き
当初、週1~2回の約束だった出勤が
週3回になり
片道、高速も含め1時間15分の通勤にとても疲れている。

それでも
仕事自体は
とても面白くて
やりがいもあり
時間が足りなくて
在宅勤務もあったりして
毎日、仕事に追われている。

娘のペースだけは乱したくないので
どんなに忙しくても
週末だけは
娘のためだけに
時間を使っている。

一番苦しい季節をなんとかやりすごし
今年も新緑の季節となった

眠れない日の方が多いのだけれど
それでも
運転中は
夫に話しかけながら
なんとか
通勤している

ねえ
よくがんばってるね、って
ほめてくれる?


変化 2

2022-01-31 10:26:10 | 日記 2
いつからかはわからないが
夫の闘病中から
味覚がおかしくなっていた
気付いたのはずいぶんたってからで
原因も治療法もわからないまま

ビールは苦いだけになり
甘さもあまり感じなくなって
苦手だった甘いお菓子が食べられるようになった
微妙な味わいは感じられなくなり
ダシのおいしさもわからなくなった
コーヒーも苦いだけになり
ミルクをたっぷり入れないと飲めなくなった
匂いもあまり感じなくなって
おいしいという感覚がなくなった
ただもっちりしたパンの感触や
パリッと焼けたパンの皮の感触などだけが
おいしいと感じられるものになった

そんな生活がずっと続いているのだが
先日、高級な紅茶をいただき
ふと、すっかり忘れていたことを思い出した

「私、ミルクテイーが好きだった!」と。
ふいにそのことを思い出した。
そういえば
夫が発病してからは
ゆっくり紅茶を味わう時間など無くて
インスタントコーヒーばかりだった。
どうして思い出さなかったのだろう。
何度か紅茶をいただいたこともあったけれど
なぜか自分は紅茶は飲まない、と思いこんでいて
すべてだれかに差し上げてしまっていた。
記憶の片隅にもなかったのだ。
今回、紅茶をいただいたときもまだ思い出せなかった。
何日かがすぎ、
「この紅茶はどうしようか?」
「おいしそうだけど、だれにもっていこうか?」
などと思っているとき、
突然に思い出した。
「私、ミルクテイーが好きだった気がする・・・」と。
おそるおそる淹れてみた。
ミルクたっぷり。
忘れていた味だった。
でも、なつかしい味だった。


思い出せないことは今もたくさんある。
夫が元気だったころ作っていた料理を思い出したいと思うときもあるけれど
心が蓋をしているならしかたないのだろう。
夫がいなくなったことも
たくさんの思い出を失ったことも
すべてを事実として受け入れていくしかないのだろう、と思う。

若いころ
人生は登り坂でとても苦しかったけれど
登っているときは
その先の事しか考えていなかったように思う
足下の小さな花や
ごろごろした石などをいとおしむ余裕はなかった
いまは下り坂で
足もとを見ないと転んでしまうから
一歩一歩確かめながら歩いている気がする
頂上に置いてきた余分な荷物やたくさんの思い出にかわり
今は飲み残しのお茶や残り物のおやつなどと
わずかな大切なものだけをもって歩いている
空を見上げることは少なくなって
足もとの小さなものだけを見つめて歩いている気がする
そして、それが今の自分にはとてもふさわしいことに思えている。




変化

2022-01-28 19:50:14 | 日記 2
退職して自分の中に大きな変化があったと感じている。

1つは眠れるようになったこと。
夫が発病してからほとんど眠れない日が続いた。
3時間眠ればいい方で
ほとんど一睡もできない日も多かった。
それでも
翌日は仕事に行かねばならず
「人間ってこんなに眠らなくても生きていられるんだ」と
自分でも不思議だったりあきれたり・・・・
それが、退職してから
この12年間分を眠るのかと思うほど良く眠る
明け方目が覚めても
布団に入るとまた眠り
目が覚めるのは
7時の広報無線のチャイム。
今は合計8時間~9時間眠っている。
仕事中はそれだけ気持ちが張り詰めていたということなのか?
でも
こんな調子では
2月後半からの勤務が不安になる。
車で1時間半近くかかるので
朝7時半には家を出なくてはならない。
それにはお弁当作り、猫と犬の世話などを考えると
朝5時半には起きないと間に合わないと思うのに
大丈夫だろうか?
夫が元気だったころは
毎朝5時おきでお弁当を作っていたけれど
そのころのリズムをとりもどすことはできるのだろうか?
心配しても仕方ないので
体のリズムにまかせている。

2つめの変化。
やっと長編小説を読了できた。
夫が元気だったころ
夜、寝つきの悪い私は
布団の中でいつまでも本を読んでいた。
隣りで眠る夫を起こさないように
電気スタンドの光が夫の目に入らないように調節して
時には一晩で一冊読了することも珍しくなかった
夫が発病して
忙しい日々が続き
活字を見ても
少しも頭に入らない日々が続いた
夫がいなくなって
何度か本を借りてはみたが
活字の意味を理解することができず
もう自分には
本を読む楽しみは味わえないのだ、と思っていた。
先日、久しぶりに図書館に行き
以前好きだった作者の小説を借りて来た
乳がんで入院したときには
この作者の小説を紙袋いっぱい持って入院し
あっという間に読了したものだった
(当時は電子書籍はなかった)
たぶん読めないだろうと思っていたが
予想外に集中して
2日間で読了できた。
これも嬉しい変化だ。

今年の夏がくると
夫がいなくなって11年になる。
今年の春は
夫が発病して12年目になる。
こんなに長い時間を私一人で生きて来たなんて
とても信じられない。
それほど
この年月は
無我夢中の日々だった。
自分とは関係ないところで
年月だけが過ぎ去ったような感覚。
自分は
何もしていない、という感覚。
それでも
夫の思いを体現したくて
夫の思いを引きついでいきたくて
必死でがんばってきた日々

また新しい仕事にきっと私は全力投球してしまうだろう
そんな私を見たら
夫はどんな言葉をかけてくれるのだろう?

「お敬い」と再就職

2022-01-06 16:15:27 | 日記 2
今年は我が家が「お敬い」の当番。
組の檀家は、高齢のおばさんが施設に入られたり
便利の良いところに引っ越されたりして
4軒に減ってしまった。
加えて、このコロナ禍で他同行の参加がないので
たぶんとてもさみしい「お敬い」になる。
今日は普段は使わない表の部屋の大掃除と
仏壇の準備をした。

年末に
夫のお友達から毎年贈られていた干支の置物を取り替えた。
牛から虎へ。



立派な木箱に入っている。
牛を片付ける時
次にこれを出すとき
私はまだ元気でいるのだろうか、と
ふと思った。
明日の事さえ定かではないのに
12年後のことなどわかるはずもない。
それでも次に出す時のために
ていねいに布に包んで片付けた。
これをいただいてから3度目の出番を終えた牛。


退職して
家に居ることが多くなり
猫と犬も部屋で過ごすことが多くなった。
いつもは距離をとっている犬たちだが
珍しくくっついて寝ていた。




2月後半からの再就職が決まった。
親の会の県の事務所の相談員兼事務補助。
車で1時間15分かかる場所だが
週2回ということでOKした。
もう少し、がんばってみようと思う。