▼熊谷うちわ祭
「熊谷」と聞いて、頭に浮かぶのは日本一の暑さ。その、真夏の暑いさなかに繰り広げられる「熊谷うちわ祭」を見に行った。時間の経過とともに町がせり上がり、ついに町全体が爆発した。あの活気、人出の多さ。立派な祭りに驚き、堪能した。
年に一度、青春を共有した悪友が集まり旧交を温めている。昨年の房総の集いで日本一の暑さが話題になり、熊谷の名が飛び出した。「一度そこへ行こうじゃないか」のひと言で、次回は熊谷開催と決まった。「それでは、うちわ祭に来てもらおう」と新幹事。
▼3日間だけの仮宮
7月22日は大暑。暦の上では、1年で最も暑さが厳しい日とされている。が、期待?は裏切られ、この日の熊谷は思ったほど暑くない。空は真っ青。駅を降りると露天商が軒を連ね、町は祭ムード一色。昼過ぎには、関西や四国など各地に散った友が熊谷に集った。
地元幹事の先導で、市内の中心に鎮座した八坂神社に参拝、1人1人うちわを頂戴した。幹事の話によると、境内が狭いため参拝客を収容しきれず、祭の3日間だけ市の中心に仮宮を設けているそうだ。日の暮れとともにドンドン人が増え、会場付近は身動きが取れない状態。揃ってホテルを出たものの、気が付けばバラバラ。
▼付け締め太鼓と擦り鉦
フィナーレが近づくと、ライトアップされた絢爛豪華な12の山車・屋台が、四方から次々に中央会場めがけて集まった。屋台の上からは、力いっぱい打ち鳴らす付け締め太鼓と擦り鉦(すりがね)が響き渡り、祭りは最高潮に達した。その様子をひと目見ようと、観客が押し寄せる。
祭りの主催者らが居並ぶ中央ステージ周辺は機動隊が輪を作って規制。「押さないでくださーい」とハンドマイクで繰り返す隊員。それでも、一歩でも前へ出て、いい場所を確保しようと詰めかける観客。背中をグイグイ押されよろけた。一瞬、左足を着地しようにも人の足だらけで、足をつく場所が場がない。
▼屋台が競う「叩き合い」
出囃子、地囃子、おさめ囃子、きざみ、数え唄・・・。それぞれの屋台が競う最後の「叩き合い」が始まった。相手のリズムに調子を崩された方が負けらしい。だから互いに、張り裂けんばかりに太鼓と擦り鉦を打ち鳴らす。熱気で観客も興奮気味。別のマイクで主催者が何やら祭りの進行状況を説明しているが、機動隊の規制の声と混じって聞き取れない。
左右から押され、気が付けば最前列に押し流された。背中を汗がスーと流れ落ちた。まだ後から後から押してくる。機動隊の持つロープが大きくしなった。「このままでは将棋倒しになるぞ。外に出る通路を」と目の前の隊員に叫んだ。「危険ですから、こちら側に入ってください」と、指揮棒を手にした隊員が私をロープの内側に引っ張り入れた。
▼頭をよぎった「百川」
主催者の合図で叩き合いが止んだ。最後のイベント「年番送り」が始まる。半纏をまとった4人の若い衆が青竜、白虎、朱雀、玄武と書かれた提灯をステージの四隅に掲げた。落語の「百川」(三遊亭圓生)の、次の一節が頭をよぎった。
「東を青竜、西を白虎、南が朱雀、そして北が玄武と申しまして、四方の神様を祀ったもので、四神旗というのが本当だそうですが、江戸では剣がついているところから四神剣と呼んでいまして、これは年番預けと言いますから、今年は甲の町内、来年は乙の町内というように持ち回りでした」。
▼刷り込み祭り体験
ステージ中央に年番と彫り込んだ分厚い「年番札」を両手で抱え、裃を身にまとった当代の総代が、来年の総代に「年番札」を手渡した。大きく掲げると、会場から割れんばかりの拍手が鳴り響いた。「年番送り」は滞りなく終了。
子どものころの祭り体験は、刷り込まれて生涯忘れない。だから祭になると、どんなに遠く離れていても、故郷に帰りたくなる。祭は人の心を一つにする。祭の顔は、どの顔も笑顔。喜びにあふれている。うちわ祭は、浅草・三社祭とは一味違った良さがある。楽しかった。熊谷署の調べだと、期間中の人出は75万人だったという。
「熊谷」と聞いて、頭に浮かぶのは日本一の暑さ。その、真夏の暑いさなかに繰り広げられる「熊谷うちわ祭」を見に行った。時間の経過とともに町がせり上がり、ついに町全体が爆発した。あの活気、人出の多さ。立派な祭りに驚き、堪能した。
年に一度、青春を共有した悪友が集まり旧交を温めている。昨年の房総の集いで日本一の暑さが話題になり、熊谷の名が飛び出した。「一度そこへ行こうじゃないか」のひと言で、次回は熊谷開催と決まった。「それでは、うちわ祭に来てもらおう」と新幹事。
▼3日間だけの仮宮
7月22日は大暑。暦の上では、1年で最も暑さが厳しい日とされている。が、期待?は裏切られ、この日の熊谷は思ったほど暑くない。空は真っ青。駅を降りると露天商が軒を連ね、町は祭ムード一色。昼過ぎには、関西や四国など各地に散った友が熊谷に集った。
地元幹事の先導で、市内の中心に鎮座した八坂神社に参拝、1人1人うちわを頂戴した。幹事の話によると、境内が狭いため参拝客を収容しきれず、祭の3日間だけ市の中心に仮宮を設けているそうだ。日の暮れとともにドンドン人が増え、会場付近は身動きが取れない状態。揃ってホテルを出たものの、気が付けばバラバラ。
▼付け締め太鼓と擦り鉦
フィナーレが近づくと、ライトアップされた絢爛豪華な12の山車・屋台が、四方から次々に中央会場めがけて集まった。屋台の上からは、力いっぱい打ち鳴らす付け締め太鼓と擦り鉦(すりがね)が響き渡り、祭りは最高潮に達した。その様子をひと目見ようと、観客が押し寄せる。
祭りの主催者らが居並ぶ中央ステージ周辺は機動隊が輪を作って規制。「押さないでくださーい」とハンドマイクで繰り返す隊員。それでも、一歩でも前へ出て、いい場所を確保しようと詰めかける観客。背中をグイグイ押されよろけた。一瞬、左足を着地しようにも人の足だらけで、足をつく場所が場がない。
▼屋台が競う「叩き合い」
出囃子、地囃子、おさめ囃子、きざみ、数え唄・・・。それぞれの屋台が競う最後の「叩き合い」が始まった。相手のリズムに調子を崩された方が負けらしい。だから互いに、張り裂けんばかりに太鼓と擦り鉦を打ち鳴らす。熱気で観客も興奮気味。別のマイクで主催者が何やら祭りの進行状況を説明しているが、機動隊の規制の声と混じって聞き取れない。
左右から押され、気が付けば最前列に押し流された。背中を汗がスーと流れ落ちた。まだ後から後から押してくる。機動隊の持つロープが大きくしなった。「このままでは将棋倒しになるぞ。外に出る通路を」と目の前の隊員に叫んだ。「危険ですから、こちら側に入ってください」と、指揮棒を手にした隊員が私をロープの内側に引っ張り入れた。
▼頭をよぎった「百川」
主催者の合図で叩き合いが止んだ。最後のイベント「年番送り」が始まる。半纏をまとった4人の若い衆が青竜、白虎、朱雀、玄武と書かれた提灯をステージの四隅に掲げた。落語の「百川」(三遊亭圓生)の、次の一節が頭をよぎった。
「東を青竜、西を白虎、南が朱雀、そして北が玄武と申しまして、四方の神様を祀ったもので、四神旗というのが本当だそうですが、江戸では剣がついているところから四神剣と呼んでいまして、これは年番預けと言いますから、今年は甲の町内、来年は乙の町内というように持ち回りでした」。
▼刷り込み祭り体験
ステージ中央に年番と彫り込んだ分厚い「年番札」を両手で抱え、裃を身にまとった当代の総代が、来年の総代に「年番札」を手渡した。大きく掲げると、会場から割れんばかりの拍手が鳴り響いた。「年番送り」は滞りなく終了。
子どものころの祭り体験は、刷り込まれて生涯忘れない。だから祭になると、どんなに遠く離れていても、故郷に帰りたくなる。祭は人の心を一つにする。祭の顔は、どの顔も笑顔。喜びにあふれている。うちわ祭は、浅草・三社祭とは一味違った良さがある。楽しかった。熊谷署の調べだと、期間中の人出は75万人だったという。
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