扇子と手拭い

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まるで審査員のような顔

2014-05-07 14:53:31 | 日記
▼届いた気になるメール
 私たちの定期公演「第15回文七迷人会」は21日、東京・浅草で開いた。雨模様で肌寒い中を、お越しいただいたご贔屓さまには有難く、改めて感謝したい。ところで、気になるメールが22日午後、届いた。この機会に「落語会」について、改めて考えてみたい。

 発信者は、落語「長屋の花見」で開口一番を務めたA。「私はいつも余り笑って貰えませんね。19日に千葉で同じ噺をやりましたが、どっか~んと受けて、自分も、お客さんも、主催者も、楽しい時間を共有しました。(別の日にやった)地元でも、皆さん笑ってくれました。しかし、文七ではほとんど笑いがない。まるで審査員のような顔で見ているだけ」。

▼最初に噺が上手い人を
 稽古熱心で知られるAは、数ある花伝亭出身者の中でもナンバー1の実力の持ち主、と私は確信している。とにかく多い月には10回も高座に上がるというのだから並ではない。断トツの技巧派である。それが文七では笑いが起きないというので、ショックだったようだ。

 理由はいくつかある。私の考えで、一番噺が上手い人に最初に出てもらっている。玄人落語会は、最初は前座で最後のトリをベテランが務める。しかし、プロでない私たちは一番手が下手だと、客はそこでゴソッと抜け、後まで聞いてくれない恐れがあるからだ。

▼落語はキャッチボール
 とは言うものの、確かに開口一番はやりづらい。客も着席したばかりだ。会場が落語モードに“温まる”までに時間がかかる。寄席などでは、誰かひとりワッと笑うと、それにつられて周りからも笑いが起きる。

 そうなれば占めたもので、演者は俄然やる気になる。落語は、「話し手と聴き手のキャッチボールだ」と言われている。客席から笑いが起きると、高座が盛り上がる。反対に、ニコリともしないで、苦虫をかみつぶしたような顔をして見つめられると、話している方は気が滅入ってしまう。

▼噺家は笑い上手に助けられ
 こういうのは「ナマの落語を初めて聴く」と言う方に多い。みなさん、キチンと正座して、両手を膝の上に乗せて、話が始まるのを静かに待っている。経済問題か何か難しい講演会でも聞くような感じだ。そんな人たちをどのようにして落語モードに持って行くかが、話し手の腕の見せどころともいえる。

 その点、子どもは有難い。二言、三言話し始めた途端に、ドッと笑いが起きる。こっちが投げた球をうまく受けてくれる。そうなると、こっちも「もっと笑わせてやろう」と張り切る。客席が話し手を上手に乗せてくれるのだ。好循環である。

▼「来てよかった」と言われるように
 Aが言う通り、高座と客席のキャッチボールが上手くいくと、「自分も、お客さんも、主催者も、楽しい時間」を共有できる。昔っから「噺家は笑い上手に助けられ」と言うぐらいで、落語会は、話し手と聴き手が一緒になってつくるものだ。

 そのためには、来ていただいたお客様に「来てよかった。楽しかった」と言っていただけるような落語を披露することが条件だ。

 手前ども文七迷人会は、これからも「楽しい落語、愉快な落語」を披露できるよう一同そろって相勤めますので、「あ、隅から隅までズズズーいと」・・・どうかよろしくお願い申し上げます。

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