扇子と手拭い

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春までじっと耐えて待つ(落語2―59)

2011-10-07 23:36:53 | 日記
▼手拭いにこだわる噺家
 ブログのタイトルにした「扇子」と「手拭い」は落語の大切な小道具になる。特に手拭いは色、柄、デザインが豊富なので、こだわる噺家は演目や、その日の着物との取り合わせ、季節によって巧みに使い分ける。スーツ姿のビジネスマンがネクタイに凝るのと同様に、演者の演出である。

 「この羽織、新調したんだ。こんなの、以前はお客さんが買ってくれたものだよ。こんなこと、あんた方に言ってもしょーがないけど」と言って、客席を笑わせるのが昔昔亭桃太郎さん。実際、本職の落語家は、真打昇進や襲名披露など折に触れ、贔屓筋から着物を誂えてもらうそうだ。

▼扇子が箸や筆、煙管に
 私たちも、さすがに着物のプレゼントはないが、無料落語会を開くと、木戸銭代わりにと手拭いを頂戴することがよくある。先の第5回文七迷人会でも、お越し下さった複数のご贔屓さまから手拭いをいただいた。

 承知の通り、お芝居などと違い、古典落語だからといって、ちょんまげの鬘(かつら)を付けたり、華麗な衣装や舞台セットがあるわけではない。手にするものは扇子、手拭いのみである。扇子は、「時そば」では箸になり、「手紙無筆」では手紙を書く筆の代わり。「片棒」ではそろばんになる。このほか釣竿、刀、煙管、天秤棒など、なんにでも変身する。

▼こだわりの五十両
 一方、手拭いは手紙や本のほか、落語「芝浜」では紙入れ(財布のこと)に、「百川」では徳利に品を代える。志ん朝師匠などは「文七元結」の中で、手拭いで小判五十両を作る。師匠が懐から取り出す場面を見ていると、丸めた手拭いが、ズッシリと重量感のある五十両に見えるから不思議だ。淡い色ではなく、渋い色合いの手拭いを使って演出するところが、名人志ん朝の「こだわり」である。

 志ん朝師匠を落語の手本とするあたしも、与太郎が登場するホワッとした噺の時は、明るい色の手拭いを持って高座に上がる。反対に「大工調べ」や、「百川」のような棟梁、河岸の若い衆を演じる時は、豆絞りや、吉原繋(よしわらつなぎ)、縦縞柄の手拭いを使っている。

▼松は春まで耐えて待つ
 こうした、チョイトした工夫で、江戸の粋を演出し、下手な落語を手拭いでカバーしようという寸法だ。だから、ご贔屓さまからいただく手拭いは有難い。種類が多いと選択肢が広がるからである。今日(7日)は、先日の落語会に顔を覗かせてくれた上方の友人から郵便が届いた。何だろうと開封したところ、本染め蝦色松葉文様の手拭いだった。

 添え書きにこうあった。「松は雪や霜に遭っても色が変わらず、春まで耐えて待つということで、お目出度いものとされている」。うれしい限りである。10日の旧吉田家での落語会で使わせてもらう。

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