湘南文芸TAK

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知っ得ずしクイズの答え

2019-06-27 18:29:12 | 文学
昨日のクイズの正解は①徳冨蘆花でした。

解説
 徳冨蘆花(1868~1927年)は、「不如帰」で逗子の名を広めました。桜山の富士見橋に近い田越川沿いには「蘆花独歩ゆかりの地」碑が建っています。徳冨蘆花、国木田独歩が一時期を過ごした貸家「柳屋」がかつてあった所です。蘆花はここで「湘南雑筆」を書いたという訳です。
 選択肢②の徳富蘇峰(1863~1957年)は、徳冨蘆花の兄で、近代日本の代表的な言論者のひとりです。逗子に明治25年(1929年)に訪れて以来故郷に似たものを感じて深い愛着をもち、2年後には両親のために「老龍庵」と名付けた別荘を桜山に建てました。
 選択肢③の泉鏡花(1873~1939年)は、明治35年(1902年)に桜山5丁目付近に療養目的で滞在。桜山を舞台にした「起請文」「舞の袖」を書きました。明治38年(1904年)からは、逗子5丁目田越川付近に4年間滞在し「春昼」「婦系図」などを執筆しました。
 他にも逗子にゆかりのある明治時代の文学者がいます。国木田独歩(1871~1908年)は「武蔵野」「鎌倉夫人」などが代表作。逗子に滞在していた蘇峰を訪れ養神亭に投宿し、2年後に佐々城信子との新婚生活を柳屋で始めます。数か月で破局を迎え逗子を去りました。永井荷風(1879~1969年)は「濹東綺譚」などが代表作です。25歳で渡米するまで富士見橋近く、徳冨家別邸に隣接した父の別荘「十七松荘」に滞在しました。里見弴(1888~1983年)は、泉鏡花に称賛され師事。一時期東郷橋近くの別荘に「白酔亭」と名付け暮らしていました。

解説に「ちなみに」情報が多すぎる? でもそういうのがあった方が話が枝葉に広がって面白いということも…。
大正時代に作家デビューした里見弴にまで触れているのは無理があるけれど、鏡花つながりの逗子にまつわる「ちなみに」ネタってことで、おまけ情報です。

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