逗子の桜シリーズ今日は久木の妙光寺です。散り始めていますが、またそれがきれいです。
故・三浦澄子さんが代表を務めていた逗子道の辺史話の会の「逗子道の辺史話」第17集(昭和59年発行)を読んでいたら「母から聞いた鏡花先生のこと」という記事を発見。
大庭征露さんが泉鏡花と親しかったお母様から聞いた興味深い話が載っているので、一部をご紹介します。
変死人がある毎に父は検死に出かけ鏡花はそういうものの話を好んで聞きに来た。併し、話を聞いているうちに次第、次第に後ずさりして行って、父が面白づくに何か怖がらせるような真似でもすると、縁から転げ落ちることさえあった。
その位だから父の持っていた本物の髑髏が見たくて堪らないのにどうしても見ることが出来なかった。今日こそは見るんだと抜き足でその部屋の前迄は行くが「まだまだ、未だ戸を開けちゃいけませんよ……少うし、少うし開けて下さいよ。」などと云う時にはもう半ば逃腰になり、父が「そうれ」と云って戸を開けるか開けないかに「ひゃあ!」と云って逃げてしまうのだった。
母に云わせると「鏡花はこんなに臆病だから、お化け小説がうまい」のだそうである。
こんなかわいい人だったなんて
著者の大庭氏は千葉病院長の息子さんだそうです。
故・三浦澄子さんが代表を務めていた逗子道の辺史話の会の「逗子道の辺史話」第17集(昭和59年発行)を読んでいたら「母から聞いた鏡花先生のこと」という記事を発見。
大庭征露さんが泉鏡花と親しかったお母様から聞いた興味深い話が載っているので、一部をご紹介します。
変死人がある毎に父は検死に出かけ鏡花はそういうものの話を好んで聞きに来た。併し、話を聞いているうちに次第、次第に後ずさりして行って、父が面白づくに何か怖がらせるような真似でもすると、縁から転げ落ちることさえあった。
その位だから父の持っていた本物の髑髏が見たくて堪らないのにどうしても見ることが出来なかった。今日こそは見るんだと抜き足でその部屋の前迄は行くが「まだまだ、未だ戸を開けちゃいけませんよ……少うし、少うし開けて下さいよ。」などと云う時にはもう半ば逃腰になり、父が「そうれ」と云って戸を開けるか開けないかに「ひゃあ!」と云って逃げてしまうのだった。
母に云わせると「鏡花はこんなに臆病だから、お化け小説がうまい」のだそうである。
こんなかわいい人だったなんて
著者の大庭氏は千葉病院長の息子さんだそうです。