先回の会での句です。
作者の郁子さんの祖父は、戦前、親愛知新聞の主筆を
務めたことのある桐生悠々。
その悠々に
蟋蟀は鳴き続けたり嵐の夜
という句があります。
昭和8年、信濃毎日新聞の主筆だった悠々は、
「関東防空大演習を嗤ふ」という記事を書き、
在郷軍人会などから激しく批判されます。
不買運動にまで広がった責任を負って辞任。
名古屋市守山区に引っ越して、「他山の石」という小冊子を発行、
軍国化してゆく時代を批判し続けました。
現在の日本とは違って、検閲や発禁処分のあった時代。
日支事変を論じた号は3ページにわたって記事が削除されました。
何回も発禁にあいながらも、筆を折ることはありませんでした。
そして昭和16年、太平洋戦争の始まる直前に亡くなっています。
蟋蟀の句は、「他山の石」発行の心意気を詠ったものと思われます。
蟋蟀の句を踏まえて、カネタタキの句を読むと、
また新たな感慨を覚えます。
新愛知新聞は、戦前に名古屋にあった新聞社。
桐生悠々は信濃毎日と、新愛知の主筆を務めています。
新愛知新聞は、名古屋新聞と合併して、現在の中日新聞となっています。
この合併も戦争遂行を目的に、言論統制のために行われたものです。
(遅足)
先日、ある新聞の囲みに、盲導犬の訓練で
最も難しいのは「不服従」を教えること、
と書かかれていました。言うことをきかせ
るのは、お利口さんの犬なら何る。
しかし、主人が要求したことに従えば、危
険、と察知すれば命令をきかない。犬だっ
て自分で判断し抵抗するというに・・・。
悠々の生き方は、ジャーナリストは勿論のこと、私たち市井の人も学ばねばならないのです。
読売新聞を退社して、大阪の下町で「窓友新聞」を発行した黒田清氏、名タイを退いて「奥様ジャーナル」を育てた高笠原氏らの目指したのは”住民が自からの考えでモノを言い、編集に参加する新聞”つくり。
いずれも、根底には、悠々の精神が流れていたと思います。
郁子さん、また悠々の思い出などきかせてください。
今回初めてカネタタキという虫を知りました。悠々さんの命日の頃鳴くそうです。
命日になるとお線香を供える代わりに、悠々さんの書いた文章を、いつの頃からかひとりひそかに朗読するようになりました。そんなときのBGMがコオロギでありカネタタキでした。
「超国家的に、超民族的に、世界の平和、人類の幸福に貢献したいと思う」
と言った悠々さん。
あなたの孫は今夜「万博閉幕一周年イベント」で、市民コーラスの一員として
アヤヤのバックで「アイラブユー」の手話サインをかかげて踊っておりました。(笑)