575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

時刻むカネタタキの音鎮魂歌   郁子

2006年09月24日 | Weblog

先回の会での句です。
作者の郁子さんの祖父は、戦前、親愛知新聞の主筆を
務めたことのある桐生悠々。
その悠々に

 蟋蟀は鳴き続けたり嵐の夜

という句があります。

昭和8年、信濃毎日新聞の主筆だった悠々は、
「関東防空大演習を嗤ふ」という記事を書き、
在郷軍人会などから激しく批判されます。
不買運動にまで広がった責任を負って辞任。
名古屋市守山区に引っ越して、「他山の石」という小冊子を発行、
軍国化してゆく時代を批判し続けました。
現在の日本とは違って、検閲や発禁処分のあった時代。
日支事変を論じた号は3ページにわたって記事が削除されました。
何回も発禁にあいながらも、筆を折ることはありませんでした。
そして昭和16年、太平洋戦争の始まる直前に亡くなっています。
蟋蟀の句は、「他山の石」発行の心意気を詠ったものと思われます。

蟋蟀の句を踏まえて、カネタタキの句を読むと、
また新たな感慨を覚えます。

    

新愛知新聞は、戦前に名古屋にあった新聞社。
桐生悠々は信濃毎日と、新愛知の主筆を務めています。
新愛知新聞は、名古屋新聞と合併して、現在の中日新聞となっています。
この合併も戦争遂行を目的に、言論統制のために行われたものです。

                     (遅足)






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3 コメント

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悠々のことを今こそ (鳥野)
2006-09-24 13:55:40
自分の考えを、自分の言葉で話すことを忘れてしまっています。こんなに自由になんでも言える時代なのに。



 先日、ある新聞の囲みに、盲導犬の訓練で

 最も難しいのは「不服従」を教えること、

 と書かかれていました。言うことをきかせ

 るのは、お利口さんの犬なら何る。



 しかし、主人が要求したことに従えば、危

 険、と察知すれば命令をきかない。犬だっ

 て自分で判断し抵抗するというに・・・。



悠々の生き方は、ジャーナリストは勿論のこと、私たち市井の人も学ばねばならないのです。



読売新聞を退社して、大阪の下町で「窓友新聞」を発行した黒田清氏、名タイを退いて「奥様ジャーナル」を育てた高笠原氏らの目指したのは”住民が自からの考えでモノを言い、編集に参加する新聞”つくり。



いずれも、根底には、悠々の精神が流れていたと思います。



 郁子さん、また悠々の思い出などきかせてください。



 
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悠々さん ()
2006-09-24 16:39:35
悠々さんの句。素敵ですね。お孫さんの郁さんは心優しい大好きな先輩です。

今回初めてカネタタキという虫を知りました。悠々さんの命日の頃鳴くそうです。

返信する
桐生悠々さま (郁子)
2006-09-25 23:21:00
「私の祖父」とは恐れ多くてなかなか言えない偉大なジャーナリストです。

命日になるとお線香を供える代わりに、悠々さんの書いた文章を、いつの頃からかひとりひそかに朗読するようになりました。そんなときのBGMがコオロギでありカネタタキでした。

 

「超国家的に、超民族的に、世界の平和、人類の幸福に貢献したいと思う」

と言った悠々さん。



あなたの孫は今夜「万博閉幕一周年イベント」で、市民コーラスの一員として

アヤヤのバックで「アイラブユー」の手話サインをかかげて踊っておりました。(笑)

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