575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

季語の本意をずらす  

2006年09月17日 | Weblog
季語・岩波新書(坪内稔典)を読んでいたら
季語の本意をずらす、ということが書いてありました。


  たとえば、春風という季語の本意は、そよそよと優しく吹く風のこと。

  春風にこぼれて赤し歯磨粉 子規
  春風や象引いて行く町の中 子規

  この2つの春風はおだやかにそよそよと吹いている。
  もし激しく吹いたら、別の季語、たとえば、春嵐とか春疾風になる。
  季語の本意に、何を取り合わせるかで、季語の本意が
  少しずれるというか、言葉の新しい表情を見せる。
  歯磨粉と取り合わされた春風、象と取り合わされた春風とは
  少し感じが違うだろう。
  その微妙な違いを楽しむのが俳句の楽しみ、あるいは
  季語の楽しみというものだ。
   俳句をつくる人は、季語の本意を取り合わせなどでずらす。
  写生という方法も、今まで気づかなかった何かを見つけて
  季語の本意をずらす。

  方丈の大庇より春の蝶

  この句は、龍安寺、と前書きのある高野素中の句だが、
  方丈の大庇という思いがけないところに蝶を見つけている。


なるほど、と思いました。
あまり離れると独りよがりで、分かってもらえない。
その辺りが面白いですね。


    


さて20日の句会。
題詠は「芋」です。

 芋の露ドロップアウトして銀河  遅足



  




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1 コメント

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「ずらす」 ソレが難しい。 ()
2006-09-19 00:24:42
 僕は、「ずらす」などという高級技術は使えませんが、「ずれたり」「ずれおちたり」「はずれたり」します。



 「ずらす」というのは、付き過ぎないということですかねえ。
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