季語・岩波新書(坪内稔典)を読んでいたら
季語の本意をずらす、ということが書いてありました。
たとえば、春風という季語の本意は、そよそよと優しく吹く風のこと。
春風にこぼれて赤し歯磨粉 子規
春風や象引いて行く町の中 子規
この2つの春風はおだやかにそよそよと吹いている。
もし激しく吹いたら、別の季語、たとえば、春嵐とか春疾風になる。
季語の本意に、何を取り合わせるかで、季語の本意が
少しずれるというか、言葉の新しい表情を見せる。
歯磨粉と取り合わされた春風、象と取り合わされた春風とは
少し感じが違うだろう。
その微妙な違いを楽しむのが俳句の楽しみ、あるいは
季語の楽しみというものだ。
俳句をつくる人は、季語の本意を取り合わせなどでずらす。
写生という方法も、今まで気づかなかった何かを見つけて
季語の本意をずらす。
方丈の大庇より春の蝶
この句は、龍安寺、と前書きのある高野素中の句だが、
方丈の大庇という思いがけないところに蝶を見つけている。
なるほど、と思いました。
あまり離れると独りよがりで、分かってもらえない。
その辺りが面白いですね。
さて20日の句会。
題詠は「芋」です。
芋の露ドロップアウトして銀河 遅足
季語の本意をずらす、ということが書いてありました。
たとえば、春風という季語の本意は、そよそよと優しく吹く風のこと。
春風にこぼれて赤し歯磨粉 子規
春風や象引いて行く町の中 子規
この2つの春風はおだやかにそよそよと吹いている。
もし激しく吹いたら、別の季語、たとえば、春嵐とか春疾風になる。
季語の本意に、何を取り合わせるかで、季語の本意が
少しずれるというか、言葉の新しい表情を見せる。
歯磨粉と取り合わされた春風、象と取り合わされた春風とは
少し感じが違うだろう。
その微妙な違いを楽しむのが俳句の楽しみ、あるいは
季語の楽しみというものだ。
俳句をつくる人は、季語の本意を取り合わせなどでずらす。
写生という方法も、今まで気づかなかった何かを見つけて
季語の本意をずらす。
方丈の大庇より春の蝶
この句は、龍安寺、と前書きのある高野素中の句だが、
方丈の大庇という思いがけないところに蝶を見つけている。
なるほど、と思いました。
あまり離れると独りよがりで、分かってもらえない。
その辺りが面白いですね。
さて20日の句会。
題詠は「芋」です。
芋の露ドロップアウトして銀河 遅足
「ずらす」というのは、付き過ぎないということですかねえ。