小学生だった遠い昔、お手玉には段階があった。普通の2個から始まり、左手添える片手(お椀),片手、3個・・・といったものだ。段を進むには一つの歌の間失敗をしてはいけない決まりであった。その時歌うのが下の数え唄。
一番初めは一の宮、二ぃは日光東照宮、三は佐倉の惣五郎、四ぃは信濃の善光寺、五っは出雲の大社、六っ村々鎮守様、七つ成田の不動さん、八つ山田の八幡さん、九つ高野の弘法さん。十ぉは東京本願寺これほど信心していても、浪子の病は治らない。汽車と汽車とのすれ違い・・・なみちゃんま白いハンカチをふりふりながらねぇあなたはあやく帰って頂戴ね・・・ないて血を吐く不如帰。
・・・は記憶にない。、汽車以下が徳富蘆花の小説「不如帰」に由来すると分かったのも、数え唄の意味が理解できたのも、おとなになってからである。
海上の森を歩くようになって、ホトトギスの鳴き声を聴くようになったときから「ないて血を吐く不如帰」がとても不思議になった。「キョッキョ、キョ、キョ、キョ」と含んだような声で、けして大声ではない。鳴きだすと暫く鳴いているし、飛びながら鳴くこともあるが、血を吐くイメージはない。またヨシキリ類のように口の中がまっ赤ということもない。
ホトトギスはカッコウ科の夏鳥で、ウグイスに托卵する。同じ仲間にカッコウ、ツツドリ、ジュウイチがいて、ホトトギスが一番人里に近いところに飛来する。だから、カッコウ科の中で古来から文学に登場するのであろう。カッコウもツツドリもジュウイチも鳴き声は特徴があり、清少納言が聴いていたら枕草子に書いてたと思っている。
因みにツツドリは筒を打ったようにポッ、ポッ、ポッと鳴き、ジュウイチは名のとおりジュウイチと鳴く。
長くなったが、ないて血を吐くホトトギスは、日本の民話や中国の故事に由来するという記事がネットにあった。兄弟のどちらかが、勘違いから、相手を殺してしまい、後悔しきれなほど泣いて、とうとうホトトギスになってしまったという内容っである。
観察していてこんな悲劇性を帯びた鳥とは、いま一つ納得できないのは感じ方の違いか。
郭公声横たふや水の上 芭蕉
名のれ名のれ雨しのはらのほととぎす 蕪村
時鳥小舟もつういつうい哉 一茶
ほととぎすあすはあの山こえて行こう 種田山頭火
一番初めは一の宮、二ぃは日光東照宮、三は佐倉の惣五郎、四ぃは信濃の善光寺、五っは出雲の大社、六っ村々鎮守様、七つ成田の不動さん、八つ山田の八幡さん、九つ高野の弘法さん。十ぉは東京本願寺これほど信心していても、浪子の病は治らない。汽車と汽車とのすれ違い・・・なみちゃんま白いハンカチをふりふりながらねぇあなたはあやく帰って頂戴ね・・・ないて血を吐く不如帰。
・・・は記憶にない。、汽車以下が徳富蘆花の小説「不如帰」に由来すると分かったのも、数え唄の意味が理解できたのも、おとなになってからである。
海上の森を歩くようになって、ホトトギスの鳴き声を聴くようになったときから「ないて血を吐く不如帰」がとても不思議になった。「キョッキョ、キョ、キョ、キョ」と含んだような声で、けして大声ではない。鳴きだすと暫く鳴いているし、飛びながら鳴くこともあるが、血を吐くイメージはない。またヨシキリ類のように口の中がまっ赤ということもない。
ホトトギスはカッコウ科の夏鳥で、ウグイスに托卵する。同じ仲間にカッコウ、ツツドリ、ジュウイチがいて、ホトトギスが一番人里に近いところに飛来する。だから、カッコウ科の中で古来から文学に登場するのであろう。カッコウもツツドリもジュウイチも鳴き声は特徴があり、清少納言が聴いていたら枕草子に書いてたと思っている。
因みにツツドリは筒を打ったようにポッ、ポッ、ポッと鳴き、ジュウイチは名のとおりジュウイチと鳴く。
長くなったが、ないて血を吐くホトトギスは、日本の民話や中国の故事に由来するという記事がネットにあった。兄弟のどちらかが、勘違いから、相手を殺してしまい、後悔しきれなほど泣いて、とうとうホトトギスになってしまったという内容っである。
観察していてこんな悲劇性を帯びた鳥とは、いま一つ納得できないのは感じ方の違いか。
郭公声横たふや水の上 芭蕉
名のれ名のれ雨しのはらのほととぎす 蕪村
時鳥小舟もつういつうい哉 一茶
ほととぎすあすはあの山こえて行こう 種田山頭火