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旅行 社寺

山中城跡 1

2014-08-22 11:07:18 | 
 2014.08.17 三島駅から東海道(国道1号線)をバスで約30分箱根峠の中腹にある

               山中城跡を見学して来ました。









  山中城跡 国指定史跡 日本百名城 戦国末期に後北条氏と豊臣秀吉の兵が激戦した城、

                   この城の特徴は石垣のない土造の城です。



  案内図 最初に三の丸堀から西の丸を巡ります。



  三の丸堀 三の丸の曲輪の西側を出丸まで南北に走るこの堀は大切な防御の為の堀です。

       自然の谷を利用して中央に縦の畔を設けて二重掘としている。

       中央の畔(現在通路)を境に、東側の堀は水路として箱井戸、田尻の池からの

       排水を処理し、西側の堀は空堀として活用していた。この堀の長さは約180m、

       最大幅約30m、深さは約8mを測る。





  田尻の池 馬用の飲み水





  箱井戸 山中城将兵の飲料水



  田尻の池(白色)と箱井戸(赤色)に咲く睡蓮





  二の丸虎口と架橋 二の丸への入口は三の丸から箱井戸を越えてこちら側へ渡り、

           長い道を上ってこの正面の大土塁(高さ4.5m)に突き当たり、

           右折して曲輪に入るようになっていた。



  西の丸 3400㎡の広大な面積をもつ曲輪で、山中城の西方防備の拠点である。

      西端の高い見晴台を中心に曲輪の三方を土塁で築き、東側にある溜池には

      連絡用通路(土橋)を排水口として雨水等が集められる仕組みです。



  同上 土塁



  同上 土橋 西の丸へ入るには、土橋を渡って正面の土塁の下を左へ折れ、西の丸

        南辺から延びてくる土塁との間の細い上り坂の通路を通り、さらにこの

        二つの喰違い土塁に挟まれた通路に設けた木戸を通る。

        この土橋は第一の関所であり、また高い方の堀の水を溜めておく

        ための堤防でもある。











  西の丸 南、西、北面を守る障子掘



  西櫓 馬出の攻撃用広場



  同上から見た西の丸(右)と障子堀

      後北条氏の城には、堀の中をを区画するように畝を掘り残す、いわゆる「障子堀」と

      いう独特の堀が掘られている。





  後北条氏の角馬出 防御する時は、西の丸の虎口を中心に、攻撃に出る時には堀の

           外側の広場(西櫓)を起点として、堀の南端の土橋と北端の木橋を

           用いる。この馬出の築造により、攻める機能と守る機能が明らかに

           区分された。







  西櫓堀と西櫓の架橋



  天気が良ければ富士の美しい姿が見え場所です。





  西の丸堀



  帯曲輪 から北の丸へ向かう。