HARD HEAD

旅行 社寺

マラッカ 観光

2014-06-22 10:17:24 | 旅行
 2014.06.14 今日はKLよりドライブ、着後、植民地時代の史跡が残るオランダ広場周辺を

       見学、観光後再びKLへ戻り、空路シンガポールへ向かう。



  バスにてマラッカへ移動、車窓からはヤシの林が続く約2時間で到着。



  マラッカ 世界文化遺産 マラッカはマラッカ海峡の重要な東西貿易の交易点として500年以上

         に渡り繁栄を繰り返しました。街には15世紀に興ったマラッカ王国と

         16世紀初頭のポルトガル、16世紀からのオランダの支配の歴史を反映した

         建物、教会や広場が残っています。

(ポルトガル支配時代)1511年~1640年 

  ポルトガルのマラッカ獲得は、主に貿易の中継地としての利点と、東南アジアにおける

      キリスト教(カトリック)の布教にありました。日本でもなじみの深い

      フランシスコ.ザビエルも布教の為にマラッカを訪れました。





  サンチャゴ砦 1511年ポルトガルの総督によって建てられた砦。マラッカのシンボル。

      外からの攻撃に対抗するために造られ、当時はこの周りは高い塀で囲まれていた。

      防壁は19世紀にイギリスによって取り壊され、石造りの門と大砲のみ残されている。



  同上  セントポールの丘より砦を眺める。



  同上  砦よりセントポール丘を見る(セントポール教会が林の中に見える)。









  セントポール教会跡 セントポールの丘にある、ポルトガル時代に建てられた教会跡。

            現在は外壁と内部に当時のポルトガル人の墓石が残されている。





  フランシスコ.ザビエル像 日本をはじめ、アジア各地で布教活動をしたザビエル死後、遺体は

         マドラスへ送られましたが、右手だけは切り取られポルトガル本国へ送られました。

         ザビエル像の右手は、像が建てられた当時、嵐によって右手のみ壊れ、

         まさに遺体と同じ形になりました。





  セントポールの丘よりマラッカ海峡を眺める。中央に見えるタワーは展望室が昇降する。



  トカゲと一緒に記念撮影もしていました。

(オランダ支配時代) 1642年、香辛料を求めてアジアへ進出したオランダが着々と勢力を伸ばし、

           ついにポルトガルからマラッカを奪略し、その後マラッカは東南アジアの

           商業センターとして発展していきました。









  オランダ広場 マラッカ観光のスタート地点となる広場。噴水を中心に教会や時計台、旧総督府等

         オランダ時代の建物が並んでいます。



  キリスト教会 1753年に完成したオランダ建築様式の木造のプロテスタント教会。

         赤色の壁に純白の十字架が印象的でマラッカの象徴的な存在。

         中にはタイル画の「最後の晩餐」があります。



  スタダイス(旧総督府) 現在はマラッカの歴史博物館。マラッカ王国時代に始まり、ポルトガル、

         オランダ、イギリスの植民地時代、日本の占領時代、そしてマレー連邦として

         独立するまでのマラッカの歴史を紹介しています。





  広場の噴水と時計台は英ビクトリア女王に捧げる為に1904年に作られた。



  トライショー マラッカは派手に装飾がしてある。



  広場脇の運河



  有料トイレ マレーシアのトイレは有料が多く小銭が必要(0.5~1RM)。



  昼食のニョニャ料理 中国からマレーシアへ渡ってきた男性とマレー人の女性が結婚し作る

            家庭料理でマレー料理の特徴であるスパイスをたくさん使っている。

  昼食後雑貨店でショッピング なまこの石鹸をお土産に購入。 KL空港へ向かう。





  トイレタイム 日通のトラック(タイ~マレーシア~シンガポール)の活躍に拍手。



  クアランプール国際空港 黒川記章設計のKLの南50KMの森の中の空港。



  日本では珍しいサウジアラビアの飛行機が駐機していました。

  シルクエアー機でシンガポールに向かう(約55分)。


         



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。