HARD HEAD

旅行 社寺

菅谷館跡

2019-08-02 05:42:24 | 
 2019.07.25 杉山城跡からタクシー(迎車料込みで2170円)移動、比企城館跡群

            菅谷館跡に登城して来ました。

            菅谷館跡は鎌倉時代の武蔵武士畠山重忠の居館と伝えられていますが、

            現在残っているのは戦国時代の城跡です。





  菅谷館跡 本郭  北側、土塁と空堀。



  畠山重忠公像  菅谷館を築いた畠山重忠の像。二ノ郭の土塁上に建つ。





  比企城館跡群 菅谷館跡  国指定史跡 続日本百名城。

         畠山重忠の館跡を山内上杉氏が再興。



  案内図。





  食い違い虎口(伝搦手門跡)。

        土塁を前後3mほどずらし外部からの侵入に備えています。





  二重土塁と泥田堀。







  三ノ郭  に建つ埼玉県立嵐山史跡の博物館と菅谷館跡模型。

     菅谷館跡は都幾川と槻川の合流地点を望む台地上にあり、総面積は約13万平方メートル。

     館跡の東と西には深い浸食谷があり、4つの郭(くるわ)が本郭を取り囲むように配置され、

     二ノ郭、三ノ郭、西ノ郭、南郭と呼ばれています。(パンフレットより)



  蔀(しとみ)土塁。 

    この土塁は、西ノ郭から三ノ郭内部の様子を直接見通せないように造られたものです。





  正坫(しょうてん)門跡と木橋。 三ノ郭の出入り口で幅が約9mあります。



  木橋(三ノ郭~西ノ郭) 西ノ郭から見た橋。

          三ノ郭側に高く盛土して橋に傾斜をつけ、

          敵の侵入を困難にしていたと考えられます。



  西ノ郭  深い堀と高い土塁にによって囲まれ敵が容易に侵入できない構造です。







  二ノ郭土塁上から見た堀。

   土塁左方に三ノ郭から二ノ郭への虎口(門跡)があった(撮影し忘れました)。



  本郭 虎口と土橋。



  本郭 出枡形土塁。

     本郭を守る、高い土塁には、凸字状に突き出た個所があり、「出桝形」と呼んでいます。

     敵が侵入した際、横から矢を射かけるなど、効果的に防御したものです。





  二ノ郭。

 



  ニノ郭 出桝形土塁。



  本郭 北側土塁と空堀、 二ノ郭より見る。



  二ノ郭より南郭へ下ります。



  都幾川へのふるさと歩道が通っています。

 



  南郭。 左側土塁は本郭です。



  同上 南側も土塁で守っています。



  本郭。 東西約150m、南北約60mの長方形をしており、約9千㎡の広さがあります。



  同上  生門跡。 本郭への出入り口の一つです。



  同上  周囲は高い土塁で防御しています。



  同上 に咲くやまゆり。 城跡には500株以上のやまゆり咲いています。



  同上  二ノ郭側虎口。



  同上  出桝形土塁で防御しています。



  三ノ郭  建物跡と井戸跡。 発掘調査で掘立柱建物跡4棟、井戸跡3か所、溝跡などが

       発見されました。その一部を位置表示しています。



  同上  井戸跡から出土した、金箔板碑。(当博物館所蔵)。

      享徳二年(1453)の年号を刻みます。

      その他出土品、青磁皿、かわらけ、天目茶碗、緑釉小皿、など14世紀前半から

      17世紀に及んでいます(当博物館に展示されています)。

    見学後東武東上線「武蔵嵐山駅」迄徒歩約15分でした(路線バスなし)。