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旅行 社寺

萩城下町散策

2016-11-30 16:47:52 | 
 2016.11.20~21 城下町旧上級武家地「堀内地区」とも呼ばれる旧三の丸一帯は

     城下町侍屋敷としての地割をよく残しており、土塀越しに見える夏みかんと

     ともに当時の風情をよく伝えています。萩城外堀の外側にある旧町人地、町屋や

     中.下級の武家屋敷が連ねた地区では、明治維新の三傑と呼ばれた木戸孝允の旧宅、

     豪商菊屋家の住宅などの建物、なまこ壁の土蔵、門、土塀が連なり当時の城下町の

     景観を今に残しています。





  国選定重要伝統的建造物群保存地区. 萩市堀内地区





  口羽家住宅 国指定重要文化財 萩城下に残る上級武士の屋敷としては古く、貴重で

     主屋と表門が重文に指定されています。主屋は18世紀末から19世紀初め頃に

     建てられてと言われている。



  同上 庭から眺める橋本川河畔の景色は絶景です。





  堀内鍵曲(かいまがり) 城下に進入した敵を迷わせ、追い詰めるための工夫が

       してある城下町特有のもの、左右を高い土塀で囲み、道を鍵の手に曲げて

       迷路のようにしてある。別名「追廻し筋」とも呼ばれている。





  旧祖式家長屋







  旧梨羽家書院  県指定有形文化財(建造物)



  旧児玉家長屋門



  美しい土塀





  旧椙杜家長屋







  萩博物館 長屋門.隅矢倉





  旧益田家物見矢倉





  旧繁澤家長屋門





  熊谷家住宅 国指定重要文化財

  次からは外堀の外側にある旧町人地です。





  萩城城下町 国指定史跡





  菊屋家住宅



  旧久保田家住宅



  菊屋家住宅前の通り風景







  木戸孝允旧宅





  青木周弼旧宅





  円政寺内金毘羅社社殿





  高杉晋作誕生地



  高杉晋作立志像



  久坂玄瑞進撃像





  明倫館跡と南門。 

       次は松陰神社他を散策します。




  


萩城跡

2016-11-30 10:20:15 | 
 2016.11.20 百名城97城目、山口県萩市の萩城跡に登城して来ました。

        東京を早朝に出発し12:20分過ぎには到着しました。















  萩城跡 国指定史跡 日本百名城 慶長9年(1604)関ヶ原の役に敗れた毛利輝元が、

      防長2州36万石の居城として築いたものです。日本海に突出した指月山に詰丸、

      その麓に本丸、二ノ丸、三の丸を築き、五重五層の望楼型天守を建てた。

      明治7年(1874)に天守閣などは 解体されましたが、

      庭園や石垣と堀の一部が往時の姿をとどめています。



  城跡模型



  二ノ丸南門より登城。



  同上にある 毛利輝元像



  同上虎口石垣  内側から見る中央奥の石垣は塩矢倉跡。



  本丸へ入城しないで最初に西側に行きます。 指月山と石垣と内堀。







  天守閣跡



  西より本丸門を眺める。



  東側に回ります。二ノ丸東門。



  二ノ丸東門に架かる指月小橋より指月川(萩疏水)を見る。中堀の役目をしていた?。



  東より本丸門を眺める。



  本丸橋



  銃眼土塀  弱点である城の東側の防御を強化するため、二ノ丸東門から海岸線に沿って

        北の埋門まで城壁がつながり、五基の櫓が建っていた。

        潮入門跡はその中間にあたる。一部復元された土塀の左端が紙櫓跡。

        後方指月山の山頂に詰丸が築かれていた。



  潮入門跡 



  同上 城内側から眺める。



  城壁石垣上より 南方向の海岸線を眺める。



  同上     北方向の海岸線を眺める。





  本丸門より入場。





  本丸虎口石垣。



  天守台跡。



  内堀本丸石垣内部側。



  天守台上部 一面に天守閣の礎石が残っている。



  同上より 東方向、本丸門を眺める。



  同上   西北方向内堀が指月山麓まで伸びている。



  明治初期頃 解体前の写真。



  本丸跡





  万歳橋





  楫取素彦 寄進の井戸。



  志都岐山神社 祭神は毛利元就.隆元.輝元.敬親.元徳の五柱です。



  東園跡 二ノ丸にある藩主遊息の回遊式庭園でした。



  花江茶亭 (はなのえちゃてい) 藩主の別邸にあった茶室を明治20年頃に移築したもの。

        幕末の頃、13代藩主毛利敬親(たかちか)が家臣たちと茶事に託して

        時勢を論じ、国事を画策したと言われています。



  山頂まで730m 詰め丸入口。



  詰丸跡





  旧 厚狭(あさ)毛利家萩屋敷長屋 国指定重要文化財 安政5年(1856)に建てられる。

      建物規模は桁行51.4m梁間5.0mと長大な構造で屋根は入母屋造り本瓦葺きです。





  北の総門と外堀  北の総門(高麗門)は城下町から三の丸に入る三つの総門のひとつ。

      総門脇の土塁や土塀付き土橋、船着場などが、平成23年に整備復元された。

      次に城下町散策に行きます。