おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR「姉ヶ崎」駅~「木更津」駅。その6。久留里線。「畳ヶ池」。(「房総往還」をゆく。第4日目)

2020-03-09 19:43:53 | 房総往還
                          旧道らしい雰囲気の道筋。
                           

大きなお屋敷。

落ち着いた街並み。

満開のサクラ。「ヒカンザクラ」or「カワヅザクラ」? 
 

よく見ると、たくさんのミツバチが花びらに群がっています。

来た道を振り返る。

広い敷地の家が目立つ。

                     

農家らしい佇まい。

「久留里線」の踏切を渡ります。

                       

久留里線(くるりせん)
 千葉県木更津市の木更津駅から君津市の上総亀山駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。

概要
かつて気動車王国と呼ばれた房総半島に残る数少ない非電化路線で、千葉県内のJR線では唯一のものである。列車無線が整備されていないため、乗務員との連絡や運転規制の通告は、駅社員を介すか、衛星携帯電話や業務用携帯電話にて行われている。集客イベントとして、スタンプラリーや「駅からハイキング」などのイベントをJR東日本や沿線自治体の木更津市・君津市・袖ケ浦市などが開催している。
 2009年3月14日より全線が旅客営業規則の定める「東京近郊区間」に指定されたが、久留里線内では「Suica」などのIC乗車カードの利用はできない(烏山線・鹿島線も同様)。東京都内からはJR線で一番近いSuica未対応路線である。 一方、全線において、「休日おでかけパス」を利用できる。
路線距離(営業キロ):32.2km[2]
軌間:1067mm
駅数:14(起終点駅含む。うち、無人駅11駅)
全線単線
全線非電化
最高速度:65km/h
久留里線所属駅にみどりの窓口は設置されていない。

歴史
 久留里線は、千葉県が道路事情の悪さをカバーするため、県内各地に建設した県営鉄道の一つで、建設当時は軌間762mmの軽便鉄道であった。建設工事は大日本帝国陸軍鉄道連隊によって、訓練の一環として行なわれた。1922年に制定された改正鉄道敷設法別表第48号の予定線に「千葉県木更津ヨリ久留里、大多喜ヲ経テ大原ニ至ル鉄道」があげられたことから、1923年に国へ無償譲渡され、鉄道省の久留里線となった。1930年には、1067mmへの改軌が完成し、1936年には上総亀山まで延伸されたが、その先へ伸びることはなかった。この延伸区間は、太平洋戦争中の1944年に不要不急線として休止され、戦後の1947年に復活するという経過をたどっている。
 戦後は京葉工業地帯の通勤客が増えるが、それでも閑散線区の域を出ない。しかし将来性が認められて国鉄諮問委員会による赤字ローカル線廃止勧告を免れる。
 なお、予定線の大原側は、木原線(現在のいすみ鉄道いすみ線)として1930年に開業した。

(この項、「Wikipedia」参照)
しだいに木更津市街地に入っていきますが、まだまだのどかな街道。

振り返る。

 その先の左手に桜並木。金網越しにあるのが「畳が池」。
 

水鳥が一斉に飛び立つ。
 房総で挙兵した源頼朝一行が立ち寄った時に、地元の名主が池の周りに畳を敷いてもてなしたことが名称の由来。
また、頼朝がこの池の葦を折って箸の代わりに使った際に唇を切ってしまい、怒って葦の箸を池に捨てたところ、その後この池には葦が生えなくなった伝承も残っています。(この項、「グルコミ」https://rubese.net/gurucomi001/?id=2775087 HPより)

通りの向かいにあるおうち。お城。

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