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賑やかな秋葉原・中央通りを右折したところにある公園。
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へんてこな(お世辞にもかわいいとは言えそうもない)コスチュームを着たオンナの子が黄色い声を上げてあちこちでビラ配り。これが噂の・・・。
そんな雑踏の混雑がちょっと途切れたところにありました。
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②芳林公園。昌平小。
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ここも大幅改修。「震災復興52小公園」の一つとして開園した当時の面影はない。
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《「芳林公園」の由来》
旧芳林小学校(現「昌平小学校」)に隣接することから芳林公園と命名。
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《芳林小学校》
安政4(1857). 1.18 有馬藩出身で清水家侍臣・金子政成が神田牛込袋町代地(現在の外神田1-18付近)に家塾を開き、加賀藩主前田斎泰が芳林堂と命名、芳林小の前身となる
明治 6. 2. 第5大区第4小区内幼童学所と改称、東京府下私立小学校のさきがけとなる
明治 7. 2. 第1大学区第5中学区第7番小学に編入、3月旧名を冠し芳林小学校と改称
明治 10(1878). 6. 火災により旅籠町2丁目8番地(現在の外神田1-8付近)に移転
明治 19.12. 私立芳林尋常高等小学校と改称
明治 26.12. 東京市神田区代用尋常小学校となる
明治 42.12.22 木造2階建新校舎竣工(現在地)
明治 43(1910). 2.25 隣接の練成小学校から一部児童を収容(学区域整理)し、東京市芳林尋常小学校として開校式挙行
明治 45. 5.31 東京市外神田図書館を校舎内に開設
大正 12(1923). 9. 1 関東大震災により校舎の大半焼失
大正 15. 2. 新校舎建設のため練成尋常小学校地(五軒町17番地)に移転
昭和 3(1928). 4.25 新校舎落成(現在地)
昭和 5(1930). 4. 1 校歌制定、芳林公園開設
昭和 6(1931). 9. 1 東京市芳林幼稚園開設
・・・
(「昌平小」HPより)
実に古い歴史を持った学校です。震災復興校舎は、昭和3年完成。その当時の雰囲気はまったくなく、近代的な建物に大変化。
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また秋葉原駅の雑踏に戻って神田駅方向へ。その前にちょっと寄り道。
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本来なら、「秋葉神社」から、「あきばはら」という読みのはずだが、どうして「あきはばら」と読む(発音する)ようになったのか、いろんな説があるようです。
興味深いのは、駅をつくったとき、「あきばはら」と読めなかった駅員が「あきはばら」と誤って読んだから、とか。・・・。今は、「あきば」という言い方で定着したようなので、元に戻ってよかった!よかった!
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《万世橋》
「万世橋」の歴史は、1676年(延宝4年)に架けられた筋違橋(すじかいばし)に遡る。当橋は、徳川将軍が寛永寺に詣でる時に渡る橋で、現在の昌平橋と万世橋との中間にあった。すぐ南に筋違見附があり、橋はその見附の付属物であった。
1872年(明治5年)に筋違見附が取り壊され、翌1873年(明治6年)にその石材を再利用して、筋違橋の場所にアーチ二連の石造りの橋が完成し、当時の東京府知事大久保忠寛が萬世橋(よろずよばし)と命名したが、次第に「まんせいばし」という音読みの方が一般化した。眼鏡橋とも呼ばれた。
上流の昌平橋が1873年(明治6年)に洪水に流され、1896年(明治29年)に復旧される迄は、現在の万世橋の位置に仮木橋が架けられ、それが昌平橋と呼ばれた。
1903年(明治36年)、一時昌平橋と呼ばれた仮木橋の場所(現在の位置)に新万世橋が架け直され、元万世橋と名を変えた上流の眼鏡橋の方は、1906年(明治39年)に撤去された。新万世橋は1923年(大正12年)の関東大震災で被災、のちに修復された。
大震災後の帝都復興事業に指定され、東京地下鉄道の渡河工事に伴う水路変更の必要もあって、1930年(昭和5年)に長さ26m、幅36m、石及びコンクリート混成の現在のアーチ橋に架け替えられた。
(以上、「Wikipedia」参照)
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