おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

東武線「川間駅」~「栗橋駅」。その4。新利根川橋。旧赤堀川。五霞町。(利根川を歩く。第18回目。)

2022-03-01 21:02:53 | 利根川を歩く

            河川敷の工事が盛んに行われています。

新利根川橋。

              国道4号線・春日部古河バイパスが通る。

        

茨城県猿島郡五霞町と茨城県猿島郡境町との間の利根川赤堀川)を渡る、国道4号春日部古河バイパスである。

1981年昭和56年)4月7日日本道路公団が建設し、20年の償還期間を設けた有料道路として、往復2車線の暫定供用を開始した。2001年平成13年)4月7日に無料開放され、国道4号春日部古河バイパスの一部として管理されている。なお橋脚・橋台等の下部工は竣工時から往復4車線分準備していたものの、長らく暫定2車線のままであった。その後、圏央道の建設工事に並行する形で、4車線化工事を実施し、2015年(平成27年)3月27日に4車線化された

上流の利根川橋の交通量の負担軽減が、架橋目的の一つであったが、有料橋だった当時、通行料金を嫌って所要時間がそれほど変わらない、下流の境大橋へ迂回する車両が殆どで、当初計画していた建設費用や用地費用129億円を通行料金で徴収する償還計画が、計244億円の債務を抱えたまま償還が破綻した

(この項、「Wikipedia」より)

※現在の利根川は、江戸時代、「赤堀川」として開削された。

     

1880年代のようす。現利根川は、「赤堀川」と記されている。南方に流れるのが「権現堂川」。

 

     

2010年代のようす。左は「東北新幹線」。右に、「国道4号線バイパス」と「圏央道」が利根川を渡っている。

浅間山噴火による土砂堆積などの問題に対する治水の目的で、文化6年(1809年)と明治4年(1871年)の2度にわたって行われた赤堀川拡幅を行い、利根川の水の大半が常陸川方面に流れるようになり、赤堀川は事実上利根川の本流が流れることとなった。昭和3年(1928年)に権現堂川が廃されて以降は、かつての赤堀川・常陸川筋が完全に利根川の本流となっている。

土手には咲き始めた菜の花。

                遠くに浅間山。

正面右に赤城山、左に浅間山。

対岸は、茨城県古河市。

  筑波山。

「海から126㎞」。

  遠くに日光連山。

振り返る。

舗装道路はここまで。この先は工事中。

「海から127㎞」。

           

土手下の県道に下ります。

 

迂回して進む。


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