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おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

パンとサーカス

2013-08-17 21:16:21 | 格言・ことわざ
 映画「カリギュラ」(第三代皇帝・カリグラ)から、遅ればせながら古代ローマ帝国の歴史。そこで、気になっていたことばを改めて。 
パンとサーカス
① これは、詩人ユウェナリス(西暦60年-130年)が古代ローマ社会の世相を揶揄して詩篇中で使用した表現。権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘した。愚民政策の例えとしてしばしば用いられている言葉。「パンと見世物」ともいう。
 なお、「サーカス」は、古代ローマで複数頭立て馬車による戦車競走が行なわれた競馬場。拡大して闘技場で行われた剣闘士試合などを含めた、スポーツ観戦などの意味で用いられている。
 地中海世界を支配したローマ帝国は、広大な属州を従えていた。それらの属州から搾取した莫大な富はローマに集積し、ローマ市民は労働から解放されていた。そして、権力者は市民を政治的無関心の状態にとどめるため、「パンとサーカス」を市民に無償で提供した。
 現在の社会福祉政策をイメージさせるが、あくまでも食料の配給は市民の権利ではなく為政者による恩寵として理解されていた。また食料の配布は公の場で行われ、受給者は受け取りの際には物乞い行為が大衆の視線に晒されるリスクを負わされた。この配給の仕組みによって無限の受給対象者の拡大を防ぐことが出来た。
 食糧に関しては、穀物の無償配給が行われていたうえ、大土地所有者や政治家が、大衆の支持を獲得するためにしばしば食糧の配布を行っていた。皇帝の中にも、処刑した富裕市民の没収財産を手続きを以て広く分配したネロ帝や、実際に金貨をばら撒いたカリグラ帝の例がある。
 食糧に困らなくなったローマ市民は、次に娯楽を求めた。これに対して、権力者はキルケンセス(競馬場)、アンフィテアトルム(円形闘技場)、スタディウム(競技場)などを用意し、毎日のように競技や剣闘士試合といった見世物を開催することで市民に娯楽を提供した。
 こうした娯楽の提供は当時の民衆からは支配者たるものの当然の責務と考えられるようになり、これをエヴェルジェティズムと呼ぶ。
 パンとサーカスは社会的堕落の象徴として後世しばしば話題にされ、帝国ローマの没落の一因とされることもある。また、「パンとサーカス」に没頭して働くことを放棄した者(これらの多くは土地を所有しない無産階級で proletari(プロレタリー) と呼ばれた、プロレタリアートの語源)と、富を求めて働く者と貧富の差が拡大したことも、ローマ社会に歪みをもたらすことになった。
 しかし、実際にこれらの給付の恩寵を受けたのは広大な帝国人民のなかで数割にも満たないローマ市民権保有者の、なかでも都市に住んでいる、さらに一部であった。共和政の中期、マリウスの軍制改革までは男性のローマ市民はすべて従軍の義務があり、故郷でパトロネジの庇護を受けるのは男手を奪われ(あるいは生命を奪われ)困窮しがちの中小地主階層であり、彼らは軍団兵の家族であった。
 また、実際に配給されるのは焼かれたパンではなく穀物(小麦粉)であり、当然ながら食べるためには調理器具や燃料が必要であり、帝国化してのち述べられるようになった「働く事を放棄する」というのは大げさな表現である。
 統治者側の視点からみれば、ローマにとって穀物給付は大貴族や皇帝が気まぐれに恩寵的に与え始めたようなものではなく、前123年ガイウス・グラックスによって提案された穀物法(低価格で全市民あるいは貧窮市民への売却)提案に起源をもち前58年にクロディウス護民官により初めて実施されたローマにとって伝統的な意味合いをもった政策でもあった。
 当初はポエニ戦役の勝利により急速に拡大したローマ世界において支配階層となっていった大貴族・騎士階層と、ローマ近在の没落しつつあった中小地主階層との格差問題の解消という緊張関係のなかで提案された法案であった。もっとも、実際に穀物給付が政策としておこなわれはじめた共和政末期には、すでにローマ軍政は給付付きの志願制に変更されていたため、この穀物給付政策は軍団兵家族の救恤といった当初の目的から没落市民への恩給へと、また護民官や皇帝の権威を鼓吹する手段へと変質してゆく。
 この「パンとサーカス」はローマ帝国の東西分割後も存続した東ローマ帝国ではしばらく維持されていたが、7世紀のサーサーン朝やイスラム帝国の侵攻によってエジプト・シリアといった穀倉地帯を失うと穀物の供給を維持できなくなり、終焉した。
 ただし、その後も皇帝が即位時に市民に贈り物を配ったり、年に何回か戦車競争を行うなどローマ皇帝の正統性を示す儀式としては続けられており、帝国末期で国庫が窮乏していた14世紀末の皇帝マヌエル2世の戴冠式の時にも、銀貨が市民に配られたことが記録されている。(「Wikipedia」を参照)

② 「パンとサーカス」は,「ローマの平和」の時代における民衆生活の堕落ぶりを象徴するものと考えられてきた。
 この表現のなかで,パンが意味するのは,民衆への穀物給付であり,サーカスという言葉で表現されているのは,今日の曲芸ではなく,見世物興行一般である。これらの見世物は,円形競技場での戦車競技や競馬,闘技場での剣闘士競技をはじめとするさまざまな格闘技,円形劇場での演劇や黙劇に大別される。これらの食糧,娯楽見世物,公共施設の提供者は富裕な市民,元老院貴族,騎士層,皇帝であった。帝政期には,皇帝の恩恵行為が重要であった。他方,それらの恩恵を受けたのは,共和政末期以来,土地を失ってローマ市に流れ込んだ無産市民たちであった。
 ローマによる地中海世界の支配が確立してくるにつれて,穀物を低廉な価格あるいは無料で給付する法案が提出されるようになった。最初の穀物法案は前123年ガイウス・グラックス(グラックス兄弟の弟)によって提出され,全市民あるいは貧民を対象として低価格で小麦を売却するというものであった。また,穀物の無料給付は前58年の護民官クロディウスの提案によって初めて実施されたが,これ以後,平民身分のローマ市民のすべてを対象とする無料給付が,徐々に制度的体裁を整えるようになった。
 ところで,このような状況を引き起こした契機として重要な位置を占めているのはポエニ戦争である。第一次ポエニ戦争の戦後処理の一つとして,ローマは,支配下に入った土地について,一部を公有地として元老院の直轄下に置くと共に,属州としてシチリア州,サルディニア=コルシカ州を設置した。そして,この措置が,その後の新たな領土に対する処分及び統治形態の原型となった。また,第二次ポエニ戦争を契機として,ローマは地中海世界に進出していった。
 属州支配は,貢租という形でローマに多くの富をもたらすことになったが,その果実は,属州総督(官職貴族)や属州支配のための請負業務を担当した騎士層の手に集中することになった。他方,属州からもたらされる貢租としての穀物は,大都市近在の農民から重要な市場を奪った。また,イタリア以外での戦争が長期化・大規模化する中で,軍隊の中核を構成していた農民層は疲弊し,その被害は甚大であった。
 にもかかわらず,元老院貴族や騎士層などの富裕な市民は,没落した中小農民の農地を購入したり,前述の公有地を占有したりすることによって所有地を拡大すると共に,ローマやイタリアに流入してくる戦争捕虜としての奴隷を入手することによって,一部で大土地所有に基づいた奴隷制大農場経営を形成していった。このように,一方で官職貴族や騎士層が富を集中させていき,他方で,農民が貧困化し,農地を手放してローマ市に流入することによって,ローマ市民の分解がさらに進行することとなったのである。この両極分解の象徴的な現象が,「パンとサーカス」に集約されているとも言える。
 ところで,史料Aの「大盤振舞いと国家の手による穀物の給付で籠絡された民衆が公共への不善に染まらないように,自分たちの仕事(暇つぶしの仕事)を持つことを配慮しなければならない」やあるいはCの「ローマの民衆はとりわけ2つのこと,つまり穀物と見世物で掌握すること」に典型的に示されているように,「パンとサーカス」は,ローマの民衆を掌握するための手段として留意されなければならない行為であること,つまり,為政者による人心掌握のための,人気取り政策である考えられてきた。
 しかし,このような施与者と享受者との相互依存を民衆の物質的満足による脱政治化あるいは政治の腐敗としてとらえるのはあまりに近代的な解釈にすぎないことが指摘されている。(「www.ec.kagawa-u.ac.jp/~shigeru/report1-model.pdf」より)


③ “パンとサーカスの政治”は長続きしない、ハシズムの分析(その2)広原盛明(都市計画・まちづくり研究者)
 大阪ダブル選挙の結果について各方面からの論評が相次いでいるが、そのなかでも興味深いのは、関西財界が今回の選挙結果を必ずしも手放しで歓迎していないことだ。たとえば「中立財界、根深い不信」と題する朝日新聞の記事(11月28日)には、こんな一節がある。
「橋下氏の政治手法に経済界の不信感は深い。ある財界幹部は、「橋下氏が敵を攻めて人気を得る『けんかパフォーマンス』ばかり続ければ、企業が競争力を培える風土はつくれない」。企業幹部は「壊すだけ壊して新しいものをつくり出してくれるの」と危惧する。都構想にも冷ややかな声が目立つ。関経連幹部は「法律改正が必要で市長だけでは実現できない。全く期待していない」。関西経済同友会の大林剛郎代表幹事(大林組会長)は27日夜、「中身を詰め、わかりやすく説明する責任がある」とコメントした。」
 また日経記事(11月28日)は、御厨東大教授と片山前総務相の批判的コメントを「識者の見方」として掲載し、大阪ダブル選挙に対する社の意見を代弁させた。御厨氏のコメントは、「(大阪維新の会が)集団で動き出すと怖い。どこかで議会制民主主義を超える危うさを感じる。」というもの。そして片山氏のそれは、「橋下さんの手法は、反対する人は間違っているというやり方で合意形成にふさわしくない。(略)「大阪都構想」は二重行政など問題の解決の一つの選択肢だと思うが、大阪都ですべてうまくいく、東京のように繁栄するというのは幻想だ。」というものだ。
 どちらの記事も大阪ダブル選挙の結果が全国的な政治再編の引き金になることを警戒し、大阪維新の会が政界の「第三極」の焦点になることへの懸念を表明しているかに見える。言い換えれば、大阪維新の会が箱根を超えて東京へやってくることへの予防線を張っているかのようだ。なぜ関西財界がかくも橋下政治に「不信」を持ち、「危惧」を感じるのか。またマスメディアのなかにも同様の警戒心が見て取れるのか。そこにはこれから起きるかもしれない全国規模の政治変動への支配体制側の不安感が透けて見えるというものだ。
 関西財界が今回のダブル選挙で中立の立場を貫いたのは、盟主格の関西電力が橋下氏の「脱原発依存」の公約を警戒していることもあるが(関電は平松陣営の中核勢力の一員だった)、それ以上に「何をしでかすかわからない」ハシズムに一抹の不安感を抱いているためだ。またその結果として、ハシズムの「やり過ぎ」に対するこれからの大阪府市民のリアクション(反動)が怖いためだ。
 これまで大阪府市政は「オール与党体制」だったこともあって、財界との間には「信頼できる安定した関係」が構築されていた。関経連や同友会などの大阪財界と府市当局・府市議会幹部との間には太いパイプがあり、いつでもどこでも財界の意向を反映できる仕組みが出来上がっていたからだ。それが橋下氏という「壊し屋」が現れ、大阪府庁をやみくもに掻きまわしたうえに大阪市役所まで乗り込んできたのだから、いままでの体制をそのまま維持できるかどうか不安になったのである。
 一般の有権者とりわけ今回はじめて投票に行った初心(うぶ)な若者層に対しては、橋下氏の「大阪を変える!」とか「大阪都にしてニューヨーク、パリ、ロンドンに対抗できる世界都市にする!」といった威勢のいいスローガンが効果を挙げたのかもしれない。しかし政治経済事情に明るい財界(玄人筋)からすれば、それは「子ども騙し」のキャッチコピーに過ぎず、中身が何もない空文句でしかなかった。彼らは一様に、「こんな杜撰(ずさん)な選挙公約でよくもこれだけの票を取れたものだ」と感心した(呆れた)という。
 それはそうだろう。ハシズムの真骨頂は見せかけの「パンとサーカスの政治」の演出にあるのであって、それを全面展開したのが今回の大阪ダブル選挙だったからだ。「パンとサーカス」というのは、ローマ帝国時代の退廃した社会状況のことで、権力者からタダで与えられる「パン=食糧」と「サーカス=娯楽」によって、被支配者である民衆が政治的盲目状態に置かれたことを意味する。だから「パンとサーカス」は、一方では民衆の社会的退廃や政治的堕落の象徴となり、他方では愚民政策による政治体制崩壊はじまりのシンボルとなったのである。
 イギリスのフィナンシャルタイムズをはじめ、多くの海外紙も大阪ダブル選挙を単なる一地方選挙だとは見ていない。そこに流れている論調は、国政(政党)選挙の“代理戦争”として大阪ダブル選挙が現象したのであって、大阪維新の会が既成政党に対する政治不信の「受け皿」になったというものだ。遅まきながら民主党・自民党もその気配を察したらしく、警戒感を露わにしながらも懐柔とすり寄りの工作を始めた。
 関西財界の目下の懸念は、橋下氏が「サーカス」の演技者としてはたしかに巧妙ではあるものの、肝心の「パン」が本当は「見せかけ」だとわかったときに、大阪府市民がいったいどんな反応(反動)を示すかということだろう。なぜなら、大阪ダブル選挙は表面的には「大阪維新の会」の圧勝に終わったものの、その底流には海外紙の指摘するごとく、財界と既成政党そしてマスメディア(御用学者も含めて)などが結託して牛耳っている日本の“翼賛体制”への巨大な反撥エネルギーが横たわっているからである。
 大阪維新の会の圧勝は、財界と既成政党による”翼賛体制”に対する大阪府市民の批判を反映したものであって、決して財界が期待するような構造改革や市場原理主義の推進を求めるものではない。だから、橋下氏が大阪都構想を掲げて一見「現状打破」に動いているように見えるうちはよいが、それが民衆の「パン」につながらないことが明らかになったときは、「反ハシズム」の流れは一挙に現在の大連立体制批判に向かう可能性がある。橋下氏が支配階級にとっても「両刃の剣」であり、「危険な扇動家」と目されているのはそのためだ。
 財界や既成政党の目下の本音は、橋下氏にやるだけやらせておいて「あとはできるだけ早く消えてほしい」というものだろう。ハシズムにあまり悪乗りして「行政刷新」と「民営化」をやり過ぎると、橋下ブームが去ったときに財界が批判の的になるのを恐れてのことだ。だが、劣化した既成政党や政治世界がハシズムをコントロールできるとも思われない。「行きつくところまで行かなければ」ということにならないとも限らないのである。
 橋下氏は、当面「壊し屋」の本領を発揮して大阪市役所の「既得権益」に切り込み、大阪府市民の拍手喝采を浴びるかもしれない。なぜなら長年のオール与党体制と解放同盟との癒着によって、大阪市政には「大掃除」しなければならない“ヘドロ”がうず高くたまっているからだ。だが「同和問題はいまだ解決されていない」と広言する橋下氏が、果たして有形無形の膨大な関係事業にメスを入れることができるかどうかは保証の限りでない。
 その代わり「既得権益の打破」などと称して市民生活に不可欠な補助金や公共サービスをカットし続ければ、「パン」を失った人たちの間では生活保護受給率やひったくり犯罪日本一などの「大阪ワースト指標」が一段と跳ね上がることは間違いない。問われるのは「ハシズム」の内実(本質)であって、そのときに新しい担い手として政治舞台に登場するのが、今回のダブル選挙で橋下氏に投票した若者層であろう。
 彼らには橋下氏に対する「現状打破」の期待が大きくかつ投票という政治行動を体験しただけに、その政治エネルギーは既成政党をはるかに超える「マグマ」を秘めている。若者層を動員して投票行動に踏み切らせた大阪ダブル選挙の歴史的意義が検証される日は、それほど遠くないのかもしれない。(「リベラル21」2011.12.05より)

 3つの資料を挙げた(③は、少し前の内容だが、現在的な意味を持つ)。カリギュラは、兵士やローマ市民の間では大変人気があったという。国家の財政を一気に破綻させるほど金貨をばらまくなどの大盤振る舞いや大会場での公開処刑などを行って、貴族や大衆の歓心を買う。一方で、元老院など敵対する者たちを一掃していったが、精神異常を高じさせ、わずか4年の治世で暗殺された。次の、次の5代目皇帝が暴君ネロ、というふうに続く。

 今の日本。一部の金持ち階層を自作自演の経済成果に浮かれさせ、オリンピック招致をなんとしても実現し、国民の期待感をあおり、さらに、「カジノ」解禁・特区作り、さらに、国民投票の年齢を18歳に引き下げる・・・。福島原発事故でまだ15万人も故郷を離れて生活していることは忘れ去られ、原発再稼働」「原発輸出」・・・。
 これらの政策こそが閉塞感を打破させる特効薬だとばかりマスコミはアベ政権賛美の言動を我先に行っている。
 「パン」。生活保護給付を減額した上に、まるで受給者に物乞い的対応をとることを強いる。まさにお上の恩寵的行為として、社会福祉政策が転換されようとしている。消費税アップ時に、またしても現物支給、現金支給ばらまき策が公明党の発案で行われるかもしれない。一方で、「働かざる者食うべからず」との世論を為政者自らが作り上げていく。
 国民の関心を広く、深く政治や経済、教育に向けさせることを巧みに阻止し(「狂騒」はダメ、「静かに」「静かに」と言論を封じ)自らの野心を満足させていく「手口」。
 こうした風潮に歩調を合わせるかのように(先取りするかのように)、松江市の小中学校の図書館では「はだしのゲン」を開架から閉架へと非公開に近い扱いに。戦争、まして原爆は悲惨きわまりない実態であることを「残酷」な描写があるからとの理由で。 

 漫画家の故中沢啓治さんが自らの被爆体験を基に描いた漫画「はだしのゲン」について、「描写が過激だ」として松江市教委が昨年12月、市内の全小中学校に教師の許可なく自由に閲覧できない閉架措置を求め、全校が応じていたことが分かった。児童生徒への貸し出し禁止も要請していた。出版している汐文社(ちょうぶんしゃ)(東京都)によると、学校現場でのこうした措置は聞いたことがないという。
 ゲンは1973年に連載が始まり、87年に第1部が完結。原爆被害を伝える作品として教育現場で広く活用され、約20カ国語に翻訳されている。
 松江市では昨年8月、市民の一部から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出された。同12月、不採択とされたが市教委が内容を改めて確認。「首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」と判断し、その月の校長会でゲンを閉架措置とし、できるだけ貸し出さないよう口頭で求めた。
 現在、市内の小中学校49校のうち39校がゲン全10巻を保有しているが全て閉架措置が取られている。古川康徳・副教育長は「平和教育として非常に重要な教材。教員の指導で読んだり授業で使うのは問題ないが、過激なシーンを判断の付かない小中学生が自由に持ち出して見るのは不適切と判断した」と話す。・・・

 ことの発端・本質は、日本軍の描き方への批判を行っている市民(団体?)からの圧力に屈したこと。???
 子ども漫画、アニメ、ゲームソフトには激しい戦闘場面などは、当たり前の世界。そちらの方はOK、そうした刹那的でおもしろいものさえ与えて、見させておいた方がいいのだという感性(これからはそういうものも規制の対象にしていくのだろうか?)。現実(過去の、繰り返してはならない「現実」を含め)を子どもの目からそらせていく、そんな流れさえ感じさせる。

 実は、「パンとサーカス」の恩恵に預かることができたのは、一部の、市民権を持つローマ市民のみであって、結果的には多く労働者(奴隷)や地方は疲弊し尽くしてしまった。・・・、こうした古代ローマの教訓をどう受け止めるか?
 

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