おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

西武多摩湖線「一橋学園」駅~JR青梅線「牛浜」駅。その3。(「五日市街道」。第2日目。)

2019-02-08 21:02:55 | 五日市街道
                           (12:44)「砂川三番」交差点。右から来る道が「大山道」
しばらく進んだ先を左に折れる。

角に「大山道」という道路標示。

道路の反対側に「大山道」と刻まれた道標があります。

                                 



1880年代のようす。↓が道標のあるところ。右上から左下に進む。  



2010年代のようす。北は「青梅街道」とクロスするらしい(「多摩モノレール・桜街道」駅付近)。                              
《参考》「桜街道」駅付近。この農道が「大山道」のようです。

大きなお屋敷。

西に進みます。「五日市街道」という標識。

 この先、屋号の入った土蔵造りが目立ちます。
 

 

りっぱな建物。屋根には鯱。

(13:04)「残堀川」。

                      

 狭山丘陵西端付近にある狭山池(東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎)に源を発し、立川断層に沿って南東に流れ、武蔵村山市の旧日産村山工場の敷地に突きあたってから南に流れを変える。ここから下流は河道付替工事による人工の流路である。立川市一番町付近で玉川上水を乗り越え、国営昭和記念公園の西辺に添いながら昭島市に入る。東向きに曲がって同公園の敷地に入り立川市域に再び入る。公園内で再び南に向きを変え、立川市富士見町3丁目でほぼ直角に曲がり、立川市柴崎町で多摩川に合流する。
 元々は狭山丘陵の小河川の水を集めて南東に流れ、矢川に注いでいたと考えられている。
・・・1963年(昭和38年)氾濫対策として、玉川上水を越える形に変え、1982年(昭和57年)「残堀川流域整備計画」が策定され、その計画に沿って河川改修工事が施工された。
 しかしそれ以降は年間を通じて、降雨時およびその直後を除くと水流の殆ど見られない「瀬切れ」を頻繁におこすようになり、場所によってはその名の如く「堀だけが残る川」となってしまった。・・・
(以上「Wikipedia」参照)

 前掲の「株式会社いずみホーム」HPによれば、

 ・・・残堀川は、狭山丘陵の湧き水を水源として南東に流れ、多摩川に注ぐ清流だったそうです。乾期には川底が現れ、雨期には護岸もないので暴れる川でもあったようです。「水量が少なく川底が見える」、あるいは「昔から大雨のたびに氾濫する暴れ川で、洪水のたびに大量の土砂を流域に堆積させて人々を困らせたことから」土地の人々は砂の川と呼び、これが砂川という地名の由来となりました。
 残堀川は蛇が掘る川(蛇堀川)から「残堀川」と呼ばれるようになったようです。

 この川は、やはり「青梅街道」歩きの時にも渡りました。
《参考》上流の「伊奈平橋」付近。

(13:13)その先で「玉川上水」と出会い、「天王橋」を渡ります。 



 
                               「玉川上水」。水量は多い。

「西武拝島線」のガードをくぐります。

茶畑が広がります。

この土蔵造りにも屋号が。

大きなお屋敷が目立ちます。

 (13:40)「西砂」交差点で「現五日市街道」は斜め左に曲がりますが、旧道はそのまままっすぐ進みます。


                     ↓の方向。

 手前にあるコンビニで、しばし休憩。

(13:52)旧道からさきほどの分岐点方向を望む。

行く先(西)を望む。

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