「色仕掛け」。図版の構成につけたネーミング。まさにいろんな意味での色の仕掛けを筆者が呼び名「RG視」(一方の眼に赤色フィルタ、他方の眼に緑色フィルタをつけて見る方法。立体メガネ)で具体化しています。眼にも右利き、左利きがあるらしい。そして、筆者に言わせるとおよそ80%の人が右眼利きだとか。
そこで、左目には赤色、右目には緑(実は青緑色)のフィルターを付ける。そのRGメガネによって見させるための図版が多く掲載されています。そこから見えて来るものは何か。実際に見たわけではないのですが(出来たら、この本の附録としてそのメガネが挟み込まれているとよかったなあ!)不思議なまさに「色仕掛け」の世界が展開する(そうです)。
透明な「いろ」が不透明な「色」として識別され、具体的に命名され広がる色の世界。これは、筆者が言うところの「眼と脳が作り上げる世界」にほかならない。
当然、時代や文化によっていろを分別するための「言語」としての「色」の名にも違いや変化が出て来る。ある時代にはおとしめられていた「色」が時代の色(雰囲気・人々の嗜好なども含めて)によって価値が高まり、愛好されることも。
色彩学。筆者が色「バカ」(本人の言)になって50年。その蘊蓄を傾けた不思議な色の世界を説いています。
現れる色はすべて眼と脳の働きによるもの。幻? 波長として存在する「いろ」が見えるという不思議さ。そこから、「時代を演出する色の名前」(ここでは江戸の浅黄色と茶色が登場)「環境としての色」(ここでは空の青さの秘密、緑をめぐる色彩誌など)「白と黒」(ベンハムの独楽=白と黒色の半円分割の独楽上に4箇所放射線状に配置された3本の円弧が黒色で描かれている=を回転させると、有彩色が見えるという。)
筆者は、漢字の成り立ちなどにも洞察して上での「色」の解釈なども語られます。例えば、「黒」。漢字は、火によって燻されたという字形。人工的なものだ。それと自然に存在する「黒色」との関係性。雷という字のから浮かび上がる自然の色観。
他にも、在りし日の「トキ」の「トキ色」とはどういう色だったかなど、多彩な話題変幻自在に登場します。すべてが「色仕掛け」になっています。筆者の長年の研究の集大成とも言うべき内容が、素人にも分かりやすく紹介されています。
厚手の書ですが、興味深く読み終えることが出来ました。
そこで、左目には赤色、右目には緑(実は青緑色)のフィルターを付ける。そのRGメガネによって見させるための図版が多く掲載されています。そこから見えて来るものは何か。実際に見たわけではないのですが(出来たら、この本の附録としてそのメガネが挟み込まれているとよかったなあ!)不思議なまさに「色仕掛け」の世界が展開する(そうです)。
透明な「いろ」が不透明な「色」として識別され、具体的に命名され広がる色の世界。これは、筆者が言うところの「眼と脳が作り上げる世界」にほかならない。
当然、時代や文化によっていろを分別するための「言語」としての「色」の名にも違いや変化が出て来る。ある時代にはおとしめられていた「色」が時代の色(雰囲気・人々の嗜好なども含めて)によって価値が高まり、愛好されることも。
色彩学。筆者が色「バカ」(本人の言)になって50年。その蘊蓄を傾けた不思議な色の世界を説いています。
現れる色はすべて眼と脳の働きによるもの。幻? 波長として存在する「いろ」が見えるという不思議さ。そこから、「時代を演出する色の名前」(ここでは江戸の浅黄色と茶色が登場)「環境としての色」(ここでは空の青さの秘密、緑をめぐる色彩誌など)「白と黒」(ベンハムの独楽=白と黒色の半円分割の独楽上に4箇所放射線状に配置された3本の円弧が黒色で描かれている=を回転させると、有彩色が見えるという。)
筆者は、漢字の成り立ちなどにも洞察して上での「色」の解釈なども語られます。例えば、「黒」。漢字は、火によって燻されたという字形。人工的なものだ。それと自然に存在する「黒色」との関係性。雷という字のから浮かび上がる自然の色観。
他にも、在りし日の「トキ」の「トキ色」とはどういう色だったかなど、多彩な話題変幻自在に登場します。すべてが「色仕掛け」になっています。筆者の長年の研究の集大成とも言うべき内容が、素人にも分かりやすく紹介されています。
厚手の書ですが、興味深く読み終えることが出来ました。
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