おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

京成本線「佐倉」駅~「成田」駅。その5。(「佐倉街道(成田街道)」をゆく。第3日目。)

2019-04-18 20:52:45 | 佐倉街道
                     「酒々井宿」を出て北に向かいます。
左手に石造物が数体。

成田空港15㎞」の標示。
                           成田から佐原に行く途中、成田空港の地下道を通ります。

(13:24)左手眼下が開けてくると、「下がり松」。
「下がり松」印旛沼眺望名勝地
 下がり松は酒々井宿の北のはずれにある印旛沼に向かって視界がひらけた眺めのよい場所です。印旛沼に浮かぶ高瀬舟や漁師の小舟、遠くには筑波山まで眺めることができました。
 天保元年(1830)正月、村人がこの地の風景をいとおしみ、下がり松周辺を切り開き茶店を開いたことによって、成田山への参詣客などたくさんのお客がこの風景を眺める最適な場所となりました。
 下がり松からの風景は、酒々井の景勝地として江戸時代の終わりから明治時代にかけてたくさんの浮世絵や地誌、紀行文などに描かれました。

「下がり松の展望」
 酒々井町北の方一坂を降り、右折すれば下り松と称するところに出づ
 地形優雅近く印旛湖を眺み遠く波山の佇立せるを観・・・
 天保元年正月村人何某此の地の風景を賞し樹を伐り荊棘を抜き
 好位置を占して一茶亭を開設し衆客の観光を便す
                         『印旛郡誌』

今も遠くに筑波山(↓)が望める絶景の地。田畑が一面に。

              
      
1880年代のようす。↓付近か?「松」の標示あり。   2010年代のようす。左上は「京成酒々井駅」。


JR・京成「酒々井駅」付近へ。これから開ける土地?

 街道筋ですが、現在の駅周辺はかつては家数も少なく、酒々井の宿(中心)から北に離れたところだったようです。

ご当地キャラが描かれた案内表示。
                      本佐倉城のマスコットキャラクター「勝っタネ!くん」
 国指定史跡 「本佐倉城跡」の3代城主だった千葉勝胤をモチーフに誕生した、文武両道と勝利の神様で約500歳の「勝っタネ!くん」は、体は幸草の種・手と足は大地に根を張る根っこで出来た殿様です。
 手に持つ名刀で弱気損気は一刀両断!本左倉城に住みながら千葉県内の多くのイベントに登場して活躍しています。
         

 この地域にはそれぞれ「ゆるキャラ」が多くあるようです。これもその一つ。井戸っ子」。

(13:33)「ふれあい駅前通り」交差点。

左に曲がり、すぐ右手の道を進みます。正面の道が旧道。

                         


このお宅も珍しい姓。「小別當」さん。全国でどのくらいの方がいらっしゃるのか。
【読み】こべっとう
【全国順位】 29,034位
【全国人数】 およそ120人
【名字の由来解説】
 現千葉県北部である下総発祥ともいわれるが、伝統的な名字である。近年、千葉県に多く特に印旛郡酒々井町酒々井に集中してみられる。
(この項、「」HPより)


別当」だと、以下のようですが。
①律令制度の下で、令外官として設置された検非違使庁や蔵人所などの責任者。対外的な責任者であるとともに、天皇・太政官との連絡にあたった。後には一部の寮・司にも別当が設置された。
②各地に設置された勅旨牧の現地責任者として牧監がかれていたが、武蔵国のみは別当と称している。
③10世紀に入ると、遥任している在京国司が自己の家司を現地に派遣して在庁官人を指揮させることが行われるようになるが、その家司を目代・別当と称した。
④平安時代以降の院、女院、親王家、摂関家以下の公卿の家政を担当する院司・家司の上首(長官)のこと、後にそれらの家に設置された政所 、侍所などの家政機関の長に対しても用いられた。
 なお、鎌倉幕府の行政機関である政所、侍所などの長官を「別当」と称するのも、それらの機関が初代将軍源頼朝の家政機関が転じて鎌倉幕府の行政機関になったことに由来している。
⑤東大寺、興福寺、四天王寺などの諸大寺で、寺務を統括する長官に相当する僧職。

(以上、「Wikipedia」参照)

 「小別当(當)」は、その補佐役としての地位なのか。いずれにしても由緒ある姓には違いなさそうです。

何カ所かに道標があります。火の見櫓の三叉路に。(↓)
                     右の道標 (正面)此方酒々井停車場道 (右面)此方成田宗吾道  明治期のものらしい。
                     左の道標 (正面)二王ミち  こちらは江戸期のもので正面以外は摩滅が激しい。

ここにも。 
                 (正面)成田佐原道  宗吾安喰道 (右面)酒々井停車場 佐倉千葉道
                 (左面)酒々井停車場   道

国道と合流手前に。  
                (正)佐倉千葉道 成田佐原道 (左)上岩橋青年分団鈴木金兵エ (右)七栄三里塚道

注:道中にある道標の碑文については「旧成田街道・・・・沿道にある石造道標一覧」HPを参照しています。

 (13:44)その先で「国道51号線」に合流します。
 

(13:48)次の信号を右に入ります。信号機の下に道標が立てかけてあります。
               (正)奉納仁王尊 南 さくら道 木村十右衛門 (右)東なりた道 (左)寛政二戌十一月吉日 大崎
                                注:「寛政2年」=1790年


1880年代のようす。屈折した道(旧道)。西は印旛沼の湿地帯。


2010年代のようす。下の↓に三叉路の道標、上の↓に信号機下の道標。

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