おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

京成本線「佐倉」駅~「成田」駅。その6。(「佐倉街道(成田街道)」をゆく。第3日目。)

2019-04-19 18:56:45 | 佐倉街道
                            (13:49)ゆっくりと上っていきます。
 里山の道に入ります。旧道が思ったよりも残っています。


                          

里山らしい雰囲気。
                            「国道51号線(現成田街道)」を進んでいては、お目にかかれません。
鬱蒼とした竹林。街道筋に目立ちます。

来た道(坂道)を振り返る。 

国道が眼の下に。坂をなくして切り通しにしたようです。

(13:59)合流地点に「伊篠(いじの)の松並木跡」がある。

                      
昭和43年の千葉県指定史跡を表す木製の大きな標柱と「【史跡】 成田道伊篠(いじの)の松並木跡」解説板。
 伊篠の松並木は国道51号線に沿った旧成田街道約800㍍の地域の松並木であった。通称杢之進並木(もくのしんなみき)といわれ、享保年中(1716~35)に佐倉七牧を支配した代官小宮山杢之進が植樹したと伝えられていたが、樹齢300年~350年であることから、年代が合わず、おそらくこれより早い時期に道中者の便を図って植えられたものと思われる。
 昭和43年4月に県の史跡として指定された当時は巨松36本が松並木を形成して、街道の美観を誇っていたが、昭和50年代になって、松喰虫の被害を受けて次々と枯れ、昭和57年7月には県の指定が解除となり、昭和59年7月に町史跡指定に変更された。
 昭和60年11月最後まで残った2本も枯損し、その後町史跡指定も解除され、今は史跡としての名称だけが残されている。

 脇に指さし道標もあり、「宗吾道」と刻まれています(指は左手をさしている)。

しばらく国道に沿った旧道を進みます。

両側は盛り土になっていて、そこに植えられていたのか? 切り株。

                   

何本か、若松が。 

満開のサクラ。振り返って望む。

左手に「道標」などいくつか。

・(正)右成田道
 (左)左いんばぬま道
 (右)万延二辛酉年正月吉日

注:「万延2年」=1861年

別の道標には
・(正)成田山  是より壱里余

(14:12)「コンビニ」のところで国道に合流。

来た道を振り返る。


1880年代のようす。曲がりくねった道となっています。街道には並木のマーク。


2010年代のようす。現成田街道は直線路に。右はJR成田線。

 何本かの若松も育っているようなので、復活させたらいいと思いますが。

国道を渡り、斜め左に入ります。また静かな里山の道。

落ち葉に敷き詰められたこんな脇道も。

(14:17)田園風景。

振り返って望む。

国道に合流する手前。緑の竹藪の中に満開のサクラ。

                 

1880年代のようす。

2010年代のようす。

(14:30)「千葉から24㎞」ポスト。

いよいよ成田市入り。

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