おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

神奈川宿。松並木。新旧味わいのある街並み。横浜編その6。

2014-02-27 21:05:33 | 旧東海道
注:「神奈川宿」(歌川広重『東海道五十三次』より:現在の青木橋付近から横浜駅西口方面にあった海を望む)は、「Wikipedia」より拝借。 

 仲木戸駅周辺はかつての神奈川宿。東海道の品川、川崎、そして神奈川宿と3番目の宿場町だった。旧東海道に見立てた松並木の復活、古い寺町、神奈川砲台(台場)など見所満載。
 そして、「第一京浜」を越えて、東高島駅の東側は高層マンションが建ち並ぶ一帯。ここは、もともと「神奈川砲台」の先の埋め立て地・山内埠頭周辺地区。かつては、日本鋼管・浅野造船所など、工場・倉庫が建ち並ぶ広大な敷地があったところ。
 新旧入り交じった街並みを散策。
パンフレット「神奈川宿 歴史の道」(横浜市神奈川区役所 発行)。
掲載されている案内図。

《神奈川宿(かながわしゅく、かながわじゅく)》

 現在の神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町付近にあり、付近には神奈川湊があった。


「国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所」HPより引用)左のまとまった集落が「神奈川宿」で、上の図にあてはまる。


1880年(明治13年)頃の横浜のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。海岸に沿った、中央の街並みが「神奈川宿」。東海道は平沼(かつては海)の上部(北側)のへりを程(保)土ケ谷へ向かった。高島山・権現山と続く台地を切り通して造成された鉄道は弓状に築かれた堤の上を通って、現桜木町駅(初代横浜駅)方向に進んでいた。現横浜駅(三代目)は弓状の付け根(上部)よりやや西のあたりになる。

《神奈川宿》

 神奈川宿は神奈川湊の傍に併設された町であり、相模国や武蔵国多摩郡方面への物資の経由地として栄えた。なお幕末には開港場に指定されたが、実際には対岸の横浜村(現在の中区関内地区)が開港となり、開国以降次第に商業の中心はこの横浜村に移っていった。
 神奈川町と青木町の二町からなり、両町の境には滝野川(現滝の川)が流れていた。
 旧東海道は現在の国道15号と宮前商店街を通り、神奈川駅及び青木橋の西側、台町、上台橋を通っていた。旧東海道はそのまま上方見附を経て芝生(しぼう)村から現在の環状1号線に沿って天王町駅、保土ヶ谷駅方面へ進む。
 台町から海を見下ろす眺望は十返舎一九の『東海道中膝栗毛』や歌川広重の浮世絵にも紹介され、名所とされていた。神奈川沖の海は、葛飾北斎の『富嶽三十六景』神奈川沖浪裏にも描かれた。また、宮洲(青木町の海岸、現在の栄町)の潮干狩りも名物であった。
 明治22年(1889年)に神奈川町、青木町、芝生村が合併し神奈川町が成立、1901年(明治34年)に横浜市に編入された。
 成仏寺の東にある「神奈川地区センター」の前には高札場が再現され、館内に江戸時代の神奈川宿のジオラマが展示されている。

注:「江戸時代」とあるが、展示されてあるのは、幕末、開国の頃のもの。
左にあるのが、神奈川砲台。中央部分が現在の「仲木戸駅」付近。「第一京浜」が旧東海道に当たる。
矢印が神奈川砲台(台場)。
矢印が「神奈川地区センター」。
手前の海が神奈川湊付近。「東海道」は現在の「青木橋」付近から北へ曲がり、台町へ進んでいた。左上に上っていくのが分かる。「上台橋」付近が神奈川宿の西のはずれ。
(以上、「ジオラマ」より)

《神奈川湊(かながわみなと)》

 神奈川湊が記録に現れるのは、鎌倉に幕府が置かれた13世紀以降のことである。しかし、古代から東京湾内海交通の拠点として、六浦(神奈川県横浜市金沢区)・品川(東京都品川区)・富津(千葉県富津市)・木更津(同木更津市)などとともに、当地に港が存在したことは確認されている。
 神奈川湊とその湊町は、鎌倉時代には鶴岡八幡宮が支配し、室町時代には関東管領上杉氏の領地となった。江戸時代には東海道が整備され、慶長6年(1601年)に神奈川へ宿場が置かれた。神奈川宿と神奈川湊は、幕府の直接支配を受け、神奈川陣屋がこれを担った。神奈川湊の周辺には、北に生麦湊、新宿湊があり、南に戸部湊、野毛湊があった。
 安政5年(1858年)、神奈川湊沖・小柴(横浜八景島周辺)に碇泊していたポーハタン号上で日米修好通商条約が締結された。同条約では「神奈川」を開港すると定められていた。しかし、街道を通行する日本人と、入港する外国人との間の紛争を避けるために、神奈川湊の対岸にある横浜村に港湾施設や居留地をつくり、開港した。これが現在の横浜港となった。そのため、外国人に対しては横浜は神奈川の一部と称した。

《名所・旧跡》

神奈川陣屋跡 - 江戸幕府の付近一帯の領地を所管する機関であった。
神奈川御殿跡 - 将軍上洛や鹿狩りの際の宿泊施設。利用されなくなったため、17世紀半ばに廃止。仲木戸という地名は、御殿の木戸があったことにちなむという。
神奈川台場跡 - 現在の高島線東高島駅付近。埋め立てなどにより、構築物の大半が埋没している。
神奈川台関門跡
長延寺跡 - 江戸見附とされていた後、旧オランダ領事館も兼ねる寺であった。長延寺は1966年、横浜市緑区三保町に移転し、跡地が神奈川通東公園となっている。
能満寺 - 漁師が海中から拾い上げた霊像を供養するために建立。
東光寺 - 本尊は太田道灌の守護仏。
妙仙寺跡 - 1908年移転した、現在の妙蓮寺である。跡地は横浜線貨物線路敷跡。
成仏寺 - 旧アメリカ人宣教師の宿舎で、ヘボン式ローマ字で知られる宣教師ヘボンが滞在していた。
慶運寺 - 旧フランス領事館。浦島太郎が竜宮城から持ち帰ったとされる、観音像がある。
浄瀧寺 - 旧イギリス領事館。
宗興寺 - 宣教師ヘボンが療養所を開いていた場所。
良泉寺 - 故意に屋根を壊して外国の領事館になることを断った、という逸話を持つ。
甚行寺 - 旧フランス公使館。
本覚寺 - 旧アメリカ領事館。横浜開港の頃にアメリカ領事館員が塗った、日本初のペンキ塗装の山門が現存する。また、生麦事件で斬られたイギリス人2人が逃げ込んだ場所でもある。
豊顕寺 - 三ッ沢に所在。法華宗の三沢檀林。
笠䅣稲荷神社(「䅣(のぎ)」は、「禾(のぎへん)に皇」)
神明社
熊野神社
洲崎神社 - 洲崎大神。1191年(建久2年)に源頼朝が安房神社を勧進して創建。
大綱金刀比羅神社
大井戸跡 - 江戸時代には東海道中の名井戸に数えられた。また、井戸の水量の増減で明日の天気がわかるとされ、「お天気井戸」の異名があった。
権現山古戦場跡
滝野川・滝野橋(「滝野」は「滝の」・「滝ノ」・「滝之」とも表記)- 神奈川宿の中央を流れる川。
青木橋 - 1872年(明治5年)、新橋-横浜間に開通した鉄道の切通しにより東海道が分断されたため、少し東寄りの位置に架けられた。当初の初代横浜駅は青木橋の南側にあった。
上台橋 - 1930年(昭和5年)、道路の切通しを作るために東海道が分断されたため架けられた。
田中家 - 1863年(文久三年)創業の料亭。広重の絵に描写されている「さくらや」という茶屋の跡にできたといわれる。坂本龍馬の妻楢崎龍が仲居として働いていた記録があり、写真等が現存する。
(以上、「Wikipedia」参照)

京急線と第一京浜との間の道に「松並木」が再現されている。ただし、旧東海道はもう一本東側(第一京浜)の道だったが。
まだ細い幹だが何十年後には立派な松並木に。


よく整備された道筋。由緒ある寺院が沿道に並んでいる。
「外国宣教師宿舎跡」。成仏寺門前にある碑。ヘボン式ローマ字で有名な「ヘボン」氏が宿舎としていたらしい。

ちなみに「ヘボン式ローマ字つづり」一覧(PASSPORT)

あ A い I う U え E お O
か KA き KI く KU け KE こ KO
さ SA し SHI す SU せ SE そ SO
た TA ち CHI つ TSU て TE と TO
な NA に NI ぬ NU ね NE の NO
は HA ひ HI ふ FU へ HE ほ HO
ま MA み MI む MU め ME も MO
や YA ゆ YU よ YO
ら RA り RI る RU れ RE ろ RO
わ WA ゐ I ゑ E を O

半濁音
が GA ぎ GI ぐ GU げ GE ご GO
ざ ZA じ JI ず ZU ぜ ZE ぞ ZO
だ DA ぢ JI づ ZU で DE ど DO
ば BA び BI ぶ BU べ BE ぼ BO
ぱ PA ぴ PI ぷ PU ぺ PE ぽ PO

拗音
きゃ KYA きゅ KYU きょ KYO
しゃ SHA しゅ SHU しょ SHO
ちゃ CHA ちゅ CHU ちょ CHO
にゃ NYA にゅ NYU にょ NYO
ひゃ HYA ひゅ HYU ひょ HYO
みゃ MYA みゅ MYU みょ MYO
りゃ RYA りゅ RYU りょ RYO
ぎゃ GYA ぎゅ GYU ぎょ GYO
じゃ JA じゅ JU じょ JO
びゃ BYA びゅ BYU びょ BYO
ぴゃ PYA ぴゅ PYU ぴょ PYO

復元された「高札場」。

 高札場とは、幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所のことです。
神奈川県の東海道では、9つの宿場にそれぞれ1カ所ずつありました。いずれも江戸から京都に向かって街道の右側に設置されています。
高札場の高さは約3メートルから4メートル、間口は約3メートルから5メートルといったところです。
横浜市神奈川区にある神奈川地区センター前には、かつて神奈川宿の瀧之橋のたもとにあった高札場が復元されています。土台を石で固め、その上を柵で囲んだ内部に数枚の高札が2段に掲げられ、風雨を避けるために屋根が設けられています。(「国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所」HPより)


「高札場」遠景。「神奈川地区センター」前。
そこから、仲木戸駅方向を望む。
東神奈川駅、仲木戸駅方向を望む。
「滝の川」。
「土橋」。流れはきれい。水鳥が群れをなして泳いでいる。
1880年頃のようす(「同」より)。赤丸が「東海道」、矢印が「滝野(の)川」(「同」より)。
「滝の橋」。「第一京浜」(旧東海道)が滝野(の)川に架かっている橋。
上流を望む。

そのほとりにあった飲み屋さん。「市民酒場」というネーミングが目を引いた。
案内図。


 「滝の川」を渡った西の宿場町のようすは、次回。その前に、「コットンハーバー」の方へ向かいます。

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