![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/a1/dd34646d2a7df0955f5c85800654baf5.jpg)
東高島駅付近は、かつての「神奈川砲台(台場)」のあったところ。周囲も含めてすっかり埋め立てられて、土地に変わりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/f8/08a2b68d5c000f42c69758c9e585e248.png)
1880(明治13)年頃のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/7b/94ab595ebc068f2a8139cabdfaa74054.jpg)
2010年代のようす。○付近か?
「東高島駅」構内に接するところにある「史跡 神奈川台場跡」碑。
安政6年(1859年)5月、幕府は伊豫松山藩に命じ、勝海舟の設計で海防砲台を構築した。
当時の台場は総面積2万6千余平方メートル(約8千坪)の海に突き出た扇型で、約7万両の費用と約1年を要し、万延元年(1860年)6月竣工した。
明治32年(1899年)2月廃止されるまで礼砲用として使われたが、大正10年(1921年)頃から埋め立てられ、現在では石垣の一部を残すのみとなった。
約7万両 幕末の頃には1両が現在の3~4千円(現在の米価で換算。低く見積もっても)だそうで、2億5千万円くらいの費用が費やされた、となる。が、山から土を運び出し埋め立てる、という大工事を想定すると、そんな金額じゃすまされないような気もする。最低でも20億くらいはかかっている、と。
赤丸が「碑」のあるところで、「碑」の背後に石垣が保存されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/77/4daa65be81c23777eceac6ed4b228574.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/fc/3dc2f96ba0a75b7e6df7fdf5ffd46e8a.jpg)
(「www.katsu-iwai.com/sansaku/index.html」より)
矢印が神奈川砲台(台場)(「同」より)。右手に「象の鼻」波止場が描かれている。
神奈川砲台(神奈川台場)略年表
1854年(安政元年) ペリーが軍艦7隻を率いて横浜に来航し、日米和親条約を締結
1857年(安政4年)
幕府は伊予松山藩に神奈川(横浜港と居留地)の警備を命じた
1858年(安政5年)
日米修好通商条約を締結、松山藩が幕府に神奈川砲台築立の場所指定願を提出
1859年(安政6年) 幕府は松山藩に海防砲台の構築を命じ、その後横浜港は開港し7月20日に松山藩が台場建設に着工(設計・指導は勝海舟)
1860年(万延元年) 6月神奈川台場は竣工し、松山藩主松平勝成が視察する
1866年(慶応2年) 9月天皇誕生日を祝って神奈川台場から祝砲を発射する
1899年(明治32年) 神奈川台場は廃止され、その後埋め立てが進みました
1924年(大正13年) 埋め立てられた台場の上に東高島駅(東海道線支線貨物駅)が開業
1995年(平成7年) 神奈川台場公園が完成(横浜市緑政局:現環境創造局)
2006年(平成18年) 神奈川台場西取渡り石垣発見(当社団)
2008年(平成20年) 神奈川お台場西取渡り部の発掘調査(神奈川区:埋蔵文化財センター)
2009年(平成21年) 横浜開港150周年開国祭開催、神奈川台場公園の再整備計画が神奈川区役所により推進され、神奈川区資産「わが町かながわ とっておき」に認定される
2010年(平成22年) 神奈川区は、神奈川台場をより多くの方々に知って貰う為に、星野町公園と神奈川台場公園をリニューアル
(![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/c2/6c7a973148190cafa51417e0ede9d532.jpg)
http://www.kanagawadaiba.com/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E5%8F%B0%E5%A0%B4%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/ より引用)
「台場公園」への道ばたにある「説明板」。
残雪で隠れているが石垣の一部。遺構の大半は、公園内の地中に埋まっている。
「台場公園」内にある発掘調査の説明板。東高島駅沿いのマンション建設現場から遺構の一部が発掘され、本格的な調査が始まった、らしい。
周辺一帯の発掘調査の概要。
パネル。台場(横浜開港を含めて)の歴史を簡潔に知ることができる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/7e/fd9db3cb02b7e6c3e3ab7ee0a1e05a5c.jpg)
「台場公園」。奥に説明パネル。
JR貨物線(東高島駅構内)をはさんで反対側にある「星野町公園」にある「神奈川台場跡地」の説明パネル。右の赤い○が「台場」、中央の赤い○が「象の鼻」(西波止場)。
線路脇(横浜市場内)に保存されている石垣。
扇型に突き出した台場の護岸用の石垣。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/f8/08a2b68d5c000f42c69758c9e585e248.png)
←付近(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。
なお、マンションの一室に建設中に発見された遺構(石垣)がそのまま保存されているとのこと。設計者の勝海舟にちなんだ『海舟』。訪問したときは、残念ながら閉まっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/f8/08a2b68d5c000f42c69758c9e585e248.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/56/fe9985032d099ba77b846e2e668fb793.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/7b/94ab595ebc068f2a8139cabdfaa74054.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/89/dd38c10f0418eb8e9e936f4d54eb90ee.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/23/a957121d1568b7a815421acee11d3575.jpg)
安政6年(1859年)5月、幕府は伊豫松山藩に命じ、勝海舟の設計で海防砲台を構築した。
当時の台場は総面積2万6千余平方メートル(約8千坪)の海に突き出た扇型で、約7万両の費用と約1年を要し、万延元年(1860年)6月竣工した。
明治32年(1899年)2月廃止されるまで礼砲用として使われたが、大正10年(1921年)頃から埋め立てられ、現在では石垣の一部を残すのみとなった。
約7万両 幕末の頃には1両が現在の3~4千円(現在の米価で換算。低く見積もっても)だそうで、2億5千万円くらいの費用が費やされた、となる。が、山から土を運び出し埋め立てる、という大工事を想定すると、そんな金額じゃすまされないような気もする。最低でも20億くらいはかかっている、と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/09/5a5bbc0ae114ee6c2abd7499394e45fb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/28/ab9704378ad210dbcd9e1dc8a9f68360.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/77/4daa65be81c23777eceac6ed4b228574.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/fc/3dc2f96ba0a75b7e6df7fdf5ffd46e8a.jpg)
(「www.katsu-iwai.com/sansaku/index.html」より)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/2f/e7ab8f85629de2a146c5d15e8ee5f13c.jpg)
神奈川砲台(神奈川台場)略年表
1854年(安政元年) ペリーが軍艦7隻を率いて横浜に来航し、日米和親条約を締結
1857年(安政4年)
幕府は伊予松山藩に神奈川(横浜港と居留地)の警備を命じた
1858年(安政5年)
日米修好通商条約を締結、松山藩が幕府に神奈川砲台築立の場所指定願を提出
1859年(安政6年) 幕府は松山藩に海防砲台の構築を命じ、その後横浜港は開港し7月20日に松山藩が台場建設に着工(設計・指導は勝海舟)
1860年(万延元年) 6月神奈川台場は竣工し、松山藩主松平勝成が視察する
1866年(慶応2年) 9月天皇誕生日を祝って神奈川台場から祝砲を発射する
1899年(明治32年) 神奈川台場は廃止され、その後埋め立てが進みました
1924年(大正13年) 埋め立てられた台場の上に東高島駅(東海道線支線貨物駅)が開業
1995年(平成7年) 神奈川台場公園が完成(横浜市緑政局:現環境創造局)
2006年(平成18年) 神奈川台場西取渡り石垣発見(当社団)
2008年(平成20年) 神奈川お台場西取渡り部の発掘調査(神奈川区:埋蔵文化財センター)
2009年(平成21年) 横浜開港150周年開国祭開催、神奈川台場公園の再整備計画が神奈川区役所により推進され、神奈川区資産「わが町かながわ とっておき」に認定される
2010年(平成22年) 神奈川区は、神奈川台場をより多くの方々に知って貰う為に、星野町公園と神奈川台場公園をリニューアル
(
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/c2/6c7a973148190cafa51417e0ede9d532.jpg)
http://www.kanagawadaiba.com/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E5%8F%B0%E5%A0%B4%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/ より引用)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/7d/73acb4c4a31d0c4c9b95cd4acd48fdca.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/82/b52922a2dd92750bd7e1348a50675a2b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/60/8a805da8a6bf085d01c009e7a9fe10b6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/35/925198b1b0120c315de8ea5df2f9e179.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/04/2e8c71cd784c4daec6e9b890731d610b.jpg)
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なお、マンションの一室に建設中に発見された遺構(石垣)がそのまま保存されているとのこと。設計者の勝海舟にちなんだ『海舟』。訪問したときは、残念ながら閉まっていました。
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