これから、就活やら婚活を考えなければならない若者。
終活のことも考えなければならない中高年。
昨今、何か、活動していかないと、生きてゆくのが難しい世相です。
人生は、またたくまに「終焉」を見つめる準備、「終焉」に向かう活動になります。
今朝のNHKラジオ深夜便・・大阪尼崎の医師長尾和宏氏の~平穏に最期を迎えるために~、全く同意見です。
病院での延命治療・・点滴やら胃ろうやら輸血やらチューブにつながれて、痰取りで、もがき、苦しめられて、チューブを外そうとするから、今度は手を縛るという拘束状態・・人間としての尊厳死とは、ほど遠いものでしょう。
・・悲惨です。
長尾医師は、町ひとつを病院と見なして、自宅在宅を病室と考え、そこに至る道は、病院の廊下だという考えです。
訪問診療と往診の違い・・「平穏死を迎えるための終活のお手伝い」を365日24時間体制で頑張っておられます。
在宅で看取られて亡くなる平穏死という考えは、正解だと思います。
自分の好物を自分の口から食べて、その1時間後には、スーと逝くというようなケースは、小生の父も同じく、かなり多いと実証しています。
とは言うものの。
それでも、それを介護できる家族が、居るかどうか・・という現状が、今の日本の大問題なのです。
老老介護は、当り前・・その片方が、認知症やら転倒やら、夫婦揃って入院、施設入居・入所。
その子供たちは、県外での仕事、都会暮らし。
長生きすれば、子供の方が早く亡くなっている家庭状況。
甥やら姪やら・・その親戚は、財産がない限り、面倒もみたくないのは当然の如く、知らぬ顔。
娘は、嫁に遠慮。
嫁は、事務的に顔を出すだけ。
在宅・・在宅・・と言うけれど、日本の家族制度は、核家族化されて、欧米型の家族制度になっているのです。
夫婦共稼ぎの家族、貧しい高齢者が、圧倒的に増加しているのです。
今の日本社会の家族の在り方は、病院にしろ、特養にしろ・・現代版姥捨て山状態なのです。
それでも、そこに居られる患者さん、お年寄りは、未来の患者・お年寄りよりも幸せなはずです。
何故なら、現在、誰かにお世話をしてもらっているのです。
それが無ければ、部屋中が、悪臭放つクソだらけの無縁死、孤立死、孤独死になるのです。
・・嫌ですね。
それらを、いかに平穏死に変えるかが、日本の豊かさの有り様だと考えます。
貧しい老人は、多いのです。
このままならば、日本の未来社会は、歳老いて、入れる施設も無ければ、世話をしてくれる家族だっていない貧困社会の状態が、目の前に来ているのです。
日本国政府に要望するのは、三点あります。
老後の最低年金は、生活保護受給額の統一して引きあげる。
介護職員の最低給与を、地方公務員の保障給与と統一して引きあげる。
徴兵制度のない日本国は、16歳以上の男女を施設等で数ヶ月間、介護研修を義務化させる。