以前、この時季・・我が家の窓から、白山(はくざん)を仰ぎ見ることができたのです。
が、最近、近所に、高いビルやら出来て、全く見えなくなりました。
残念です!
ほんとうに、真っ白い山なのです。
日本三霊山のひとつです。
富士山、立山、そして・・白山です。
白山信仰というのがあります。
日本各地にある白山神社は、約3000社が鎮座するとか。
とりわけ、東日本では、被差別地区にあるとか・・これに関して述べるのは、江戸時代の身分差別に関わるタブーにも触れることになるので気が滅入ります。
室町時代までは、士農工商という身分制度はなく町人が刀を持っていたこともあります。
白山信仰の開祖は、泰澄大師・・越前の人で、渡来人の子であったといいます。
泰澄は、700年頃、白山で修験道の修行を行い、白山信仰に仏教的な意義付けをしたのです。
白山信仰は、奈良時代から中央貴族の間で盛んとなり、京都の醍醐寺にも白山信仰が受け継がれています。
三宝院には、白山権現を祀る社があるとか・・、山上には白山遥拝所があるとか・・。
天台宗比叡山にも、曹洞宗永平寺開祖道元とも深い関係があります。
さて、昨日、天台宗百済寺の写真をアップしましたが、百済寺と同じく天台宗比叡山、鞍馬山・・・ずっと西へ行くと朝鮮半島にある韓国の百済寺、東は、熱田神宮と線を結べば、北緯35.1度線上に位置するとのこと。
天台宗開祖、最澄は、近江国で渡来系の三津首百枝(みつのおびと・ももえ)の子として生まれています。
一方、高野山真言宗開祖の空海(弘法大師)の母親も渡来人だとのことです。
飛鳥とは、鳥が飛ぶこと・・朝鮮半島の百済人が、亡命・渡来して文化が倭国に伝わったことを意味しています。
大化の改新(645)は、絶大な専横権力を持つ蘇我氏一族を倒した中大兄皇子(のちの天智天皇)や中臣鎌足(藤原家祖)による政権交代です。
蘇我氏など飛鳥の豪族を中心とした政治から天皇中心の政治へと変化が始まります。
日本初の元号(大化)律令制国家の始まりです。
社会の歴史で習った・・公地公民制、国郡制度、班田収授の法、租・庸・調等々の始まりです。
これらの政策導入に百済人が大いに関わっているのです。
その百済国が、660年、唐と新羅に滅ぼされます。
663年(天智2年)8月、日本書記によると、天智天皇の時代、朝鮮半島の白村江(はくそんこう)で、百済再興のため倭国・百済復興軍の連合軍と、唐・新羅連合軍との間で海と陸の戦いが始まりました。
白村江の戦いです。
戦いに敗れた倭国は、亡命・帰化・・・渡来人の力によって改革が急速に進みます。
唐の国に傾く革新勢力と保守勢力との軋轢・・・各地に朝鮮式山城を築き、主に、東国の農民を徴収して、約三千人の防人(さきもり)を配備します。
さらに、壬申の乱以降、より強力な中央集権体制となります。
701年の大宝律令制定により、倭国から日本へと国号を変えたのです。
百済は、日本の歴史の源泉となるキィ・ワードのひとつなのは、間違いないのです。
今も昔も、隣国との関係は、難しいものです。
隣国の中国や朝鮮から「倭国」と呼ばれるのが嫌だった大和朝廷は、701年、大宝律令によって、隣国に向けて「日本」と名乗るようになったのです。
さて、白村江の戦いと白山信仰の関わりですが・・何か関係?
漢字文化の歴史も百面相です。
が、最近、近所に、高いビルやら出来て、全く見えなくなりました。
残念です!
ほんとうに、真っ白い山なのです。
日本三霊山のひとつです。
富士山、立山、そして・・白山です。
白山信仰というのがあります。
日本各地にある白山神社は、約3000社が鎮座するとか。
とりわけ、東日本では、被差別地区にあるとか・・これに関して述べるのは、江戸時代の身分差別に関わるタブーにも触れることになるので気が滅入ります。
室町時代までは、士農工商という身分制度はなく町人が刀を持っていたこともあります。
白山信仰の開祖は、泰澄大師・・越前の人で、渡来人の子であったといいます。
泰澄は、700年頃、白山で修験道の修行を行い、白山信仰に仏教的な意義付けをしたのです。
白山信仰は、奈良時代から中央貴族の間で盛んとなり、京都の醍醐寺にも白山信仰が受け継がれています。
三宝院には、白山権現を祀る社があるとか・・、山上には白山遥拝所があるとか・・。
天台宗比叡山にも、曹洞宗永平寺開祖道元とも深い関係があります。
さて、昨日、天台宗百済寺の写真をアップしましたが、百済寺と同じく天台宗比叡山、鞍馬山・・・ずっと西へ行くと朝鮮半島にある韓国の百済寺、東は、熱田神宮と線を結べば、北緯35.1度線上に位置するとのこと。
天台宗開祖、最澄は、近江国で渡来系の三津首百枝(みつのおびと・ももえ)の子として生まれています。
一方、高野山真言宗開祖の空海(弘法大師)の母親も渡来人だとのことです。
飛鳥とは、鳥が飛ぶこと・・朝鮮半島の百済人が、亡命・渡来して文化が倭国に伝わったことを意味しています。
大化の改新(645)は、絶大な専横権力を持つ蘇我氏一族を倒した中大兄皇子(のちの天智天皇)や中臣鎌足(藤原家祖)による政権交代です。
蘇我氏など飛鳥の豪族を中心とした政治から天皇中心の政治へと変化が始まります。
日本初の元号(大化)律令制国家の始まりです。
社会の歴史で習った・・公地公民制、国郡制度、班田収授の法、租・庸・調等々の始まりです。
これらの政策導入に百済人が大いに関わっているのです。
その百済国が、660年、唐と新羅に滅ぼされます。
663年(天智2年)8月、日本書記によると、天智天皇の時代、朝鮮半島の白村江(はくそんこう)で、百済再興のため倭国・百済復興軍の連合軍と、唐・新羅連合軍との間で海と陸の戦いが始まりました。
白村江の戦いです。
戦いに敗れた倭国は、亡命・帰化・・・渡来人の力によって改革が急速に進みます。
唐の国に傾く革新勢力と保守勢力との軋轢・・・各地に朝鮮式山城を築き、主に、東国の農民を徴収して、約三千人の防人(さきもり)を配備します。
さらに、壬申の乱以降、より強力な中央集権体制となります。
701年の大宝律令制定により、倭国から日本へと国号を変えたのです。
百済は、日本の歴史の源泉となるキィ・ワードのひとつなのは、間違いないのです。
今も昔も、隣国との関係は、難しいものです。
隣国の中国や朝鮮から「倭国」と呼ばれるのが嫌だった大和朝廷は、701年、大宝律令によって、隣国に向けて「日本」と名乗るようになったのです。
さて、白村江の戦いと白山信仰の関わりですが・・何か関係?
漢字文化の歴史も百面相です。