百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百島と世阿弥

2013年02月13日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
その風を得て、心より心に伝ふる花なれば、「風姿花伝」。

「初心忘れべからず」「秘すれば花」「序破急」等々・・世阿弥が著した日本最古の能楽論、演劇論です。

現代にも通用する人生論という高い評価も得ています。

百島と世阿弥に何の関係があるか?

・・ご存じですか?

余談ですが・・能登半島の根っこに、石川県羽咋(はくい)市という町があります。

近くに千里浜という長い砂浜があり、日本唯一の砂上道路を車で走ることができます。

羽咋市は、UFOが現われるという観光キャンペーンを掲げていたり、市内に限界集落となりつつある「神子原」という地区があります。

その地名を利用して、カトリック教会の総本山のバチカン市国との縁を結ぼうと考えた地元のアイデアマンがいました。

地元「神子原の米」を、バチカン大使館を通して、ローマ法王に献上したのです。

バチカン市国、ローマ法王が、受け容れたということは、物凄い箔がつきます。

「神子原米」は、マスコミの宣伝力もあり、ブランド米になったのです。

その現在のローマ法王ベネディクト16世が今月いっぱいで退位することになりました。

存命中の退位は、実に600年ぶりだとのことで、世界が驚くニュースが駆け巡っているのです。

600年昔と言えば、室町時代です。

世阿弥、一休、蓮如が、生きていた時代です。

今に至る日本文化の茶道、華道、能、和室、日本庭園、日本水墨画等々のほとんどの原型は、室町時代に発生しました。

さて、晩年の世阿弥(幼名 藤若)が、何に感謝していたのかというと⇒室町幕府六代将軍足利義教を暗殺した赤松満祐が起こした「嘉吉の乱」なのではないかと考えるのです。

足利義教という人物・・詳しい人物像を省きますが、相当な暴君だったようです。

義教は、70歳を過ぎた世阿弥を佐渡島へ流罪の刑に処しているのです。

嘉吉の乱のあと、一休和尚等の働きで、世阿弥は、特赦を受けます。

78歳になった時でした。

世阿弥は、京の娘夫婦のもとに戻り、80年の寿命を全うされたのでした。

「嘉吉の乱」が起こらなかったならば、応仁の乱、それに続く戦国時代、安土桃山、徳川の時代も無かったでしょう。

そして、百島という地名も、観阿弥・世阿弥親子を祖とする観世流もどうなっていたことやらと・・少しだけ想い巡らしたお昼時です。


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