Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

貴布禰神社(2013年1月12日参拝)

2013-01-30 | 神社
神戸の長田神社から尼崎に鎮座する貴布禰神社に到着。

尼崎七福神を始める人だったら地理的に一番最後になる神社ですが、
私は色紙を買って巡らないので、
走って来た43号線沿いにある貴布禰神社から参拝。

貴布禰は「きぶね」と読みます。



所在地:兵庫県尼崎市西本町6-246
御祭神:高寵神
配祀神:加茂別雷神、加茂御祖神
創建:不明
社格:県社
札所:尼崎七福神巡り


【由緒】
貴布禰神社は全国に約460社あり総本宮は京都・鞍馬の貴船神社。
伝承によると「神武天皇の皇母・玉依姫命は雨風の国潤養土の徳を尊び、
その源を求めて、黄船に乗り、瀬戸内から尼崎、淀川、鴨川を遡り、
その川上貴船川の上流のこの地に至り清水の湧き出ずる、霊境吹井を認めて水神を奉斎す」とある。
この尼崎とは旧社地(長洲)と推察される。

京都の貴船神社は表記が違うがこれは明治4年に太政官達を以て変更されたもの。

長洲貴布禰神社によれば平安京遷都の折、調度の運搬を命ぜられた紀伊の紀氏が
任務の成就を己が護神に祈願したところ、予定通りに事が運び、
報謝のために吉備真備に謀りこの地を定めて社を奉建したと伝えられる。

長洲貴布禰神社は京都鴨社の社領である長洲御厨に位置し長洲の集落の微高地に建てられている。
大覚寺との関係が多大で加茂の御厨の雑掌として鎌倉末期に尼崎・長洲の地に来た大覚寺が、
賀茂御厨の守護神として賀茂別雷大神と賀茂御祖大神を奉斎していた。

その後、貴布禰社を京都より勧請して自寺の境内社とし賀茂社を吸収したものと考えられる。
この三神は鴨川水系の同系神と見られ合祀されたようでその後、転々とした。

1500年代の尼崎築城とともに城内三の丸に鎮座し、
元和年間の尼崎城主・戸田氏鉄によって行われた改築城の際、
役人町へ、その後、火災や洪水などに見舞われ正徳五年(1715)に現在地に遷座した。

江戸時代には尼崎藩のご祈願所となり公式祈願祭をそれまでの大覚寺に変わって斎行した。
また城主の崇敬はすこぶる篤く初代戸田家から始まり次代青山家からは家紋をいただき、
三代櫻井松平家とは最近に至るまで重厚な崇敬を受けている。

昭和20年戦災に遭い文政8年竣工の社殿を焼失したが、昭和25年に阪神間の被災神社に先駆けて復興。
また平成7年の阪神淡路大震災でも大鳥居の倒壊、南門の半壊など被災したが、
氏子また会社工場の協力により翌年までには全て復興がなされた。


【鳥居】


この神社には鳥居が二つあり、
もう一つは43号線沿いに新しい大きな鳥居があります。

こちらの鳥居は結構古い感じがします。

駐車場は二つの鳥居の所に各10台以上停めれます。


【相殿社】





【榎社】





【愛敬三社】







【市庭戎神社】




結構境内社がありますね。


【白龍大神】





【白波稲荷神社】





【狛犬】


陶器で出来ているようですが、
口の周りが残念ながら割れていました。


【拝殿】




昭和25年に再建されたもの。

本殿ともに立派なものです。
正直、尼崎にこれほどの神社があるとは知りませんでした。(^^;


【狛犬】



【本殿】



【表門】


これがまた立派なもので約300年前のものと推測されています。

阪神淡路大震災では半壊したが根元を米檜で継ぎ足すなどして修復。

よく見ると根元の所で色が違うのが分かります。


【大鳥居】


こちらが43号線沿いの鳥居です。

この鳥居と表門を抜け境内に入ると駐車場があります。


【旧大鳥居】


阪神大震災で倒壊した以前の大鳥居です。

近くで見ると結構太い鳥居がこのようにポッキリと折れています。

大震災の威力がまざまざと分かります。


【御朱印】


印が上品でいいですね~。

御朱印代を支払おうとすると奥様は受け取られなかった。

最近こういうことが多いなぁ。(^^

有難いですが今回も賽銭箱にインして参りました。