Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

諸福天満宮(2013年1月6日参拝)

2013-01-26 | 神社
奈良から阪奈道路を走り新年のご挨拶を兼ねて高槻の酒屋さんへ。



佐藤黒、而今大吟醸、喚火萬膳をゲット♪

新年早々良い買い物が出来ましたよ。(^^

これも私の仁徳なんでしょうね。(嘘)


この酒を持って連れの家に遊びに行く道中、
ナビで検索したら諸福天満宮がヒット。

163号線から狭い道に入って行くが、
これがまた地元民しか通らないような道で、
ナビがなければちょっとしんどい。

やっぱりナビは便利ですね。



所在地:大阪府大東市諸福1-7-13
御祭神:菅原道真
創建:寛永20年(1644)



【由緒】
寺社の創建年代は何れも年代不詳往古より、と記されるのを通例とする。
こうした中で当社は、創建年代が明白な市唯一の神社である。
記録には「寛永廿歴奉勧請當社天神安全地下繁昌 九月吉詳日」とある。

文意は寛永二十年(1644)九月、この地に天満宮を勧請し奉る。
神徳により村安全五穀豊穣、生業は累々繁昌するであろうと解される。

この時に本殿がつくられたものであろう。
当殿は江戸初期の桧皮葺の流造りであるが保存状態もよく色彩も華麗である。

円柱・破風・斗拱木鼻等にみられる彫刻は、江戸初期の様式のおもかげを残している。


【境内】


地元に根差した神社のようで境内も狭いです。


【拝殿】


注連縄柱がなかなか立派です。


【狛犬】


文政六年(1823)と意外と古い狛犬です。


【牛神像】



【白玉社】



【歯神社】



御朱印の有無は不明ですが、
調べる限り無さそうです。

添御県座神社(2013年1月6日参拝)

2013-01-25 | 神社
葛上神社参拝後、
車のナビでこの辺りの神社を検索すると
一番近くでヒットしたのが添御県座神社。

全く聞いたことのない神社。

なんかピンときたので参拝してみることに。

しかし神社名が全く読めねー。(泣)

添御県座と書いて「そうのみあがたにいます」と読むそうです。



所在地:奈良市三碓3丁目5番8号
御祭神:建速須佐之男命、武乳速之命、櫛稲田姫命
創建:延喜年間(901~923)以前


【歴史】
平安時代初期に編纂された延喜式神名帳という
日本全国の神社総覧によりますと当宮は、月並祭や新嘗祭に朝廷から供え物の布類を奉られ、
"大社"という格式を認められた神社として記されています。

従って、延喜年間(901~923)以前に既に存在していたことがわかります。

神社の名前は添(ソウ)という県(アガタ=皇室直属地)に鎮座する神社という意味です。
添の県は現在の奈良市と生駒郡に相当する地域で、
当神社は平城京の西郊の守護神として崇敬されてきました。


【鳥居】


7号線を走り阪奈道路を超えた1本目の細い道を山の方へ向けて走る。

うーむ、こりゃ完全に地元民しか知らない神社と見える。

駐車場は鳥居の手前に臨時駐車場がありましたが、
この鳥居の先に行くと本来の駐車場があります。

しかし知らない人だとこの先に駐車場があるとは思えない。


【石仏】




神社参拝前にこちらもお参り。

1枚目の石仏はあんまり見ないタイプですね。


【表石段】



【境内】


お~、
なかなか良い雰囲気の神社です。


【拝殿】



【狛犬】



【本殿】







こ、こ、この本殿は…

ただものではない事がすぐに分かった。

実に素晴らしい。

失礼ながら無名と言っていい小さな神社にこれほどの本殿があるとは。

御朱印をいただいた時に宮司さんに聞いたらやはり重文だとか。

建立が永徳3年(1383)とかなり古いが昔から覆い屋があったらしく、
状態が非常に良好でした。


【福神宮】


奈良時代、三碓を中心とする地域を治めていた豪族の小野福麿公が祀られています。


【九ノ明神】


福麿公と共に殉死した随身等9人が祀られています。


【龍王神社】


古来、雨乞いにご利益のある龍神が祭神です


【天香具山神社】




かつてはこの付近で良質陶土が採られたことに因む社と考えられています。


【恵美須神社】



【英霊殿】


郷土から出征して太平洋戦争等で戦没された145柱の方々が祀られています。


【御朱印】




本殿を見ただけでもこの神社に参った甲斐があるというもの。

まだまだ見知らぬ神社にはこのような素晴らしい社殿がある。

これだから行き当たりばったりの寺社巡りは止められない。(^^


しかし、参道横にあった根聖院というお寺を見逃していたのが悔やまれる。

葛上神社(2013年1月6日参拝)

2013-01-24 | 神社
霊山寺を後にし高槻の酒店に行こうと車を走らせていると、
すぐ近くに神社発見。



神社の名は葛上神社という。

当たり前のように参拝。
鳥居の前に無料駐車場があり10台ぐらい停めれます。



所在地:奈良県奈良市中町3840
主祭神:建速須佐命
相殿:大山咋神、天照大神、三筒男命
創建:不明
社格:村社



【由緒】
当社の伝記は散逸、或いは火災に罹り知るに由なしとも、
鎮座多くの歳月の経て奈良朝の頃には存在したるものの如し。            

大和添上郡鳥見谷一円を代々領有せし小野の国麿の時桓武延暦十三年山城遷都となり、
これに伴い丹州山国の庄に御料木切出職を帯び、
その地に移り代々居住するにおよび本殿、和州の領地より本社も亦移されたものなり。 
      
その後、この旧跡に再び神社を造営したるものとして、
境内の一隅にある「葛上郷社古跡」と記せる石碑あり、
その錆より見て正に数百年前なることは想像に難からず。

亦相殿の杣川神社は平城宮造営のため当地杣木谷に渡来した氏神として
同地に大山咋神を祭ったものであるが後、本所に移し合祀(年代不詳)したものである。


【鳥居】


いかにも田舎の雰囲気(良い意味で)が漂う神社のようです。


【門松】


正月らしく飾られておりました。

これがあるだけでかなり華やかになりますね。


【拝殿】


少し階段を登ると境内に到着。

もっと小さい社殿かと思っていたが、
なかなか立派な拝殿です。


【本殿】



【狛犬】



【浅間神社】




御祭神:木之花咲耶媛

安永二年(1772)中山村講中により当地に観請されたもの。


【稲荷神社】


御祭神:宇迦之御魂神


【十六所神社】


御祭神:十六所大明神


御朱印の有無は不明ですが、
調べる限り無さそうです。

霊山寺(2013年1月6日参拝)

2013-01-23 | 仏塔古寺十八尊
本日は仏塔古寺の御朱印をいただきに霊山寺へ。

約2年振りの参拝となりますが、
前回参拝時は絶賛工事中だった三重塔が楽しみです。


<2011年1月10日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/6cb5907dc44007b934adb4cace4afd7f



所在地:奈良県奈良市中町3879
宗派:霊山寺真言宗
御本尊:薬師如来(重要文化財)
創建:天平8年(736年)
開基:行基・菩提僊那
札所:西国薬師四十九霊場第二番、仏塔古寺十八尊 第5番、役行者霊蹟札所、
神仏霊場巡拝の道 第28番、大和十三仏霊場 第10番


【歴史】
神亀5年(728)流星が宮中に落下し、
大騒ぎになり孝謙皇女が征中の病(ノイローゼ)にかかられた時、
聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ湯屋の薬師如来を祈念すれば治るとのお告げがあり、
すぐに行基菩薩が代参し皇女の病が快癒しました。

天平6年(734)聖武天皇は行基菩薩に大堂の建立を勅命。
天平8年8月インドバラモン僧、菩提僊那が来日され、
登美山の地相が霊鷲山にそっくりということから、
寺の名称を霊山寺と奏上され、落慶となりました。

平安時代、弘法大師が来寺され登美山に力の強い龍神様がおられると感得され、
奥の院に大辯財天女尊(弁天さん)として祀られました。
それまで当寺は法相宗でしたが弘法大師が真言宗を伝えられ、
以後は法相宗と真言宗の2宗兼学の寺となりました。

鎌倉時代には北条氏の帰依厚く弘安6年(1283)本堂の改築、堂塔寺仏の修復新調が行われ、
僧坊21ケ寺という所説からも非常に栄えました。
その後、豊臣秀吉公の社寺政策により寺領百石を与えられ、
また徳川幕府にも受け継がれ御朱印寺として国家安泰と五穀豊穣、
そして幕府の武運長久を祈願して参りました。

ところが明治維新の廃仏毀釈により、伽藍の規模は半減、
200体以上の仏像焼却の運命をたどりました。

しかし本尊薬師如来のご加護と弘法大師が勧請された大辯財天の霊験により復興し現在に至る。


【幸せを呼ぶ鐘】


無料駐車場に車を停めて今年初撞き。

間違っても帰りに鐘を撞いてはいけませんよ。

四国八十八カ所を巡っている時に先達に教えていただくまで、
かくいう私も知りませんでした。(汗)


【本堂】


国宝。

御本尊薬師如来、脇侍日光・月光菩薩は春日厨子内にあり秘仏、
十二神将・二天王・大日・阿弥陀如来・行基菩薩・菩提僊那が祀られている。

仏様の数々に溜息。

素晴らしい。

本堂内の売店のおばちゃんが本当に羨ましい。

だって国宝の中で仕事出来るんですよ。
国宝の素晴らしい空間の中で仕事をしてる人は日本に何人いることやら。

堂内は撮影禁止でした。


【鎮守十六所神社】






前回参拝時は思いっきり見逃してました。

今は十六所神社として独立しているが明治の神仏分離以前は霊山寺の鎮守社であった。

社殿は5棟並んでいて現在覆屋の中にあり南面して向かって左から
春日社、住吉社、本社、龍王社、大神宮となっている。
中央の3社は棟木墨書に至徳元年(1384)の建立としるされており重要文化財に指定されている。

資料によれば応永年間(1394-1427)建立の優れた割拝殿があったが、
明治末年破却されて失われたのは惜しい。

廃仏稀釈により200体以上の仏像焼却されたといい、
何度も書いてますが明治政府の愚行はもっと批判されていい。

そして破壊に関わった愚かな連中に対しても。

人類史上有数の文化破壊だ。

他文化を排他したがるのは人間の性とはいえ余りにも酷過ぎる。


【東光院】





【教祖像】


何でもこの像の主は元住職の奥さんだそうで。
その奥さんに十二単をまとった仏様が降りてきて教祖になったとか。

え?
このお寺って新興宗教なんですか?(^^;


【千体不動滝】




こちらも前回参拝した時は華麗にスルーしてました。


【石仏】







【三重塔】






重要文化財。

そんなに大きい塔ではありませんが、
雰囲気のいい優雅な塔です。

年に一回、普段非公開の三重塔の初層の扉を特別に開扉内部壁画を拝観することが出来る。
拝観料600円というのが微妙ですが。


【御朱印】


仏塔古寺の御朱印。




大和北部八十八ヶ所霊場の御朱印。

春日大社(2013年1月3日参拝)

2013-01-22 | 神社
本日の参拝のトリは春日大社です。

東大寺から春日大社までの参道が長い。
到着するまでに歩き疲れるよ。(^^;


<2011年11月27日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/bd7b6bf5c89150b3aae8e9e1e9dd558e


<2012年1月3日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/53163c255d247d48156986ed3b679a89



【中門・御廊】


重要文化財。

本殿と間違えそうになりますが本殿ではございません。


【大杉】


樹齢約800年~1000年。


【酒殿】




貞観元年(859)創建 
重要文化財

天平勝宝2年(750)の記録に初見し、春日祭にお供えする神酒を醸造する所で、
内部には大甕がすえてあり現在もここで濁酒を醸造してお供えするとのこと。


【御朱印】


相変わらず達筆です。

元春日の枚岡神社の御朱印と同じページ(見開き)に拝受しました。

分かる人には分かりますよね。(^^


春日大社参拝後、
奈良国立博物館の特別陳列「おん祭と春日信仰の美術」展に行ってきました。

無料チケットのチラシをもらったので。(^^;

絵巻や屏風、曼荼羅、和歌集等が無料で見れて良かったです。

500円が200円と割引だったので仏像展も見ました。
相変わらず素晴らしい仏様達に大満足しました。