Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

霊山寺(2013年1月6日参拝)

2013-01-23 | 仏塔古寺十八尊
本日は仏塔古寺の御朱印をいただきに霊山寺へ。

約2年振りの参拝となりますが、
前回参拝時は絶賛工事中だった三重塔が楽しみです。


<2011年1月10日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/6cb5907dc44007b934adb4cace4afd7f



所在地:奈良県奈良市中町3879
宗派:霊山寺真言宗
御本尊:薬師如来(重要文化財)
創建:天平8年(736年)
開基:行基・菩提僊那
札所:西国薬師四十九霊場第二番、仏塔古寺十八尊 第5番、役行者霊蹟札所、
神仏霊場巡拝の道 第28番、大和十三仏霊場 第10番


【歴史】
神亀5年(728)流星が宮中に落下し、
大騒ぎになり孝謙皇女が征中の病(ノイローゼ)にかかられた時、
聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ湯屋の薬師如来を祈念すれば治るとのお告げがあり、
すぐに行基菩薩が代参し皇女の病が快癒しました。

天平6年(734)聖武天皇は行基菩薩に大堂の建立を勅命。
天平8年8月インドバラモン僧、菩提僊那が来日され、
登美山の地相が霊鷲山にそっくりということから、
寺の名称を霊山寺と奏上され、落慶となりました。

平安時代、弘法大師が来寺され登美山に力の強い龍神様がおられると感得され、
奥の院に大辯財天女尊(弁天さん)として祀られました。
それまで当寺は法相宗でしたが弘法大師が真言宗を伝えられ、
以後は法相宗と真言宗の2宗兼学の寺となりました。

鎌倉時代には北条氏の帰依厚く弘安6年(1283)本堂の改築、堂塔寺仏の修復新調が行われ、
僧坊21ケ寺という所説からも非常に栄えました。
その後、豊臣秀吉公の社寺政策により寺領百石を与えられ、
また徳川幕府にも受け継がれ御朱印寺として国家安泰と五穀豊穣、
そして幕府の武運長久を祈願して参りました。

ところが明治維新の廃仏毀釈により、伽藍の規模は半減、
200体以上の仏像焼却の運命をたどりました。

しかし本尊薬師如来のご加護と弘法大師が勧請された大辯財天の霊験により復興し現在に至る。


【幸せを呼ぶ鐘】


無料駐車場に車を停めて今年初撞き。

間違っても帰りに鐘を撞いてはいけませんよ。

四国八十八カ所を巡っている時に先達に教えていただくまで、
かくいう私も知りませんでした。(汗)


【本堂】


国宝。

御本尊薬師如来、脇侍日光・月光菩薩は春日厨子内にあり秘仏、
十二神将・二天王・大日・阿弥陀如来・行基菩薩・菩提僊那が祀られている。

仏様の数々に溜息。

素晴らしい。

本堂内の売店のおばちゃんが本当に羨ましい。

だって国宝の中で仕事出来るんですよ。
国宝の素晴らしい空間の中で仕事をしてる人は日本に何人いることやら。

堂内は撮影禁止でした。


【鎮守十六所神社】






前回参拝時は思いっきり見逃してました。

今は十六所神社として独立しているが明治の神仏分離以前は霊山寺の鎮守社であった。

社殿は5棟並んでいて現在覆屋の中にあり南面して向かって左から
春日社、住吉社、本社、龍王社、大神宮となっている。
中央の3社は棟木墨書に至徳元年(1384)の建立としるされており重要文化財に指定されている。

資料によれば応永年間(1394-1427)建立の優れた割拝殿があったが、
明治末年破却されて失われたのは惜しい。

廃仏稀釈により200体以上の仏像焼却されたといい、
何度も書いてますが明治政府の愚行はもっと批判されていい。

そして破壊に関わった愚かな連中に対しても。

人類史上有数の文化破壊だ。

他文化を排他したがるのは人間の性とはいえ余りにも酷過ぎる。


【東光院】





【教祖像】


何でもこの像の主は元住職の奥さんだそうで。
その奥さんに十二単をまとった仏様が降りてきて教祖になったとか。

え?
このお寺って新興宗教なんですか?(^^;


【千体不動滝】




こちらも前回参拝した時は華麗にスルーしてました。


【石仏】







【三重塔】






重要文化財。

そんなに大きい塔ではありませんが、
雰囲気のいい優雅な塔です。

年に一回、普段非公開の三重塔の初層の扉を特別に開扉内部壁画を拝観することが出来る。
拝観料600円というのが微妙ですが。


【御朱印】


仏塔古寺の御朱印。




大和北部八十八ヶ所霊場の御朱印。