大安寺の斜め前にあるお寺が浄土宗の増福寺。
またしても浄土宗。
やはり焼き場を伴うお寺は当時の一般市民も嫌がったから、
一つの場所に固めたんですね。
所在地:大阪府大阪市天王寺区生玉寺町5-24
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀三尊像
創建:慶長7年(1602)
開山:良誉上人冥託大和尚
札所:大阪新四十八願所阿弥陀巡礼
【山門】
創建当時からの門だそうですが、
何だか入り易い。
しかし山門を入るといきなり墓地。(^^;
【本堂】
今より243年前の明和5年(1768)失火で本堂が焼失し、
歴代住職の第8世運誉上人と第10世遠誉上人が浄財を募り、
5年の歳月をかけて当寺の檀信徒みなさまの協力により
安永2年(1773)に再建されたのが現在の本堂。
本堂の前は一般の方々の墓地でしたので、
引きでは取れずこのような写真に。(汗)
【内陣】
画像はHPより拝借したものですが、
内陣の様子を見ると入りたかったなぁ。
やっぱりお寺は御本尊を直接見て拝んでこそですよ。
お寺の方に言いたい。
本堂に上がれなくてもいいから、
御本尊様が見れるようにガラス越しでも構わないので見せてください。
【阿弥陀佛】
本堂の左手前に安置されています金佛の阿弥陀様は歴代住職第5世弁誉上人が、
元禄14年(1701)に女人往生の願いを込めて、
時の鑄物師(鋳造職人)の岸本仁右衛門尉・藤原寛敬に依頼し鋳造建立された佛さまです。
日露戦争の時に仏像の光背が盗難に遭い第23世性誉上人により復元されまして、
太平洋戦争中の金属供出の難をも逃れましたが昭和21年再び光背は盗難に遭い、
今日に至っておりました。
2009年(平成21年)春、ようやく機が熟し御修復をさせていただく事となりまして
檀信徒さまの御協力の元、盗難に遭った光背を再製作、
酸性雨で荒れた御尊体に化粧直しが施されて綺麗な立派なお姿に成って戻って来られ
納骨廟の白毫苑に御遷座されました。
【御朱印】
またしても浄土宗。
やはり焼き場を伴うお寺は当時の一般市民も嫌がったから、
一つの場所に固めたんですね。
所在地:大阪府大阪市天王寺区生玉寺町5-24
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀三尊像
創建:慶長7年(1602)
開山:良誉上人冥託大和尚
札所:大阪新四十八願所阿弥陀巡礼
【山門】
創建当時からの門だそうですが、
何だか入り易い。
しかし山門を入るといきなり墓地。(^^;
【本堂】
今より243年前の明和5年(1768)失火で本堂が焼失し、
歴代住職の第8世運誉上人と第10世遠誉上人が浄財を募り、
5年の歳月をかけて当寺の檀信徒みなさまの協力により
安永2年(1773)に再建されたのが現在の本堂。
本堂の前は一般の方々の墓地でしたので、
引きでは取れずこのような写真に。(汗)
【内陣】
画像はHPより拝借したものですが、
内陣の様子を見ると入りたかったなぁ。
やっぱりお寺は御本尊を直接見て拝んでこそですよ。
お寺の方に言いたい。
本堂に上がれなくてもいいから、
御本尊様が見れるようにガラス越しでも構わないので見せてください。
【阿弥陀佛】
本堂の左手前に安置されています金佛の阿弥陀様は歴代住職第5世弁誉上人が、
元禄14年(1701)に女人往生の願いを込めて、
時の鑄物師(鋳造職人)の岸本仁右衛門尉・藤原寛敬に依頼し鋳造建立された佛さまです。
日露戦争の時に仏像の光背が盗難に遭い第23世性誉上人により復元されまして、
太平洋戦争中の金属供出の難をも逃れましたが昭和21年再び光背は盗難に遭い、
今日に至っておりました。
2009年(平成21年)春、ようやく機が熟し御修復をさせていただく事となりまして
檀信徒さまの御協力の元、盗難に遭った光背を再製作、
酸性雨で荒れた御尊体に化粧直しが施されて綺麗な立派なお姿に成って戻って来られ
納骨廟の白毫苑に御遷座されました。
【御朱印】
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