まちや小(ぐわあー)

その先を曲がったら何があるのだろう、どきどきしながら歩く。そして曲がってみて気がついたこと・感じたことを書く。

九字

2015年02月10日 | Weblog

護身法。

『『九字護身法』(くじごしんぼう)は、日本密教の依経の一つ『大日経』の実践法である『胎蔵界法』における「成身辟除結界護身法」が誤った形で民間に流布し、もとは印契の符牒(隠語)であった文字が、道教を源とする「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」の9文字から成る呪文九字」に変化し、それに陰陽道事相である『六甲霊壇法』が組み合わされて、今日に知られるような「四縦五横」の九字切り等の所作を成立させて、発展したとされる日本の民間呪術である。

日本の密教では、真言宗天台宗とを問わずに四度立ての修法には「辟除結界」というのがある。この作法は、密教の修法を開始するに当たって、本尊聖衆をお迎えするためにその場所を清め、邪魔を打ち払い、結界を張って本尊の曼荼羅や寺院内の道場を守るためのものである。通常は密教の修法には四種類あって、その修法の所属する部主の「教令輪身」に当る明王が、「辟除結界」の際における警護の主尊となる。

『胎蔵界法』の場合には、日本密教における最高の地位にある尊挌であり、修法の本尊となる大日如来の「教令輪身」である不動明王がこの任に当り、真言宗では修法の際の印契を衣(袈裟)の下で結び、真言も口の中で唱えて人に知られないようにするのに対して、天台宗では、印契を衣の外で結び、真言も聞こえるように唱えるため、本来は出家の修法にも関わらず在家の中には密教の「三昧耶戒」についてよく知らないために、それを見ただけで結界の修法の所作を覚えようとする者も出て、そのため「辟除結界」の法が修験道における不動行者の存在や不動明王信仰の広がりに伴って形を変えて行き、やがて民間に流布されるに至った。

九字護身法の意味はというと、正式名称とされる『切紙九字護身法』を分解して、「切紙」と、「九字」と、「護身法」とに分けて考えることができる。最初の「切紙」とは、日本では密教をはじめとして古典的な和歌や、武道と芸能において、その奥義や口伝等を記した紙を形状によって「折紙」や「切紙」といい、また、転じてそれを授けることを「切紙免許」という。次の「九字」とは二つの意味があり、一つは「九字」の符牒に基づく九種類の印契であり、もう一つは「九字」の数に由来する「四縦五横」図形を空中に描く符法である。最後の「護身法」とは先に述べた「成身辟除護身法」の略で、これが忘れられてしまい、今日では、弘法大師空海が伝えた「十八契印」によって成り立つ五種の印明からなる「護身法」が九字護身法に取り入れられている。

ここで、原典に当る『胎蔵界法』の「成身辟除護身法」について説明すると、「成身辟除護身法」は『成不動身』と、『成火炎印』と、『刀鞘印』(慧刀辟除)の三つの所作からなる。『成不動身』は「不動磐石印」を結んで真言を唱え、自身を不動明王であると観想するもの。次の『成火炎印』は「火印」を結んで真言を唱え、全身から火炎を発すると観想するもの。最後の『刀鞘印』は、不動明王の「刀印」を結んで、右手の「刀印」を左手の「刀印」である鞘に入れ、胸の前で構えて真言を三回唱え、右の「刀印」を右乳から外側へと切り払い、四方八方へと切りつける所作の途中で真言を唱えて邪魔を打ち払い、不動明王威神力によって金剛不壊の結界を張るものである。いわゆる民間に流布した『切紙九字護身法』と大きく異なる点として、『胎蔵界法』では、この「成身辟除護身法」の前に『阿字観』の瞑想を行なう点である。また、密教の修法であるから必ず灌頂を受け、「三昧耶戒」や「四度加行」を授かり、師僧から個別に正しい伝授を受ける点である。

成身辟除護身法」を『切紙九字護身法』と対応させると、以下の様になる。

「切紙」は奥義や口伝を授けることの意味だが、前半の「切紙九字」を略して、「切九字」となり、転じて「九字を切る」の言葉ともなったが、修法上は「切紙」は意味を為さない。「九字」は、まず印契を結ぶことから始まり、これが『胎蔵界法』の「成身辟除護身法」における『成不動身』と『成火炎印』や、『刀鞘印』の内容に関係する。「九字」の印契は九種類からなるが、最初に添付資料の図版にあるように「独鈷印」を結ぶ。「独鈷印」は不動根本印の一つであり、この印を結んで真言を唱えることにより自身を不動明王と観想することになる。なお、現行の経本類ではこれを「普賢三昧耶印」とするが、密教ではそれぞれの印契を同じ形であっても修法によって様々な呼び名があり、通常、在家が灌頂等で結ぶ機会のある「普賢三昧耶印」と混同したもの。ただし、本来は印契はその呼び名によって意味も違ってくるので、古い伝承の「独鈷印」の名称が正しい。

次に「大金剛輪印」を結ぶ。この印は、日本密教では在家の『在家勤行次第』や各宗派の『日課経典』にも「大金剛輪印」として出てくるし、また、僧侶の場合でも「補欠真言」として修法で印明をよく使用するので「大金剛輪印」と呼ぶのが一般的である。「大金剛輪印」と呼んだ場合には大輪明王の根本印であり、別名を「摩利支天根本印」や「五仏灌頂印」ともいうが、ここでは「摩利支天根本印」が正しい。先に不動明王として観想した後、『胎蔵法』の『成火炎印』と同様に、次に摩利支天の火炎をまとって邪魔や敵と相対するのである。なぜ摩利支天かというと、摩利支天はサンスクリット(梵語)で「マリーチ」といい、「焰光陽炎」つまりは太陽のコロナを意味していて不動明王の本地であるところの大日如来に関係する。また、その熱でどんな物も溶かしてしまうと共に、コロナの炎は太陽の光に隠れて「目に見えない」ことを意味する。さらには摩利支天の誓願の中には、自身と仏法に敵対するものは「必ず三悪道に落とす」というのがあり、不動明王が「たとえ地獄の炎に背中を焼かれても、一切衆生をその入り口で救う」というのと、好対照の一対をなすからである。

残りの七つのうち前半の四つの印契は、順に「辟除結界」の意味を表している。「外獅子印」は外側の不浄を焼き尽く火焔の輪と、外から来る邪摩を打ち払う金剛杵を表すもの。「内獅子印」は内側の不浄を焼く火焔の放射と、内なる障害を取り除く慧刀(慧剣)を表すもの。「外縛印」は外に城壁と門扉を作り、それらを堅く閉じることを表す。「内縛印」は内側にシャッターや天鉄(鋼鉄)製の扉を作り、それらを堅く閉じることを表す。

後半の三つの印契は、本尊の威光と内証を表している。「辟除結界」の主尊となる不動明王の内証は、本地である大日如来に他ならないことを表すのが「智拳印」。この大日如来は、扁照尊の異名があり世俗にあっては太陽を意味していて、その威徳を代行するのが日天であるので、「日輪印」を結ぶ。また、その威力にたとえられる太陽のコロナの如き摩利支天の神通力で、魔物からは姿が見えないように「摩利支天隠形印」を結ぶ。これにより、警護の主尊である不動明王は邪魔や魔物、外敵からは一切姿が見えない透明人間のような状態で常にお寺や道場、本尊の曼荼羅や瑜伽行者の身辺に付き従い、その炎によってあらゆる魔障を焼き払い、慧刀によってなぎ払うのである。

これらの「九字」の符牒に基づく印契を結び終わって、後は「刀鞘印」を結んで慧刀により四方八方をなぎ払う、俗にいう「九字切り」の作法を行なうのである。無論、不動明王の「刀鞘印」を結んだなら、加持の真言を三回唱えることは言うまでもない。』

※「六道」、「八正道」、で、「九字護身法」と。偶然だが数字がらみ。


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