まちや小(ぐわあー)

その先を曲がったら何があるのだろう、どきどきしながら歩く。そして曲がってみて気がついたこと・感じたことを書く。

泣ける話

2010年12月31日 | Weblog
とか泣ける歌とか、
これ
泣かせようとする話とか
泣かせようとする歌ってこと。

泣く!ということは自然にそうなることで
これを聞いて泣かなければ!みたいな
そういったお仕着せは
単なるお仕着せで
だから、いやらしさが先に出てくるわけで

また「泣ける」などどいった話や歌もそうあるものではないから
段々とネタが尽きてくるのは見え見えで
そうなると、ネタを送り出す側のパワーもなくなり、
番組としても寿命が尽きてくるのは当然で、
でも1つの番組が成功(視聴率が高いとか)すれば
2番手3番手も出てくるわけで、

でも2番手3番手はなんの仕掛けもないから
いやらしさだけがあるだけ。

これ、自治体にもあてまはる。
自分たちで考えてやったことと
それをまねしただけのもの。

そこに大きな違いがあるわけだ。

まあ、自分たちでやった、というには自分たちの頭で考え(企画・立案)準備をし、お金を出し、体も使いということをしているのなら、それはそれでいいが

前述したように、単なる「マネ」ではダメ。
そこには何も残らない。
思いもない。
あるのはやった!ということだけ。
これではだめ!



他人の

2010年12月31日 | Weblog
頭とお金を使うのではなく
自分の頭とお金と
そして体を使う。

こうでなきゃ!

他人の頭に、お金を出しては
「いいまち」を作ることなんて無理。

自分の頭とお金と、そして体を使うことが出来なければ
「BOBO」。

市税の

2010年12月31日 | Weblog
収納利率が県下ワースト。

なので、どうかしなければ!
これ、当たり前のこと。

問題はなぜ収納率が低いかったこと。

これ、噂(でも信憑性はかなり高い)なのだが、
昔(町の時代)は長の「それは親戚だから」とか「有力者だから」とかの一言で
未納していることが分かってもそのままにしていたという。
それもかなりの数。

これ、おかしいのに誰も長に対して「おかしい!」と云わなかったという。
これ、今も同じ。

となると、昔から今も長の顔色をうかがうことが職員の仕事なのかということ。
未納者と長、どっちを向いているのか!

で、今は「収納に力を!」と。

でも、ここにも問題が。

未納者への催促は電話で
しかも、職員がするのではなく
「○●センター」の女性職員などから。
なので、いろいろ聞こうとしてもその内容については分からないとのこと。

これ、電話するだけの業務を請け負っているのだからそれは仕方がない。

でも、少なくてもその内容を説明することの出来る人を置くべきで

そこに、市の職員がいないというのが問題。

このまちはなんでもお金(税金)で解決する。
だから、以前にも書いたようにあれもこれもある。
でも、そこには思いはない。

ただ、お金で作られたものだけ。

そして最大の問題は市税、特に市県民税の収納率が低くても固定資産税さえ入ってくれば市県民税の収納率が低くても税収はカバーできるというとんでもない発送が昔から今まで根強くあるということ。

それが、このまちの収納にかんする最大の問題点であり、このまちの最大の特徴。

つまり、自分たちはないもしなくてもお金(税金)は入ってくる。
財布の中に入っているお金を使って、財布の中のお金が少なくなっても次に財布を空けたらまたもとのようにお金が入っている、そういったことがずっと続いて来た。

これが?であり!であり、他の町と違うところ。
簡単にいうと「裕福な町」であるということ。

だから、やりたいことはやってきて、
でも税収の伸びが止まってきたとき、初めて「?」になり、
で、収納率向上のためにいろいろやり始めたということ。

これ、まるで「アリとキリギリス」のキリギリスを見ているようで
でも、根本は懲りてない(分かっていない)とことが凄い。

お金をかけているから、さらにお金がかかるようになっている。
それは例えば福祉。
生活に困ったら「○●市へ!」とネット上で書かれている。
それも1件や2件ではなく数多く。

となると、そこにまたお金をかける、かけなければいけなくなる。
長も選挙ではそこに力を入れるからさらにお金がかかっていく。

これの繰り返し。

根本的なこと(市のあり方)を考え、そして実践していくこが必要。
で、計画だけはある。しかしながら、それは自分たちの頭で考えたものではないものが。

これがこのまちの弱点の特徴。
自分たちが足で調べ、自分たちの頭で考えたものがベースになって作られたものがないというか、それをしないでお金で業者に作らせること。

これ、自分たちが住んでいるまちを知らないでいることがその原因。
また、前述したようにお金(税金)があるから、自分たちのお金を出さずに、他人の税金を使うだけ使うといった慣習があるということ。

ここが何十回も繰り返すが、このまちの特徴であり悪癖である。
これを改めないとダメなのだが、何十年もそういったことをしてきたために
なんとかする方法を知らないし、知ろうともしないから、これが凄い。

まあ、なんともすごいまちってことだけが県内、そして全国に発信され続けていくのは間違いないのだが、それを恥と思ってどうにかしようと真剣に考え、そして行動していく気力と体力があるか、またそれを継続していくことが出来るかどうかがこのまちの課題なのだ。

空き缶

2010年12月31日 | Weblog
は最初から中には何も入っていない。

また、中身がないから軽い。
で、風でもコロコロ。

蹴ったらどこに飛んでいくか分からない。
そんなもの。

何もしない

2010年12月30日 | Weblog
何も出来ない。
それでいて何かを云う。

これ、いう権利は全くない。
云うなら、何かをしてそれで云うのはいい。

何もしないで何かを云うということを
それを恥ずかしいと思わないのか。

何かをして、で、それが上手くいかなくても
何かをする、ということは素晴らしいこと。

ただ、それは前を向くという前提があってのこと。
否定するために動くというのは
人として最低の行為。

してはいけないが
前を向くために何かをすることに比べたら
圧倒的に「否定」するために動くことが多いように見える。

これ、最低なこと。

例えば「怒る」と「叱る」
この違いが分かって、で、怒ったり叱ったりしているか。

おそらくは「怒ったり」しているだけではないか。
それもなんてことのない理由で。

「怒る」ということはそれなりの理由があったのこと。
それがなんの理由もないのに怒ることがある。

これは「怒る」ことの意味も知らない。
また「叱る」ということも同じ。

単なる感情だけで「怒ったり」「叱ったり」「何かを云ったり」「行動」することは
いいけないこと。

まずは考えること。
そして分析し、次に行動(云ったり)に移す。
これが出来ていない人が多い。

また勉強していない人も多い。
自分の中の在庫だけで物事を判断している人が多い。
新しい情報は入れない・入れようとしない人が多い。
これではいけない。
でも、そうは思っていないから、これが問題。

柔軟な頭(分析力、理解力、発想)と、そして行動、
これが必要!

時間がない!

2010年12月30日 | Weblog
という言葉は単なる言い訳でしかない。

時間は作るもの。
ない!というなら寝る時間をその分少なくすればいいだけ。

また、年末年始なら本を読む時間はあるはず。
なら、こういった本を読むべし。

これは「まちづくり」についての本。
ただし、まちづくりに興味がある、担当者だからといって
その中身をコピーしようとはしないこと。
そこに書かれている「発想」をコピーすること。

それには柔軟な頭と
それを行う行動力・実践力が必要になる。

これ、出来ないことではない。
出来なければ、出来るように(対応できるよう)に普段から準備・トレーニングすればいい。

これ、相当な時間(何年・何十年)と体力と頭と、そしてお金(自分で出す)が必要。
これ、大変だけれど、でも、とても楽しいこと。

楽しいと思うようなことをするのなら
そのための努力は無限大にすること。

それが大事。

決まり

2010年12月29日 | Weblog
がある。

でも、運用はバラバラ。
これが実態。

なので「統一を!」という声は今までになく
あるのは上に対していい子ぶりっ子をすること。

例えば台風が来た。
警報が発令された。

これ、決まりでは防災担当が待機することになっている。
ところがそれ以外の人たちを待機させている。
それも、部署ごとに対応人数、体制はバラバラ。

これ、決まりにはない。
それぞれが勝手にしている。

で、そういったことが年間に何度もある。

で「おかしい!」という声は今までにあったのかというと
どうもないらしい。
これ「待機」していればいい子に見えるから?
まさか、そういった考えではないのだろうが
慣習のように決まりではないことをしてきた。

なので「おかしい!」と声を上げてみた。

そうしたら見直された。
これ、当たり前のこと。
良識(常識)がある人なら当たり前に思い、直す。

でも、このまちは当たり前のことをしてこなかった、
そういったものが数多くある。

一例を挙げると
投票管理者を職員が行う。
これ、重複給与(法、条例「一般職の職員が特別職の職員を兼ねる場合は給与を支給してはならない」に違反)の禁止になり、給与は出せない。
そこを問うと
いちのまにか条例を「時間外の勤務に限り」と改定してしまう。

なら、その前は違法じゃないの!
そういうと黙る。

次に昼休み当番をしてその分夕方早く帰る。
また、夕方早く帰れない場合は時間外を支給。
これも法に違反!

それを問うと、これまた知らないうちに直す。
こんなのばっかり。

これで「市」ですというのだから
「なんだよ、それ!」なのだよ。

分かっていない

2010年12月28日 | Weblog
分かろうとしない!

これが事実。

自分の経験論でしかものが言えない。
体系的にとか
勉強してとか
そういったことはない。

だから情報としての量もないし、ストックもない。
また、情報を得ようとしない。

悲しいかな、これが事実。

だから「こうですよ!」と云っても
「いや違う!」と持論を曲げないし
確認もしない。
だから「そうなのか!」ということもない。

これではダメ。
まずは聞く耳をもつこと。
また、その上で確認し、正しいと思えるような判断をすること。

例えばある事例があって、その原因が正反対な2つがあるとする。
そこで、2つとも聞いて、そのうえでどちらが正しいか判断する。
それにはそのことに対しての知識を持っていないと出来ない。
また理解しないと出来ないし、判断能力があるかどうかということも?

問題は「知識を持っていない。持とうとしていない」ということ。
繰り返しになるが、それでいて、自分が持っているものが正しいと思っていること。
これ、大問題!

まずは知ること。
相反することがあったらその両方を知ること。
それが必要。

で、次に判断する力。
どちらが正しいか。
その能力があるか、
これも問題。

1つのことに拘っていたら、判断は曲がるし、先も見えない。
思い込みすぎてはなおさら見えるものも見えなくなる。
もちろん、物事の本質を捉えることなんて出来ない。
でも、こういった人が多い。
それで、あるべき方向ではなく、違う方、行き先(方向)が変わる。

これではいけない。
でも、その人たちはそれでいいと思っている。

もって柔軟な頭で物事にあたらなければダメ。
今こそ、それが求められている。

それが出来なければダメ!

あれもある

2010年12月26日 | Weblog
これもある。
あれもしてる、これもしてる。

では、その中身はというと「ない!」。

お役所用語でいうところの「決まりはある」けれど「運用」の部分はなし。
これではなんにもならない。

決まり(条例)はある。
モノは作った。
では、それをどう使う(運用する)か。

それを分かって&運用できる人がいるのか。
これ「いない!」

データ(数字)はいっぱいある。
で、データ上は立派なように見える。
でも、中身はない。
また、数字だけでしか表わしてないから現場を知らない。

これではただの「張りぼて」。
そこに中身を入れないと!
このまちは「張りぼてのまち」。