まちや小(ぐわあー)

その先を曲がったら何があるのだろう、どきどきしながら歩く。そして曲がってみて気がついたこと・感じたことを書く。

自己満足

2011年05月31日 | Weblog
3月11日の東日本大震災から「youtube」などにいろいろな人が撮った画像が。

でも、見ることのできるレベルのものは皆無!

ブレ、視点が定まってない。
落ち着かない、いったりきたり。

これで「撮りました、どう?」なんて言ってたりするのだから
もう呆れてしまう。

これ、テク以前の問題。
何かを伝えようとするなら、目的を持って撮る。

それが出来ていない。
なので、見るに耐えない。

これ
自分ではいいと思っているのだろうが、
結局は「自己満足」に「自己陶酔」。

「動画」というだけの
ただ、それだけの「モノ」。

何をいまさら

2011年05月31日 | Weblog
電気自動車にハイ・ブリッド。
どっちも元は取れないのは分かりきったこと。
また内燃機関(エンジン)でもハイブリッド並みの燃費と、デザイン&乗り心地はハイブリッドをはるかに超えていくことを、マツダが「スカイアクティブ」で立証したことをしっかりとインプットした方がいい!


『電気自動車のバッテリー、実はコスパの高い蓄電池になる (NEWSポストセブン)
 
東日本大震災による原発問題によって、電力不足が問題視される中、充電のできない電気自動車(EV)など無用の長物になるのではないのか? といった声が聞こえはじめた。
しかし、こうした現状においても電力はガソリンにとって代わるもっとも有力な代替エネルギーだとの説もある。いま電力インフラをもっと活用すること、そしてEVやハイブリッドカーが持つ給電機能や蓄電機能に注目が集まっている。
震災直後、被災地では深刻なガソリン供給不足が発生。そこで電力供給設備さえあれば稼働できるEVのニーズが高まっていた。

実は電力はもっとも早く復旧できたインフラであった。日産自動車は支援車両としてEVのリーフを65台提供。地域医療を担当するドクターの移動車両などとして活躍した。また同様に三菱自動車のi—MiEVや電動バイクや電動アシスト自転車なども提供され、人命救助に役立てられていた。自動車ジャーナリストの西川淳氏は語る。

「EVは原発への依存を前提にしなければ普及しないという、短絡的な発想は捨てたほうがいい。現在のEVはそもそも夜間電力ありきの乗り物。『夜間電力=原子力』というイメージが蔓延しているようですが、実際に夜間電力を生み出しているのは、原発に限ったものではなく、火力発電なども同様です。
そして、現状では作り出した電力を蓄電することができないため、余った電力は捨てられている。つまり使える夜間電力は、まだまだあるというわけです」

前述の日産リーフの場合、携帯電話を使ったリモコン操作で昼の電力ピークを避けて、夜間にタイマー充電させる機能を持っており、捨てられている夜間電力の有効活用が可能だ。

火力、水力、風力、太陽光、地熱など原子力以外の発電方法はいくつもある。原子力がなくとも電気を作ることはできるし、どの方法で作っても電気なのだ。問題は現状ではダムの水のように大きく蓄える技術がないこと。

そうした中、迫りくる夏の電力不足への対策として、家庭向けの蓄電池が商品化されはじめている。しかし、容量1kWhで約90万円、2.5kWhで約190万円とまだまだ高価。これに対し例えば、日産リーフのバッテリー容量は24kWh(一般家庭の約2.5日分)で価格は376万円、国の補助金を使えば約300万円におさまる。これも蓄電池のひとつとして使えるとするならば、そのコストパフォーマンスはかなり高いといえよう。

「すでにEVを家庭用のバックアップ電源として、さらには市区町村など自治体の電力貯蔵装置の1つとして使うスマートホームコンセプトなどスマートグリッド構想の研究開発も進められています。

メリットは他にもいろいろあるわけで、今後はさらにEVの可能性を広げることを考えるべきでしょう」(前出・西川氏)

昨年度販売されたリーフは約4,500台。これを全て電力供給源として使うと仮定すれば、1万1千世帯以上の1日分の電力をカバーできる計算だ。すでにリーフを電力供給源として使えるデバイスの開発は進んでおり、早ければ年内にも発表されるという話も聞く。
平均すると1日のうちクルマが移動手段として使われているのはわずか2時間程度といわれている。EV車なら1日平均2時間の「移動手段としての機能」提供だけでなく、いざという時の「蓄電池としての機能」も――というのは、電力供給に不安を抱えている中で大きなオプションと感じられるだろう。

もはや従来の自動車の枠にとらわれない、社会インフラの1つとして、EVは大きな可能性を秘めていると言えそうだ。』

可能性はあるが採算性や実用性はあるのか、そこが大疑問!

匿名の

2011年05月31日 | Weblog
理由がこれ?


『決して有名人ではない人がネットでは匿名の方が良い理由9個 (ガジェット通信)

ここ数年で従業員がネットに余計なことを書いては企業がクレームを受け、挙げ句の果てには書いた当人も退社や内定取り消しに追い込まれたり、過去を色々暴かれるなど、不幸になることが増えている。至近な例では「契約選手とその妻をツイッターで侮辱社員」のアディダスと「テロ発言社員」の東京電力、その前は「レイプ犯容認内定者」の三越伊勢丹ホールディングス、「サッカー選手とモデル訪問暴露アルバイト」のウエスティンホテル、少し古い例でいえば「ホームレス生卵投げつけ動画を公開内定者」のパナソニック、「恋人全裸写真流出社員」の三洋電機もあった。
ここ数年、「ツイッターで就活を!」「ソーシャルメディアでセルフブランディング!」「フェイスブックは自分の名刺代わりになります!」みたいな論調で日本のネットでも実名主義の方が利点アリといった意見が多数出ている。
日経トレンディ6月号のフェイスブック&ツイッター特集では、フェイスブックの海外戦略を統括するハビエル・オリバン氏のこんな発言も掲載されている。
「日本でも、フェイスブックの普及がきわめて順調に進んでいることを考えると、気がつけばソーシャルメディアは実名が当たり前、通販もソーシャルメディア経由が当たり前、という状況になっているだろう。実名制は、必ず日本を変えるはずだ」
ほかにも実名推進主義者は多いが、そういった方々の大部分は実名で記事をIT系のサイトに書いたりしている。一方、2ちゃんねるなど基本匿名(その場に名前が出ない)の意見を見ると、「日本みたいな陰湿な国で実名晒すのが馬鹿」といった意見も出てくる。
実名で原稿料をもらっている人間にとって「匿名の方がいいです!」なんて言いづらいものではあるが、私自身の結論としてはこうだ。
実名を出せば儲かる人(著名人・会社経営者・フリーランス・店=「A」と呼ぶ)はネットでは実名で情報発信すればいい。ほとんどの儲からない人(世間的にその名前に意味を持たれない会社員・公務員・学生=「B」と呼ぶ)は匿名の方がいい。
普段はものすごく真面目で穏やかなのに、人間なんてものは酔っぱらった時やテンション高い時などにはついネットにバカなことや怒りを書いてしまうこともあるのだ。そのリスクは結構高い。それはAもBも同様である。Aの場合でいえば、ラサール石井の「浅田真央はエッチすべき」がある。
ただ、Aの場合は慎重に振る舞いさえすれば、時にリターンはあるわけで、実名の意味は十分にあるだろう。Bの場合、悲しいかな、普段はいくらいいことを言っていたとしてもなかなかリターンは少なく、一つの失言により全部を失ってしまうこともある。
というわけなので、実名か匿名か悩んでいる「B」の方々に向け、デメリットを9点書く。実名のメリットについては数多くの書籍やIT系メディアの記事でも出ているので割愛。ただし、基本は「実名だろうが匿名だろうが普段から品行方正に振る舞え!」が基本である。ネットは公の場なのだ。
【1】一つの失言で人生暗転の可能性も(冒頭の例を参照)
【2】恥ずかしい発言・写真がアーカイブ化される。自分では消したつもりでもすでに魚拓を取られたり転送されまくり、もはや制御不能に
【3】人間は「イタいもの」をより広げたくなる。一つのイタい発言は広げたくなる
【4】仮に美人だったとしたら、余計なストーカーから待ち伏せされたりするようになる
【5】ブサイクでも、そのブサイクさを勝手に加工されたりあだ名をつけられたりする。まとめサイトも作られ、実名で検索するとその「イタい過去」をすぐに見つけられてしまう
【6】匿名の人からの攻撃を受ける際の材料をあちらは大量に持っているが、こちらは何も持っていないという「非対象戦争」を仕掛けられる。しかも、匿名の人に勝っても徒労感だけが残り、得るものはない
【7】マジメなことを論じたつもりでも、なんだかんだいって文章に知性は現れてしまう。ネットはバカを可視化し、バカのレッテルをいつの間にか貼られてしまう
【8】あの野郎から自分のことを悪く書かれた!と周囲の人が疑心暗鬼を生じたり、会社の同僚に自分が何をやっているかがバレ、「あいつは会社ではグータラなのに……、夜は元気でいやがって……」などと呆れられる
そして、これが最もデカいのだが、
【9】いじめる対象として、相手が匿名では面白くない。実名の方が相手の人生を狂わせることが可能なので「いじめがい」がある。故に実名の人はいじめられやすい
あとは、実名がBの方々に役立つ、と言われていることへの意見を。
【転職に役に立つ】
普通、ネットでその人物の検索をかける際、「いいこと」よりも「悪いこと」を探したくならないか? いいことは面接で言うだろうし、エントリーシートに散々書いてあるわけだ。ネット検索はむしろ悪い材料を探すために使うもの
【知り合いに出会える】
学生時代の友人など、電話番号やらメールアドレスはすでに知っていたというのに別に会わないもの。なぜネットの実名登録をしたからって関係が復活するのか。「知り合いに出会える」の本当の意味は、「一度飲み会を開催できるきっかけを与える」である。となれば途端に「知り合いに出会える」のことばは陳腐化する。しょせん人間にとって「大切な人間」の数は限られており、それは「今現在付き合いのある人」。同窓会は一度やればそれっきりになり、発展性はない
【名刺代わりになる】
いやいや、会わなくちゃ人物は分からないでしょう。名刺代わりというか、事前の知識収集ってことでしかない。あと、ネット上にアップした情報ってあまりにもキラキラし過ぎていて実際会った時はがっかりするもの。ましてや一緒に仕事すると「あの華麗なるプロフィールはなんだったんだよぉぉ!」と嘆くことだらけ
【会いたかった人と会える】
匿名でもまともな発言を普段からしていれば、意外に会ってもらえるもの。実際に会った時まで匿名の人は滅多にいないので、「実名だから会える」ということは特にないのでは。「実名の人としか会いません」という人はオレはあんまり好きじゃないな
私は「お前が実名がいいっていったから実名にしたら炎上しただろ!」なんて言われるのは面倒臭いので絶対に「ネットは実名でやりましょう!」「実名制は、必ず日本を変えるはずだ」なんて恐ろしくて言えません。』

「本名で書け!」って
それ、この国ではだめなのか?

だな!

2011年05月31日 | Weblog
「コンビニの買ってはいけない食品 買ってもいい食品」

おうしそうなおにぎりのツヤは油!?
ふっくらしたパンでホネがもろくなる 

否定だけでだめ。
とこには肯定も必要!

おかしいいことを

2011年05月30日 | Weblog
おかしいと言えない。

これ、アホ&バカ。

おかしいことは相手が誰であれおかしいと言えばいい!

それが出来ないのは単なる腰抜け!
それが出来ないのは単なる意気地なし!

おかしいことをおかしいと言えばいい!

ただ、それだけ。

平成の大合併

2011年05月30日 | Weblog
の弊害がここに!


『公務員増員で住民と行政の「協同」を図れ

2011年05月27日 12時18分
リベラルタイム6月号(岡田知弘 京都大学大学院公共政策大学院教授)

記事本文
 
東日本大震災は、マグニチュード九・〇の巨大地震に続き、一千年に一度といわれる大津波、さらに東京電力福島第一原子力発電所の放射性物質流出事故を誘発し、三万人に及ぶ死者・不明者と十四万人に達する避難者を生み出した。一カ月以上経過した時点でも、行方不明者の安否や被災状況の全容が把握できない状況におかれている。

岩手・大槌町や陸前高田市、宮城・南三陸町をはじめ、少なからぬ市役所や役場が災害によって大きく損壊し、首長や多くの職員が犠牲になり、救護、復旧、復興の中枢に位置すべき基礎自治体の機能が著しく失われたことも大きな特徴である。加えて、福島第一原発周辺地域では、住民とともに役場・市役所機能も避難・移転せざるを得ない、前代未聞の事態となっている。

他方で、大震災からの復興論議の中で、被災した基礎自治体の合併を円滑化すべきだとか、あるいは東北で道州制を睨んだ広域連合をつくるべきだとする、自治体再編論も一部で主張されている。

広域自治体の問題点 小論では、震災復興における自治体の役割と被災自治体の再建のあり方について、これまでの市町村合併政策や、道州制導入論を軸にした地方分権改革(民主党政権下の地域主権改革)政策とも関連づけながら、検討してみたい。

地震は、自然現象の一つであるが、それが人間社会を襲う時、災害となる。この災害は、特定の地域社会において最も弱い部分に大きな被害をもたらす。阪神・淡路大震災以降、人命に関わる地震が、たびたび日本列島を襲ったが、それらは大都市部の高齢者、そして合併した自治体の周辺部の、高齢化が進んだ集落で大きな被害をもたらしてきた。

今回の東日本大震災においても、「平成の大合併」において合併し、周辺部となった地域において、被害の把握が遅れたり、救援物資がなかなか届きにくいという事態がしばしば起こった。というのも、「平成の大合併」の最大の効果は、職員数を削減できることであり、それまでの役場が支所となり、人員が大幅に削減されたため、地域を把握する力も、災害への対応能力も、地域経済の投資主体としての役割も、大きく削ぎ落とされてしまったからである。

例えば、非合併自治体の陸前高田市の場合、二〇〇一年度の一般職員数は二百六十六人であったが、〇九年度は二百五十九人だった。これに対して、七つの市町が〇五年に合併した石巻市の場合、同じく合計一千六百二十人いた職員数が、〇九年度には一千二百八十六人まで減少しているのである。しかも面積は五〇〇㎞を超えており、市域内の全集落の状況を詳細に把握すること自体、困難となっていた。

そのような災害に弱い地域社会構造に、巨大地震と大津波が襲ったために、被害の把握にとどまらず、復旧・復興にも支障をきたすことになると考えられる。

重要なのは「人間の復興」 他方、政府の復興構想会議が発足し、「創造的復興」という言葉が使われている。これは、阪神・淡路大震災の際の復興理念でもある。が、その結果、不要不急の新空港や道路建設が最優先され、住民の住宅復興、生活の再建は後回しとなり、十年経っても「七割復興」といわれるような苦い経験をしたことを忘れてはならない。

関東大震災の際に、経済学者の福田徳三氏が提唱したように、道路や建物の復興は手段に過ぎず、最も重要なことは、人々の人間らしい生活の復興、すなわち「人間の復興」である。

民主党が構想している、さらなる市町村合併や、財界が標榜している道州制は、財源を集約するための「選択と集中」による大規模プロジェクトには適しているが、今回の被災地域の住民の生活の再建や、その基礎となる地域産業のきめ細かな再生を支援することにはならない。

それは、「平成の大合併」によって、ほとんどの広域合併自治体において、周辺部の地域経済が衰退し、さらにそれによって中心部も衰退するという現象が広がっていることからも、容易に予想できよう。

これに対して、〇四年の新潟中越地震において、全村避難を余儀なくされた新潟・山古志村では、「山古志へ帰ろう」という住民合意を広げることで、生活領域である旧村単位で、住宅を中心に生産基盤と生産活動、生活機能を一体として再生する復興計画をつくり、住民と行政が協同して実践することで七割近くの住民が山古志に戻り、生活再建を成し遂げた貴重な経験を生み出した。

今回の大震災においても、避難所や集落単位でコミュニティがつくられ、共に助け合いながら、自律的な再生への取組みが開始されつつある。これこそ地方自治の精髄である。

基礎自治体の再建のためにただし、このような地域自治だけでは、今回の大規模災害からの再生は困難であり、住民の最低限の健康で文化的な生活を保障する基礎自治体の再建と、それに対する県及び国による強い支援が必要となる。

それは、被災者の支援という側面にもおいても、被災地の復旧・復興計画を、住民の生活再建を第一に考慮し、主権者である住民とともに総合的に策定、実施していく側面においても、行財政権限を持つ基礎自治体は重要な役割を果たすからである。今回の大震災では、市役所や役場が、人的にも物理的にも大きな被害を受けた。このため、復旧・復興を行っていくためには、自治体職員の確保、増員及び、国及び全国の地方自治体からの専門職員、一般職員の長期派遣という形での支援体制の抜本的強化が必要となっている。

ただし、「三位一体の改革」と市町村合併の推進の中で、非被災地の基礎自治体及び都道府県職員の数は大きく減少しており、派遣する自治体側でも人手不足と超過勤務が恒常化しつつある。公務員の過度な削減が、被災地に支援職員を派遣する非被災自治体側での余力も失わせているのである。

これらの矛盾を解決するためには、他の先進国と比較しても少なすぎる、人口当たりの公務員数を増やす政策への転換が必要である。とくに被災地では、被災住民を、復興作業にあたる臨時公務員として直接雇用することも検討すべきであろう。そうすれば、住民の生活再建と地域経済、地方自治体の再建をともに追求することができよう。』

体が大きくなればなるほどかゆいところにまで手が届かないってことが、合併でサービスが遠くなるってことが今回の「東日本大震災」で証明されたわけだ。


これ、

2011年05月30日 | Weblog
まるでどこかの自治体の「東日本大震災」時の初期対応と同じ!


『炎を目視で初めて火災…JR北マニュアルの不備 (読売新聞)

北海道 占冠 ( しむかっぷ ) 村のJR 石勝 ( せきしょう ) 線・第1ニニウトンネルで特急「スーパーおおぞら14号」(6両編成)が脱線炎上した事故で、JR北海道の社内マニュアルでは、車両火災として実際に乗務員が炎を目視して初めて、「火災」と覚知することになっていることが分かった。

今回の事故では、乗務員が煙で炎を目視できず、結果的に乗客の避難誘導が遅れた。同社は対応に問題があったとして、マニュアルの見直しを検討する。国土交通省では、マニュアルの内容を確認し、事故時の対応が適切だったかどうか検証する。

同社によると、乗務員マニュアルである「異常時運転取扱手順書」などで、「火災発生の確認」は、運転席の火災ランプが点灯しても、乗務員が実際に炎を目視することを求めている。同時に、乗客の安全を確保し、避難誘導するよう定めている。

今回の事故では、27日午後9時56分、列車がトンネル内で緊急停車。その後、運転席の火災ランプが点灯した。4両目(3号車)にいた車掌(60)は、車内の煙がひどいため、午後10時7分、「降りてトンネルから避難した方が良い」と指令センターに連絡したが、指令は「トンネル内なので乗降ドアを開けたとしても煙が入ってくる。ドアを開けるのは待つように」と指示した。

車掌は、札幌側のトンネル出口までの距離を確認するために降車し、運転士(26)は火災を確認しに列車を降りたが、煙で炎は確認できなかった。列車に乗り合わせていたJR社員が同10時30分頃、「煙が充満しているが、火災は発生していない」と、同社指令センターに報告。この頃、乗客は次々と自主的に避難を開始し、乗務員も誘導した。』

違うのはJRはマニュアルの通りに、で、片方はマニュアルがあってもマニュアルにしたがって動いていなかったという、その部分。

仏眼

2011年05月30日 | Weblog
直感線が両手に、
また「仏眼」も両手にある。

なので「非常に霊感が強く…(そのあとの言葉はあまりにすごすぎてここでは書けない)」と云われる。

この言葉にうなずくしかなかった。

青空市

2011年05月30日 | Weblog
にはならなかったが(台風)、
このイベントを中止せず、行ったことはやはりよかった。

中止するのは簡単。

だが、このタイミングでしか出来ないものがある。
それを中止することは
それだけの思いでしかないということになる。

これは規模の問題ではなく
思いの問題であり
思っているだけでなく
感じているだけでなく

行動を起こすことが
大事なんだということを
あらためて実感として
再確認させてくれたのだ。

で、これは単に1日だけで終わりにしてはいけない。
続けていくことが一番。

思いを持ち続ける。
そして、行動も。

これが大事!