まちや小(ぐわあー)

その先を曲がったら何があるのだろう、どきどきしながら歩く。そして曲がってみて気がついたこと・感じたことを書く。

使えない

2009年09月28日 | Weblog
ホールなのに出演者控え室2つのうち1つは「市の事業」のために使っているので使えない。
なので、女性プラスメンバーなどどいった場合は、メンバーは会議室などが控え室に。

また、ステージの照明はフル稼働するのには3系統のラインが必要なのに1系統しか使えない上に、その1系統も使っているうちにどうなるか分からないコンディションになっている。
いくら、市でのイベント時に業者を入れて&照明も持ち込みといっても電気系統の配線・配電盤等がまともに使えないというのは最低のこと。

さらに照明のランプ(球)はいくつか切れていて、取り替えようとしてもスペアの球も置いていない。
これではせっかくのホールもなんのためにあるのか。

「使えない」いいや「使うな!」そういったようにしか見えないのだ。

まあ、1つのまちに「ホール」と呼ぶことの出来るものは1つでいいと思っているのだから、もう1つのホールはどのような状態になろうと気にしないってことなのだろう。

収穫祭

2009年09月27日 | Weblog
自分たちで何が出来るか。
「何もないなら、自分たちで何かを作り出してみよう!」
そういった思いで動き出して1年以上の期間をかけて準備を。

で、2時間で5,000人以上の人が来てくれて
餅つきにはなんと「渋滞」が!
そして、開始1時間で完売するほどのお店があったり、福祉施設のお店では過去最高の売れ行きがあったりと、ものすごい反響が。

「5,000人」
これは「主催者発表」というまやかしのものでなく
よくある「警察発表」というには?だが、実際に会場に来てくれた人(カウント)たちの数


これ、やってみて分かったことだが、
みんな、こういったモノを求めている。
合併して1つの「まち」になったから
「2つなくていい、1つでいい」といったこと(考え、実践)が如何に住民にフラストレーションを与えているか。
そこの部分を自治体が分かっているか、
ここの部分について今回「収穫祭」という名の検証をしてみたわけだ。

しかし、自腹で何かをするということはとんでもないことで
補助金とか助成金とか、そういった制約がないということは
逆に「責任」という言葉がまともにかかってくるのであって
それが「補助金」とか「助成金」だと
どこか、責任もあやふやになってしまい、
さらに「達成感」という部分で雲泥の差(「思い」の部分が特に)があるわけだ。
自分たちのお金で、で、頭も体も使う。
これ、実に大変なことだけれど
自治体には絶対出来ないもの。

まあ、いくらこういったものをやっても「なんかやってる」程度にしか感じないのでは「市民協働」なんて看板を上げるのは早すぎるんじゃないの?

まずは、自分たちで何かを始め、続けていく。これをしていないと何も分からないし、何も出来ないのだ。


ヤラセ

2009年09月25日 | Weblog
「ダム建設を!」
八ツ場ダムの建設中止に対し、一般住民がこういった発言をする。
そしてそういった画像が全国に配信(放送される)。

ところが、それが一般住民ではなく、一般住民を装ったダム建設派の町会議員だったわけで。
それなら「ヤラセ」としか言いようがなく、
で、それを垂れ流すマスコミは、マスコミでなく「マスゴミ」

これ、ひどい話。
こんなので「住民たちが!」などど、よくも放送出来たもの。



八ツ場ダム

2009年09月23日 | Weblog
「事業がすでに70%終わっている、だから今さらやめることは!」
これがマスコミが垂れ流している「デマ報道」

正確に書くと「予算の70%を使っている。だが、本体工事にはまだ着手していない」こうなる。

これ、書き方1つで全く違う見方になる。
つまり、70%とは総予算の4,600億円のうち3,200億円を使った。
繰り返し書くが「予算の70%を使った。しかしダム本体はまだ未着工!」これが正しい(実態)のだ。
これ、マスコミは分かっていて、正確なことを書かないし、また国民に伝えない。
これでは「報道」とか「ジャーナリズム」とか「公平性」などとはいえないのだ。

しかし「70%」といっても、その実態は「道路・鉄道の付け替え(国道分が6%で県道分が2%、鉄道の付け替え分が75%で)」で総予算の70%を使ったわけで、これは驚きの数字。
しかも2004年に計画の見直しをして、その時点で総予算は2,100億円だったのが4,600億円になってこれだから、いったいこのダムが完成するまでにいくらかかるのか?(これ「霞ヶ浦導水」とまったく同じパターンなのは笑える。)
だからこそ、ダム本体が着工していない・工事が進んでいない今、事業を止めるべきなのだ。

また、マスコミに大きな問題がある。
このダム建設に対する「賛成派」と「反対派」両派の意見を正確に伝えていない。今、マスコミが流しているものは、少数の「賛成派」の声を、さも全体のように伝え、大多数の「建設反対派」の声を無視する、そんな報道姿勢なのだ。
これこそ、偏向報道であり、デマ報道なのだ。

意味のなくなったダムは要らないのだ。
それを正しく伝えないマスコミもいらないのだ!

まあ「マスゴミ」だから、ゴミ箱行きが一番あっているのだ。

公共事業

2009年09月22日 | Weblog
一旦始めたものは止めることが出来ないのか?
建設業界は「公共工事」というバラまきを受け、政治家は「票」を、そして官僚は「天下り」という恩恵を受ける。

そして、住民は「代替」という名の、それがお金であったりの恩恵を受ける。
この部分は仕方のないこと。

ところがそれを期待している(甘えている)部分には?がつく。
何十年もかかって完成しない。
当初の意味は(ダムだったら、治水や利水等)もうない。
「計画ありき」で進められてきたものは、ここにきてその化けの皮がはがされた。

ところが「ここまで計画が進んでいるのだから!」とか云う。

それじゃあ、完成するまでにいったいどれだけの年月と、そして税金を使えば(ぶち込めば)いいのか!
また、出来たとして、その時に「使い道」があるのか、そう云いたい。

公共事業がなくなる。なら、建設中の例えばダムなら、ダムを壊せばいい。
アメリカのようにだ。

壊すことで公共工事が生まれる。
今、止まることで、これから先に増える負担は少なくてもなくなるのだ。

完成するまでの金額だけでなく、完成した後の維持費までを、それも何十年というスパンの中で考えれば、今「止める」ことがベストの選択だということが、その時になってはっきりと分かるはず。
それでなくても今までこの国の借金を増やすだけ増やしてきた、なんみょー党に頼っていた政党もその力をなくした。

ここで止めなければ、この国の借金はただ増えるだけ。
今「決断」すべきなのだ。

看板を背負わない

2009年09月21日 | Weblog
税金を使って何かをする。
例えばそれがイベントで、で、多くの人の力を借り、またその費用も補助金や助成金であったり。

そして「実行委員会」とは名前だけで、実務の部分は自治体側でほとんど行っていたりする。
これで「みんなでやりました」というのはどうか?

「みんなで!」というなら、企画の段階から当日の運営まで
で、お金も出し合ったり、業者等との交渉も自分たちでやる。
これが「みんなで!」ということ。

それが自治体に(また税金に)おんぶにだっこでは、いつまでたっても進歩はなく
また、独立も出来ずに、自治体がそれを止めたら、そこで終わってしまう。

看板(自治体・団体等)も背負わず、また自治体等からの補助金や助成も、後援ももらわず、それで、そんなことをする「勇気(決断)」があるか!自分たちですべてのことをするか、出来るか?

それが出来ない。
いつまでたっても自立しない、いつまでたってもそれ(自立)を望まないものなら、そんな「モノ」はいらないし、それがなくなっても何も残らない。

前にも書いたが、そこに「思い」が入っているか、そしてその思いとは『自分たちがお金を出し、体を出し、頭を使い』ということが前提になる。
そういったものを送り出すことが出来るかだ。

そしてそれがどんな規模であっても、例え、10人しか人が来なくても、自己満足であっても「自分たちで作り上げた」という思いはなにものにも変え難いもの。
そしてそれを続けて行く。

自治体に「おんぶにだっこ」
これではいつまでたっても「お子ちゃまの遊び」でしかない。
「遊び」はただの「遊び」
そこに「思い」が加わってこそ、楽しいものが送り出される。

9月27日(日)午前11時
実践するそれ(遊び+思い)を見に来るだけの気構えがあるか?

「思い」があるならばそこに来るはず。
「思い」があるなら気になる。
来ないなら、思いは「ない」ということだ。







やっぱり

2009年09月21日 | Weblog
というかなんというか。

罹患(感染・発症)した生徒や先生がいないのに体育祭や文化祭、そして修学旅行まで中止に。

さすが、学校だよ。
「問題になりそうなら、しなければいい!」
これが学校として典型的な考え方。
「問題になったら、それなら問題にそう対応して!」そんなことのかけらすら考えない。
これが学校の考え方なのだ。

議員

2009年09月20日 | Weblog
委員会や本会議で質問をしたことのない議員が何人いるか、
また、出席日数と、休んだ日数。
これ「議会に出なくても議員活動は出来る」といった意見があるが
議会活動も議員の仕事。
それも目に見える議員としての活動(仕事)

これをしないで
「それ以外で!」というような、そんなことにはならない。
普段の日も、そして議会でも
この2つが合さってこそ議員活動をしていますと、そう、言えるのだが、さあ、そう言える議員がいったい何人いるか?

お茶いれ

2009年09月19日 | Weblog
複数の女性職員が丸1日、お茶入れだけで拘束。
これ、議会でのこと。

委員会が開かれる。
その時は始まる前から終わるまで、お茶を出したり引っ込めたり
その繰り返し。
これが前述したように1日続いたりする。

これ、愚の骨頂。
水分の補給をしたいのなら、ペットボトルに入った水と、そして紙コップなどをテーブルの上に置いておけばいいだけ。
そして、そのお金は自分の報酬で払えばいいこと。

しかし、以前には、コーヒーなどを出してことがあって、その時は「ミルク」「砂糖」など、いろんな注文が議員からあったという。

こいつら、ホンとアホ&おばかだよ。
それがおかしい、だらな直したら!という声も聞こえてこない。
お茶を入れてもらうのが当たり前だとおもっているのか?

しかし「ミルク!」などどいう議員ほど、本会議ではほとんど質問しない(質問するのはいつも同じ人たち)で、委員会でうだうだ、それもぶっきらぼうなのだ。
まあ、そんなレベルでしかないから仕方ないのか。

なんというか

2009年09月16日 | Weblog
議会が開催されるたびに議員と市の職員とで宴会が開催される。
会費は1万円。
これ「自腹」ということなのだが、議会たびにということは、年に4回はこういったことをしている。
で、その理由の1つが「議員と職員間の親睦だとかを深めるとかいった」ことだそうで、
で、これ「宴会」なのだから、お酒が出る。
飲む・飲まないは自由なのだが、今の時代に議会があるたびに宴会をしている自治体が、全国にどれだけあるのか。

しかし「宴会で懇親を」なんて考え方は旧態依然の、村の時代のなごりであって、平成のこの時代にはまったく必要ないもの。

そんなので親睦を!というなら、そんなものいらないのだ。