こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

少しだけ、リフレッシュ

2010年09月12日 | 五感と体感
残暑のぶり返しで、昨日は今期いちばんの不調を感じ、
珍しく開花した花を確かめにゆく気力もないほど、
それほど強い倦怠感がありました。

しかし、遠めに花が咲いているようだと認めたのは台所の窓で、
億劫ながら、なんとか食事の支度に台所に立つことはできました。
ほどほどの食欲があれば心配ありませんが、
外出の予定はとりやめて、居間のカーテンの手縫い作業と、
しばらく読んでいなかった愛読書を読んで過ごしました。

集中的な運針作業と久しぶりの読書と。
いつもとは違う脳の刺激がよかったのか、
夕方までには、軽い頭痛もすっかり消えていました。
今日は自分をとりまく世界が少し新鮮にみえます。
五感と体感、感情には意味がある…どうも必要な不調だったようです。

(青人草・72))
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愛しの、残骸!

2010年09月10日 | 第9章:愛
樹木は上に伸びながら、幹を太くしてゆきます。
樹皮のすぐ内側に沿って、形成層と呼ばれる生きた細胞層があって、
ここで細胞を作っては、幹の内側に送り出しているのだそうです。
送り出された細胞はやがて細胞の殻だけを残して死んでゆくので、
元気に成長している樹木でも、生きているのは樹皮のすぐ内側だけ。
幹の内部は残骸で、それが樹木全体を支えているということのようです。

一本の樹木。外からは見えないけれど、その内部には年輪が刻まれています。
樹皮のすぐ内側を、今ここでの生と考えると、そこで経験されたものが内部に送り込まれて、
送られた傍から過去になって、身体の記憶になって、樹木全体を支えている・・・。
人生で起こったすべては年輪として刻まれ、それが今のわたしを支えているわけです。

ふと記憶の中のどんな経験も、思い出される記憶のどれを欠いても、
ここに立っているわたしという木が、成り立たないような気がしてくるのですね。
これはふしぎな感じもすれば、あたりまえと言ってしまえばそれまでですが。
樹木の営みと、人の営みと。生きとし生けるものの、美しい年輪。。。

(青人草・71-2)
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草と木と、人と

2010年09月09日 | 無意識の世界
コウテイダリア。名に違わず堂々として、まるで木のようです。
自分のことを、草に喩えることでほっとするときと
木に喩え、人生をイメージすることでほっとするときと、いろいろですが、
どんなに茎が木化しても、茎と幹には明確な違いがあるのですね。

樹木が成長していくときの、幹の細胞の働きが、なんとなく
人の一生に起こること、人生のプロセスに重なって見えだしました。
人のこころと体と魂の働きと、幹の年輪と・・・考え出すと、楽しいです。

(青人草・71-1)
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何を?でなく、どのように?

2010年09月08日 | 螺旋状に上昇する意味
人生で大事にしたいことは沢山あって、挙げれば切がない感じです。
10個、20個、数十個、いやそれ以上かもしれませんが、
その沢山の中から数個に絞り込むのは、直感で選べばよいのです。

ここで重要なのは、大事なことに向かって生きていくというそのあり方で、
日々の貴重な時間、こころを自分の選んだ大事なことに向けてゆく、
その姿勢をつくること。そこに大きな意味があります。

この大事なことを大事にしてゆく姿勢を続けていると、
直感的で無作為に選択された3つの大事なことに引っ張られるように、
頭でぐるぐるしていただけだった沢山の大事なことを、生きるようになります。

何を為しているかではなくて、どのように在るか。
大事にしたいことを、あなたはどのように大事にしているのか。
その在りようの中にこそ、それぞれの個性の美は現れてきます…だから、
その在りようをきっちり生き抜けたなら、人生に悔いはないと思うのです。

(青人草・70-2)
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大事にしたいこと

2010年09月07日 | 螺旋状に上昇する意味
自分を大事にするとはどういうことか?この問いについて、
生きてゆくうえで、どうすることが自分を大事にすることなのか・・・?
思い浮かぶことをあるだけ挙げて、あるとき3つに絞り込んでみました。

こころからやりたいと思うこと。
長く続けてみたいことで、すぐに実行できること…具体的なことを3つ選んで、
日々それを意識して生活してみようと思ったのです。

なんとなく3つのことは、こころと体と魂を大事にすることに当てはまりました。
その一つがタイキョクケンだったわけですが、できる日もできない日も、
常に頭の隅に大事なこととして、意識されています。
一応タイキョクケンは、体を大事にすることとして意識していますが、
こころにも魂の領域にも、関係してくるし、他のふたつも然りで、
あたりまえですが、3つのことは互いに浸透しあっています。

大事にしたいことを、具体的に絞り込んで意識していると、
何をするにも、選ぶときにはその3つを思い浮かべ基準にするので、
迷う時間が短縮されて、以前より、こころはすっきりと快適です。

ほんとうにささやかなことでよいのです。
いくつになっても、小さな大事にしたいことを、意識して生きてゆく・・・。
歳を重ね老齢になるほど、その大事なことが、
本当に本当に大事なことに、絞り込まれるてゆくとしたら、
それはものすごく、素敵なことだと思うのです。

(青人草・70)
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自分流

2010年09月06日 | 五感と体感
ゆるされれば何時間でも本を読んだり、ぼんやり庭を眺めていられる。
動かないことが、ちっとも苦にならないタイプですが、
もう少し動かないと、体を大事にしていることにはならない。
そんな自覚と、身体感覚を澄ませることで見えてくるものがある、
そんな確信もあるので、細々と、しつこくタイキョクケンから離れずにいます。
(太極拳と呼ぶのは、なんとなくはばかられるのでタイキョクケン。。。)

感性の合う師にめぐり合えるのが理想でしょうが、わたしの環境ではそれが叶いません。
それで最初は仕方なく始めた自分流ですが、近頃は習いに通うより、
このやり方がわたしにはあっていたのかもしれない。そんな気もしてきました。
本とDVDとネット動画など。反復、反復また反復なので、本当に遅々とした歩みです。
(つい一日のばしになるので、益々遅くなる。。。)

直に教わる方が、確実に身につくということはあると思いますが、
それが叶わないのなら、さっさと理想は諦めて自分流を楽しむのも一つの選択です。
“意志あるところに道は開ける”という言葉の実現には、
置かれた環境に対する肯定的な解釈と、熱意が不可欠なのだと思います。
(どんな意志でも意志は意志、大きいも小さいもない、大事にしましょう。。。)

(青人草・69)
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内なる女性性

2010年09月04日 | 無意識の世界
古代史は奈良時代の、これまであまり気に留めてこなかった、
女帝の物語が面白くなってきました。
一般には聖武天皇誕生までの中継ぎといわれている、
元明天皇と元正天皇の母娘など、意志に関係なく受動的に始まったところから、
様々な葛藤を経て、次第に自らの意志で天皇としての立場を生き抜いてゆく、
そのパーソナリティーの変化に想像を巡らせるのは、とても興味深く刺激的です。

少し前から、女性からの穏やな眼差しを感じるようになりました。
とりたてて言葉を交わさなくても、深いところで理解されている感じ、
以前にはなかった共感を知覚するようになって、それがある種の安定感に繋がっています。
これは現実の女性に、わたしのこころが投影されている要素が大きいと感じるのですが、
以前に比べ、ありのままの自分に、わたし自身OKを出すことができた、
それが外界に投影されて、自己肯定のプロセスが一つ進んだ徴なのだと解釈しています。

こころが変化すると、感受性も変わる・・・ひとつの事例といえるかもしれません。
古代史や古典を、女性の特性というものに注目して深めてゆく。
女性性に注目するということは、対比として男性性も不可欠の要素なのだから、
古人を通して、自分自身を、人間を探求することが益々面白くなりそうです。

(青人草・68)
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それぞれの愛

2010年09月03日 | 第9章:愛
小学校を卒業した日。
隣のクラスの担任が、サイン帳を手にしたわたしの肩に手を置いて一言、
「積極的に・・・!」と、声をかけてくれました。
そこには、消極的で線の細い生徒を案じるO先生の眼差しがありました。
もっと積極的に、もっと自己主張できた方がよい。そうすればもっと伸びる。
「積極的に」の一言には、そんな期待が込められていたと思います。

期待されればうれしいし、生きる張り合いにもなりますが、
諸刃の剣になりうるデリケートな部分も見逃してはならないと思います。
誰かの期待に応えようとするとき、今現在の自分を否定してはいないか。
個人の性格、一つの特徴には必ず両面があるので、
よいところを十分認めたうえで(自己肯定)、期待に応えていく必要があります。

自己否定感というのは、無意識的で気付かないことが多いだけに、
自己否定的になっていないか?ときどき自問することが大事になってくるのですね。

わたしに向けられる、それぞれの愛に誠実に応えてゆくためには、
まずはわたしがわたしの特性を認め、理解するところから、
自己肯定的なところから出発しないと、応えるのは難しいようです。

(青人草・67)
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解ってほしい!

2010年09月02日 | 無意識の世界
理解されたい人に、理解されていないことから生まれる不安感。
悩みのもとを辿ってゆくと、解ってもらいたい要求が満たされないから、
かなしくなったり、イライラしたり、沈み込んだりということも案外多い気がします。

人間同士、もともとすべてを理解しあうのは無理なようにできていますが、
すべては無理でも、個人の持ついろいろな面を、家族や友人、知人が
それぞれの立場、それぞれの個性に基づいて理解し合っているものだ思います。

部分的にでも解ってもらっていると知覚できれば、元気に生きてゆける・・・。
考えてみれば、こころと体を異にする別々の人間が、
理解して共感を感じあうことの方が、奇跡的なことに思えてきます。

理解されないことからくる不安感は、子供の頃の両親(近親者)との関係を思い出すと、
自分の傾向に気が付いて、はっとしたりします。
同時に、ひどく子供っぽいことで悩んでいたと思うわけですが、
子供っぽい悩みだったと気付いたならば、そのときは理解されなくても我が道をゆく。
自己信頼を確かにする、強めるチャンス到来と考えて進むのもよいかもしれません。

(青人草・66)
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9月の朝

2010年09月01日 | 五感と体感
涼しい朝でした。
その後も曇り、小雨が降ったかと思うと時々薄日も射して。
台風の影響か風も強めです。
やっと風鈴を外す気になりました。

土手に生えた50cmほどのクサギ。
なかなか愛らしい花と思います。
名前ほどには臭くない、ちょっとクセのある匂い、
季節が進むと濃い青色の実を付けます。

(青人草・65)
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