こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

“美と善”に開かれること…

2008年05月05日 | 意識と知覚
信州に来てから一週間。車で乗り出すたびに、春の山の色合いに目を真ん丸くして、ため息ばかりついていました。とくに、黄緑の種類の多さといったらありません。灰色がかった黄緑や赤味がかった黄緑、陽光の具合でも白味を帯びたり、隣り合う色によっても複雑に変化して、ところどころ差し色に山桜が入ると緑がいっそう際立ち、“山が微笑む”とはこのことをいうのだなと、再認識します。

しかし、春爛漫の風景を楽しみ感嘆しながらも、心のどこかで、私にはまだまだ、自然を眺める深さが足りないなあ、そんなことを考え始めていたところに或る方から“ビべBIBE”という冊子を頂きました。冊子の名は、日本語の「美」とイタリア語の「Bellezza」の最初の二文字を合わせて命名したとあります。今、BIBEを捲りながら、私は嬉しくてたまらないのですが、この中の一文に、自然を眺める深さが足りないと感じていることへの大事なヒントを見つけたと思ったからです。

BIBEを主宰するジュリアーノさんは「美・善・真の宝石箱」という文章の中で、「ヘブライ語とラテン語では“美しい”と“善い”をひとつのことばであらわすけれど、これは、羊飼いと農民の子孫のユダヤ人と、農作業に携わる民だったローマ人も、“善い”ものはかならず“美しい”と本能的に知っていたからだ」と、語ります。

この本能の知は、自然と同化して生きてきた日本人である私の中にも当然、流れているはず。春の風景に感嘆しながらも、何かが足りない、もっと自分は自然との関係を深化させる必要があると感じるのも、本能の知からくるもので、おそらく私は、自然に対してもっともっと開かれる必要があるのです。身体全体で五感と体感をもって、自然に対して開かれてゆくこと。私たちはまず、自然との関係から、美しきものと善きものに開かれる必要があるのでしょう。今ここから。今回の旅の目的が、いよいよ見えてきたような気がしています。



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