高校サッカーを、スタンドで生観戦するようになったのは、2000年が最初なので、この雪の決勝戦(1998年)はテレビ観戦でした。しかし、今振り返ってみると、当時のメンバーは豪華メンバーで、東福岡にDF手島(京都)、千代反田(新潟)、金古(名古屋)、MF本山(鹿島)がいて、帝京にMF中田浩二(バーゼル[スイス])がいました。
特に、中田浩二は天才ボランチとして当時から騒がれていた存在で、当時からパスセンスは光るものがありました。ただ、そんなメンバーの決勝戦は、残念ながら深い雪の中で行わざるを得ませんでした。雪が降ると、ボールはオレンジ色の蛍光ボールに変えられ、例年満員に近い観衆が入る決勝戦も、この日は空席が目立ちました。
当時は電車が止まるほどの大雪だったため、この試合を見た人は、帰り道で足止めを食らった可能性が高いです。そんな中の試合でしたが、前半戦はまだ雪もさほど深くなかったので、グラウンダーのパスでもある程度は通りました。しかし、国立競技場のスプリンクラーで雪を少しでも溶かそうとしていたハーフタイムを過ぎると、後半戦は悲惨な環境で行うことになりました。
スプリンクラーの効果をあざ笑うかのように、雪足はさらに強くなり、グラウンダーのパスは通らなくなりました。こういう大事な試合は、もっと良いコンディションでやらせてあげたいと、解説者も言うほどでした。どうやってゴールが決まったかは、10年も前のことなので忘れましたが、試合は80分(当時のルール、今は決勝だけ90分)で決着が着き東福岡が勝ったことは記憶しています。
ただ、この選手権に出たメンバーは、トルシエ監督の指揮の下、ナイジェリアのワールドユースで準優勝という快挙を成し遂げることになります。あのときは右肩上がりの日本代表だったかなと、ちょっと当時を懐かしく思いました。
特に、中田浩二は天才ボランチとして当時から騒がれていた存在で、当時からパスセンスは光るものがありました。ただ、そんなメンバーの決勝戦は、残念ながら深い雪の中で行わざるを得ませんでした。雪が降ると、ボールはオレンジ色の蛍光ボールに変えられ、例年満員に近い観衆が入る決勝戦も、この日は空席が目立ちました。
当時は電車が止まるほどの大雪だったため、この試合を見た人は、帰り道で足止めを食らった可能性が高いです。そんな中の試合でしたが、前半戦はまだ雪もさほど深くなかったので、グラウンダーのパスでもある程度は通りました。しかし、国立競技場のスプリンクラーで雪を少しでも溶かそうとしていたハーフタイムを過ぎると、後半戦は悲惨な環境で行うことになりました。
スプリンクラーの効果をあざ笑うかのように、雪足はさらに強くなり、グラウンダーのパスは通らなくなりました。こういう大事な試合は、もっと良いコンディションでやらせてあげたいと、解説者も言うほどでした。どうやってゴールが決まったかは、10年も前のことなので忘れましたが、試合は80分(当時のルール、今は決勝だけ90分)で決着が着き東福岡が勝ったことは記憶しています。
ただ、この選手権に出たメンバーは、トルシエ監督の指揮の下、ナイジェリアのワールドユースで準優勝という快挙を成し遂げることになります。あのときは右肩上がりの日本代表だったかなと、ちょっと当時を懐かしく思いました。
しっかり覚えています。
私は、実家のある福岡に肩入れしていたので
その年の選手では、本山君の印象が強いです。
東福岡全盛期でしたね、一気にブームが来て一気に去って行った感があります。
その年は、決勝の日に限らず雪の多かった年で
学校行事や少年サッカーの試合などが、ことごとくつぶれ
当時少年団の役員をしていた私は、雪のせいで色々気をもんだ記憶が残っています。
またインフルエンザも相当流行していて、型が違っていたか
2度もインフルエンザにかかって、のたうちまわったと言う私にとっての悪夢の冬でした。
今年もお互いのブログを通して、大変お世話になりました。
kobbyさんの完成度の高い文章を前に、年齢的にどんどん頭が固くなって
飲みこみも吸収も悪くなっている私には、お恥ずかしいコメントしかできませんでしたが
色々な事を教えて頂いて、大変勉強になりました。
本当にありがとうございました。
そして来年もどうぞ、変わらぬお付き合いをよろしくお願いいたします。
お返事が遅くなって、年をまたいでしまいましたが、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
東福岡高校の全盛期は、この年と翌年くらいでした。翌年の決勝も実は同じカードで、再び東福岡が返り討ちにしましたが、その後監督が強化費を不正に流用したという事件が起きて東福岡高校の全盛期は過ぎました。
1998年の大雪では、野ばらさんも相当苦労なさったのですね。こちらは既に社会人でしたが、電車が止まることが多く、当時住んでいた寮から1時間近く歩いて会社に行った苦労が記憶にあります。
完成度が高いとおっしゃっていただけるのは大変嬉しいですが、まだまだ良い文章を追求したいと思っています。これからも意欲の続く限り、現在と過去のスポーツネタを書いて行きたいと思います。