三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「死刑囚表現展」のアンケートと平野啓一郎『死刑について』(8)

2024年03月06日 | 日記
⑧ 被害者感情と死刑

「死刑囚表現展」のアンケートに「被害者の方のことを考えると廃止とは言い切れません」と書いている人がいます。
死刑制度に反対できない一番の理由は被害者感情だと思います。

自分の家族が殺されても死刑反対と言えるのかと問う人は多いです。
宮下洋一さんがインタビューした川上賢正弁護士はこう言っています。
死刑はよくないとおっしゃるお坊さんには、私は、「もしあなたのご家族が殺害されたとしても、死刑はよくないと言い切れますか」と意地悪な質問をします。すると、大抵のお坊さんは黙ってしまうのです。(『死刑のある国で生きる』)
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家族が殺されても死刑反対と言えるのかと問われたことがあり、もし自分や家族が加害者になったらと想像してほしいと、私は答えました。
人間は縁によっては何をするかわからないからです。

平野啓一郎さんも同じことを聞かれるそうです。
死刑廃止の立場に立って話をすると、「自分の家族を殺されても犯人をゆるすことができるのか」とよく聞かれます。僕はこれに対しては自信がありません。犯人をゆるすことができないかもしれません。(『死刑について』)
しかし、死刑を求めないということと、犯人をゆるしということは切り離して考えるべき。
犯人をゆるせないなら死刑を求めて当然だということにはならない。

「調和を目指す殺人被害者遺族の会」(事件に巻き込まれて家族を失いながらも、死刑に反対する家族の会)の中心メンバーとして活躍されているバッド・ウェルチさんはこのように語っています。(「死刑を止めよう」宗教者ネットワーク第10回死刑廃止セミナー講義録)

1995年、ティモシー・マクベイがオクラホマシティにある連邦ビルを爆破し、168人が亡くなった。
バド・ウェルチさんはこの事件で娘のジュリーさんを失った。
娘を失った後、酒を飲み過ぎて二日酔い、頭痛という生活が30日間続いた。
私はジュリーが殺されるまで、ずっと死刑反対の信念を持っていました。でも、娘が殺されてから1年間、私は死刑賛成になりました。1年かかってやっと、「このままじゃいけない」という気持ちになったのです。どうしてそう思ったのかというと、処刑の日、二人の犯人を自分の手で処刑台に送ることを想像してみたら、それは自分にとって決して癒しのプロセスにはならない、ということに気がついたのです。犯人を葬りたいという気持ちは、私にとって復讐以外の何ものでもない。この復讐という気持ちこそ、犯人が犯行に及んだ原因だったのです。

事件の6ヵ月後のアンケートでは、被害者家族の85%が死刑に賛成だった。
事件から6年2ヵ月後にマクベイの処刑が行われた時点で、2000人以上の犠牲者家族の50%は死刑反対になった。
ですから、被害者家族として一番大切なのは時間なんです。ある人は2年かかった。他の人は、3年、4年、5年かけて死刑反対になった。6ヵ月の時点ですでに死刑反対だった人も15%いたんです。

当初は死刑を望みながら、次第に悩む人もいます。
小学1年の娘さんを殺された木下建一さんも同じことを言われています。
加害者は無期懲役が確定し、
極刑を主張し続けた建一さんは「あいりのことを思うと、『許せない』という気持ちは強い。しかし、人の命を奪う主張をすることは非常に苦しかった」と、複雑な胸中を明かした。

あいりちゃんの「敵討ち」だと信じていたが、その言葉を口にするたびに重圧を感じていた。
「極刑を主張することは殺すことと同じ。それではヤギ受刑者と同じことになるのではないか」との思いがぬぐえなかった。

差し戻し控訴審の判決後、「あいりに申し訳ない。死刑判決が必ず出されるものと思っていた」と語っている。
それから3カ月余り。「人の命を左右するようなことにかかわらなくなり、非常にほっとしている」との思いが正直な気持ちという」(毎日新聞2010年11月16日)
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/42fad59584941d42c1fcb1209651ff7f

2011年、仮釈放中の男が2件の強盗殺人事件を起こした。
被害男性の姪は裁判で「被告に極刑を望みます」と断言したが、本音は違った。
宮下洋一さんのインタビューです。
姪「心の中では、(加害者が)死ぬからといって何が変わるの、という気持ちでした。でも、その時にはそれしか選べないじゃないですか。償って出てきなさい、なんて言えないじゃないですか」
宮下「望むのは終身刑ですか」
姪「そうですね。でも、今までに悪事を働いて出所してきた人って、実際はどうなんでしょうね。そりゃあ、ちゃんと善人になって帰ってきてほしいですけど。また同じことをするなら、終身刑で全うしてほしいという思いがあります」

加害者を「奴」と呼ぶ。
姪「今日、死ぬのだろうか、毎日、奴が考えていると思うと辛いですよ。たとえ叔父が殺されたとしてもです。どんな殺され方であったとしても、私が極刑と言ったことによって奴が殺されたとしても、私は嬉しくないよね。(略)
極刑と言ったけど、私はそれを望みませんわ。人が人を殺せるなんて、いくら悪いことをした人に対してもできないじゃないですか」

遺族の気持ちは揺らぐものですし、時間の経過とともに変化が生じるようです。
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