なぜ検察は光市母子殺人事件の加害者を死刑にしようとするのだろうか。
「年報・死刑廃止2006 光市裁判」での安田好弘弁護士の話を読むと、検察の狙いは4点あると思う。
・裁判員制度
司法がおかしくなっている原因の一つは裁判員制度にあるらしい。
イギリスの陪審員制度について、緑ゆうこ『イギリス人は「建前」がお得意』にこんなことが書かれている。
イギリスの陪審員は有権者名簿からクジ引きで選ばれる。
多くの人は国からわずかばかりの日給をもらっても、陪審員をやるのは損だと思う知識階級やホワイト・カラーはなんとか言い訳をして、陪審員を逃れる。
そのため、「働くよりは陪審員でもやったほうがまし」と思うワーキング・クラスばかりが集まる。
驚くことに「陪審員を務めさせるには、せめて知能テストや読み書きテストくらいは課すべきだという声さえある」し、人種偏見的な発言も多い。
2002年1月、陪審員が法廷を退いて別室での審議中にテレビを見ていたことがばれてしまって、裁判はやり直しになった。
他にも報告されている例では、あるアジア人の被告に対し陪審員の何人かは最初から有罪と決めつけ、審議の最中に居眠りをしている人もいたし、また活発な議論をたたかわせているはずの十二人の中には難聴の人も混じっていたという。また別の事件では、二人の容疑者のうちどちらが真犯人か決められないので、大事をとって二人とも有罪にしておいた、という例もある。
裁判員制度は裁判官と一緒に審理するわけだから、コックリさんで判決を決めたり、審議の最中にテレビを見たりしないとは思う。
しかし、裁判員制度の問題点にはイギリスの陪審員制度と共通している問題もある。
しかも、裁判員制度が適用される事件は地方裁判所で行われる刑事裁判のうち傷害致死、殺人事件などだから、法律に関して全くの素人が人の生死を決めることになる。
平川宗信中京大教授は「裁判員制度になれば、一般の人たちの処罰感情が量刑にもろに反映していく可能性があるわけです」と言っている。
光市母子殺人事件のように、マスコミが大々的に騒いだなら、裁判の始まる前に先入観が与えられてしまう。
安田好弘弁護士はこう語る。
検察が被害者を利用し、マスコミが世論操作をするだろうことが予想される。
・少年法の改正
検察の意図には少年法改正がある。
少年犯罪が増えている、しかも凶悪化している、だから少年でも成人と同じように扱うべきだという意見がある。
しかし、非行少年の多くは成人すると落ち着き、暴力団に入るなどするのはごく少数である。
少年の場合、厳しく罰するより、更生保護を充実させ、地域社会が受け入れることが大切である。
・重罰化
社会が不安定で、治安が悪いのならともかく、日本は世界的にも珍しいほど安心して暮らせる国であるにもかかわらず、厳罰化を求める声が高い。
死刑廃止は世界の趨勢にもかかわらず、ネットでは「殺せ」「リンチしろ」の大合唱。
18歳未満にも死刑を認めろという声があるくらい異様な状況である。
それは、犯罪が増加している、治安が悪化している、という間違ったマスコミ報道に乗せられているからである。
厳罰化は国による管理を強化することにつながるのだが。
・検察の権力拡大
政治が検察に支配される形になりましたね。その結果としてバブルの崩壊を契機として大蔵省が検察によって解体されて省庁の再編までいく。検察がどんどんいわゆる治安機関や監督機関である独立行政法人のトップを占めていくという流れが続いていますよね。(略)今までは治安関係の監視だけだったんですけれど、今はもうどんどん拡大して、経済までが監視の対象になってきているわけですね。もう一つは、たとえば大手の貿易商社や銀行にはやっぱり検事長クラスが顧問としてちゃんと就任する。そういう利権構造があって、そういうものがどんどん拡大していっているという印象をうけます。
日本では検察の力が強いそうだが、こうしたことを我々は知らないでいる。
こうしたこともマスコミは報道してほしい。