光市母子殺人事件の一審での弁護人も、二審での弁護人も、どちらも検察の主張にほとんど反論していない。
なのに、最高裁では新しい弁護人が検察の主張に異義をとなえたのはなぜか。
安田好弘弁護士はこう話している。
驚くことに、第一審も控訴審も、何の躊躇もなく、検察官の主張通りの事実を認めたんです。もちろん弁護人も争いもしませんでした。
被告の話を聞いていないんだから、検察に反論できるわけがない。
しかし、被告は一審で「実はこうだったんだ」と話している
検察官の杜撰な捜査とねつ造がはっきりしているにもかかわらず、弁護人も裁判所も見落としてきた、というのが現実です。弁護人も裁判所もまったくあてにならない、というのが今の司法の現実です。
弁護士が被告の話を聞かない。
裁判所はいい加減な審理をする。
冤罪がなくならないわけだ。
驚くことに、被告は自分の判決文や供述調書さえ見たことがない。
光市事件の訴訟記録は約1万ページあるから、全部コピーすると、60万円かかる。
アメリカでは死刑になるのは貧乏人で、金持ちは優秀な弁護士をつけるから死刑になることはないそうだ。
高橋秀実『TOKYO外国人裁判』に、東南アジアなどから来た人の裁判はすごくいい加減で、日本語があまりしゃべれない被告の場合、よくわからないまま有罪の判決がおりてしまうとある。(1992年の出版だから、現在は少しは改善されているかもしれない)
日本人だって、金がなく、裁判について知らなかったら、あっという間に有罪にされてしまうかもしれない。
安田好弘弁護士は被告に徹底して尋ね、そうして事件の様相が検察の主張とはまったく違うことに驚く。
最高裁での弁論は、死刑逃れのために適当なことを言っていると、多くの人は思うだろうが、実際にそうなのかもしれないと思わせる説得力がある。
たとえば、加害者は被害者に馬乗りになって力一杯首を絞めたとなっているが、検死調書によると、首を絞めた跡がない。
また、赤ちゃんを頭上から思いきり床にたたきつけたとなっているが、赤ちゃんに大きな損傷はないと検死調書にある。
検察の主張と検死の鑑定書とが食い違っている。
また、検察は無期懲役では軽すぎる、量刑不当だと主張しているが、光市の事件よりももっと悪質な事件なのに無期懲役になっている判例が16例ほどあげられている。
拘置所から被告が「友人」に出したという手紙にしても、マスコミ報道は間違い。
なぜか相手の手紙の内容は報道されないし、裁判でも取り上げられていない。
マスコミ報道=検察・警察の主張よりも弁護側の主張のほうがうなずける。
ところが、判決文を見ると、「その指摘は、その動かし難い証拠との整合性を無視したもの」であり、「指摘のような事実誤認等の違法は認められない」となっている。
検察調書と検死調書の食い違いについて何の言及もないのはどうしてなのか。
最高裁の判事はたくさんある記録をどれだけ吟味し、弁護側の主張を検討したのか、疑問に思う。
(追記)
いわゆる「友人」への手紙について詳しく書いています。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/48a428c971638f2ff97dd6fc85c0b407