貴の備忘録

気の向くまま、興味のあることを書いて置く場所。

台南ツーリング 第2弾

2013-04-29 08:47:57 | 単車雑感
かなり慣れたので、次はもう少し遠出してみることにした。
今度借りたのは光陽機車(KYMCO) GP125というモデルで、YAMAHA RS100より一回り大きいスクータだ。半日でNT$300元と1.5倍するが、RS100は郊外の巡航が頼りなかったので、ツーリングにはどうかと思ったのだ。



向かったのは烏山頭水庫という日本統治時代に作られたダムである。当時ではアジア有数のダムで、台南を含む嘉南平野の農業生産に非常に重要な役割を果たしてきたとのこと。
そんなに遠くはないが、今度は道に迷わないよう途中経路の町の名前は覚えておいた。
単に1号線を北上して途中で右に折れるだけの単純な道のりである。



台南の市街地を抜け淡々と郊外を走っていくと、道ばたでこんな物を売っていた。息子の土産には大きいと思いながらパス。今度は毎晩お世話になっている銘柄が目に入ってきた。この会社も日本統治時代の”高砂麦酒株式会社”が前身である。



1時間も掛からずに案内標識が出てきた。思ったより近い。そこから田舎道で走ること10分ほどでダムが見えてきた。
ダムと言えば峠を登ったその先にそびえるイメージだが、このダムは平野に岬のように突き出した山の間を堰堤でつなげてあって、遠目は不自然な稜線に見える。



ダムは観光名所のようになっていて、入場料200元とバイクの駐輪料金が20元必要だった。



最初に向かったのは八田與一記念公園だ。八田技師はダムの建設を計画、指導した技師で台湾の歴史教科書に記載されるほど高い評価を受けている。この記念公園は現在の馬英九総統が建設を進めた新しいものだ。



復元された住居跡は、どことなく懐かしい昔の日本の住居だった。農家でも商家でもない町中の一戸建て平屋そのもの。中に入れなかったが、新しいだけ有って畳と木の匂いがした。小さな記念館も併設されていて彼の業績と生涯を知ることが出来る。





次はダム本体を見に行った。珊瑚の様と称された湖面は、晴れていればもっと綺麗だったと思う。



堰堤も美しい緑で、ダムと言うより河川の堤防のような雰囲気だが、上からだと平野部との高低差は結構あって眺めも良い。



ダムを見下ろす場所に建てられた銅像は、誰が捧げたか綺麗な花束が備えられ、後ろのお墓にも花が手向けられていた。



記念館はダムの放水口に建てられ、写真などの資料から彼の業績が分かるようになっている。



見学していたら団体客がやってきて彼の業績を紹介するビデオの上映が始まったが、皆大人しく見ている所を見ると台湾でも深く浸透しているのだろう。



ダム見学が終わったら、次は意外な形で日本人が祀られているところに行ってみた。
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台南ツーリング

2013-04-26 08:46:33 | 単車雑感
まず、運転感覚を慣らすために市内中心部から10kmほど離れた鄭成功記念公園を目標にしてみた。慣れない街中を闇雲に走り回るより、郊外の広々とした農村部分を走った方が愉しいし安全だ。



と思って走り始めたが、再び道を間違えた。
17号線を北へ走って土城子から東に向かうはずが、途中から反対側の西へ向かってひたすら走り続けてしまったのだ。久しぶりのバイクツーリングでウキウキしていたのが大きいが、方向感覚も地図の使い方もすっかり錆び付いているらしく、Google Map様のお陰でようやく反対側へ走っていることが確信できたのだ。



小さなお社で地図を見比べて、どう戻るか思案中の図。
台湾でも郊外を走行するときは直近の目的地名と道路番号が鍵だが、標識には直近の目的地名しか表示されないことと、同じ番号の路線が複数存在したりすることが要注意だ。



更に台南の平野部は山も見えず、北海道のように広々としていて遠景のランドマークに乏しいので、地名の土地勘を得るまではマメに地図を見るしかない。



鄭成功紀念公園に到着したのは1時間半ほど経っていた。
この銅像は蒋経国が民国70年に建てたと有るので、32年前の1981年に作られたようだ。



隣に有った石塔は民国50年で、52年前1961年の蒋介石の時代に建てられたらしい。そんなに年数が経っているものだとは思わないくらい綺麗に整備はされているが、訪れる人影もなく寂しい限りだった。



蒋介石は大陸を追われ、台湾から大陸反攻を唱えたので、300年前の鄭成功と重なる部分があるのだろう。国民的な英雄だが、どことなく政治的なモノがあるのだと思う。



後は気の向くまま安南区を走ってみた。この地域は曽文渓という大きな河口の南岸で、いわゆる低湿地帯である。



河川敷は広大で、上流は見渡す限りの畑作地帯が続き、河口に近づくにつれ湿地帯が広がっていき、干潟へ変わっていく。



まるで釧路湿原でも走っているように景色が広大で、ちょっと台湾のイメージが変わってしまった。



河口まで出たが、台湾海峡に面する海岸線も真っ直ぐ台南市街地へ続いていくが、この辺りの海は安平地区辺りとは比べものにならないほど綺麗だ。




帰路に四草生態文化園区へ寄ってみた。ひときわ目立つのが四草大衆廟で、こちらの神社仏閣には慣れては来たが、その大きさには圧倒される。小腹が空いたので台湾風ソーセージで腹ごしらえした。



生態文化園区たる由縁はマングローブ(紅樹林)の自生林が有って干潟から低湿地までの湿原が保護されていること。緑色隧道と、台江なんとかいう2種類の遊覧船で見物できるようになっていた。



どちらも盛況で団体観光客に圧倒されて乗船を諦めたが、乗ってみれば良かったかと・・・

ここから台南の市街地までは15分ほどで帰ることが出来た。
今回借りたYAMAHA RS100は、4ストらしく重く感じたが良く走って面白かった。台南の街中ではそこかしこで見かけたので、結構売れているのだと思う。



動力性能は、田舎道であっても巡航は60km位が気持ち良く、70kmになると頑張ってる感が出てきて、90km足らずで一杯一杯になる。郊外の幹線道路で四輪に互して走るにはタイヤが小さく不安定で、街中をキビキビ走る方が向いている。
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台湾バイクデビュー

2013-04-22 08:25:08 | 単車雑感
待ちに待った日曜日。台南駅の裏にある機車出租のお店に出撃した。この国では駅の周辺にレンタルバイク屋が有って、他所から移動してきた人はバイクを借りて周辺の移動に使う事が多いようだ。列車が着く度に多くの乗客がレンタルバイク屋へ直行している。



まずは北京語も話せないのに借りることが出来るか?が一番大きな問題だったが、”租得安心、騎得安心”と看板を掲げ一番小綺麗なお店から当たってみた。

安心の看板に偽り無く、片言英語で難なくスクータを借りることが出来た。
バイクが借りたい、日本人なので英語でしゃべってくれみたいなことを英語みたいな言語でと言っただけである。
後は私よりずっと普通な英語で手続きを進めてくれた。



必要なモノは、パスポート、日本の免許証と翻訳文、緊急連絡先(ホテルと台湾携帯)だけだった。料金は半日でNT$150元~ピンキリで、100ccクラスで一番安い奴を選んでみた。半日(22:00まで)で200元の台湾YAMAHA RS100という車両で、小さくて乗りやすいよというのがお店の推薦文句だった。



店からの注意事項としては、遠くまで行くな!であって、同じ台南市内であっても15km圏内位で使うように言い渡された。故障引き取りが有料になるらしい。
ガソリンは満タン返し不要で、自分が使うだけ給油すればよい。ヘルメットは無料で貸してくれた。



こうして、拍子抜けするほどあっさり台湾バイクデビューを果たす事が出来た。
次の難関は給油である。給油キャップからは結構あるようだが、メータでは1/5位しか残っていない。ウキウキする間もなくチャリで記憶のあるスタンドへ直行したつもりが、逆方向に走ってたらしくえらく遠回りしてしまった。まぁ、走れるだけで嬉しいのでOKだろう。



給油自体は、95オクタンのレギュラーを指さして100元と言うだけで、給油自体はスタンドのオニーサンがやってくれる。2.6L位しか入らなかったので、10元ほどお釣りを貰った。1L35元前後なので日本より安い。
で、いよいよ待望のツーリングの始まりだ。
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免許証の翻訳

2013-04-19 08:25:18 | 雑感
チャリで市内を走り回ってみたが、やはり走りやすい。



雲霞のごとくバイクが走り回っている事もあるが、二輪車レーンが充実し、遅い車両優先のルールになっていることもある。そして、のんびり30km位で走っているのが大多数のため、街中の速度は日本よりも低いようだ。確かに我先に車線を縫っていく輩も目に付くが、有る意味異質な動きだから目立つだけだし、所詮スクータなのでたかが知れている。
交通ルールというか勘所も判ってきたので、いよいよバイクに乗っても良いような気がしてきた。

台湾では、国際免許証ではなく免許証の翻訳文なるものが必要だ。
JAFであらかじめ申し込むか、台北、高雄に有る財団法人交流協会の事務所に出向いて作成して貰わなくてはならない。



たまたま平日が休みになったので、免許証の翻訳文を貰いに行ってみた。
高雄まで台鉄で移動したが、時間を誤って窓口の昼休憩時間(12:00~13:30)になってしまい、いきなり暇つぶしから入った。
日本統治時代の駅舎として多くの記事に掲載されている旧高雄駅でも見学しようと思ったが、地下化工事の資材に埋もれていた。



これでは暇つぶしにならず、漢神百貨店にソース焼きそばを探しに行った。この国では”日本”に不自由しないが、ソース焼きそばは不人気らしくほとんど売ってない。食えないとなると食いたくなるモノだ。



ソース焼きそばを無事にGETし、ようやく交流協会の高雄事務所に出向いた。

こんな地図しかないのだが、Google Map様のお陰で迷うことはない。歩き始めて気付いたが、高尾の定宿の近くでもある。



交流協会の高雄事務所は立派な建物にある。エレベータホールで撮影などしていたら、ガードマンに窓口まで連れて行かれてしまった。本来は日本領事館であり、撮影など拙いのかも。



免許証とパスポートを渡して申込書を記載し、待つこと20分で免許証の翻訳文が完成した。記載事項に誤りがないことを確認し、発行手数料のNT$700元を支払って受け取った。窓口のオネーサンはきちんとココに本物の判が押してありますから・・・と協調していたが、偽物でも出回っているのだろうか???



これで大手を振ってバイクや車に乗ることが出来るようになった。
帰路はウキウキ物で文化中心の公園などを散策しながら帰った。

文化中心 の建物。なんというか巨大。


公園は綺麗に整備されている。タイワンリスが居た。


国立高尾師範大学の門。


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安平古堡

2013-04-17 08:48:52 | 雑感


チャリンコで安平古堡へ行ってみた。
先日訪れた安平地区の対岸にあたり、Wikipediaによると、以下だそうだ。



【  安平古堡(あんぴん こほう)は旧称を奧倫治城(Fort Orange、オラニエ城)、熱蘭遮城(Fort Zeelandia、ゼーランディア城)、安平城、台湾城ともいう、1624年に建設された台湾で最も古い城堡。建城以来、オランダ統治時代にはオランダ東インド会社による台湾統治の中心地として、また鄭氏政権時代には3代にわたる王城として使用されていた。 】

オランダ統治以前は国としてまとまっていなかったため、この地が台湾の歴史上初めての首都ということになる。日本統治時代に城址はほとんど失われたらしいが、僅かに残された城址や日本統治時代の建物と共に観光スポットになっていた。



チャリを適当に降りて街中にはいると、細道に沿って屋台街が続く。
エビせんべいが名産らしく、試供品を食っていけとニーチャンやオバチャンが差し出してくれた。



やがて熱蘭遮城が見えてくる。17世紀の城としてこんなにあっさりしていて良いのか?と思うが、元々東インド会社の出先機関に過ぎない。国を統治するというより、貿易拠点を確保するには十分だったのだろう。



鄭成功は台湾の国民的ヒーローなので、ここの銅像も立派なモノだ。
歴史博物館にはこの時代にアジア人が西洋人から降伏文書を受け取った唯一の例だと紹介されていた。どの街にもある成功路という通りの由縁は鄭成功の名前から来ている。



他にも通りや公園の名前で多い、”中正”は蒋介石の字、”中山”は孫文の字、”民権”、”民族”、”民生”は孫文の三民主義から得られたものだ。



屋台は?仔煎(台湾風牡蠣オムレツ)や棺材板の店が多く出ていた。



ここで我慢できずに食ってしまうから痩せない と言うことが判っているので、こんな可愛い棺材板で我慢しておいた。

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台湾の歴史を学んでみる

2013-04-10 08:16:16 | 雑感



国立台湾歴史博物館へ行ってみた。
国立だけ有って広大な敷地に巨大な建物が建っていて、池や太陽光パネルも呆れるほど大きかった。



台南市は180万人も人口があるらしい割に、すぐに郊外になってのどかな風景が続く。
漢民族は狭いところに密集して住むようだ。



チケット売り場の横には日本語ガイドの機材も借りることが出来る。借りるにあたって身分証明書が必要だが、持ち合わせなく困った顔をしてみたら、デポジットNT$1,000元で借りることが出来た。



中はこんな感じで、1345坪のスペースでジオラマや模型を中心に時代時代の流れが学べるようになっている。



意外だったのは、日本との関係が日本人にとってごく普通?に紹介されていたことだ。



植民地時代の象徴が派出所のようで、一番目立つところに派出所の復元と内部の展示がされていた。
今の警官と違って治安維持だけでなくなんでも統括していたらしい。お代官様のようなモノだ。



警官模型は大人気で記念撮影を取る人が絶えなかったり・・・。



大陸や半島の人にはあり得ない博物館だと思うが、これも又事実なのだと思う。

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台湾一周 花連~台東~新差営~台南

2013-04-05 08:50:24 | 雑感


花蓮からの自強号312次は、ディーゼル特急でどっかで見た顔だなと思っていたら、これまた日立の車体とのこと。車内に変なゲートがあって変わった作りである。飛行機みたいに前後でサービスが違ったりすることが有るのだろうか?



台東線、南廻線と240kmほど非電化の単線区間が続くが、台東までの台東線区間は電化+複線化工事が進んでいるようで、台東に近づくにつれて複線区間が併走するようになった。現在の線路を拡張するのではなく隣に新たに敷設するようだ。



車窓は、自然が一杯で気持ち良いが、海が見えず単調なので段々お腹いっぱいになってくる。ディーゼルの一本調子なゴロゴロ音や独特の匂いなども有って、乗鉄に飽きてウトウトしている内に台東へ到着した。



自強号312次は、台南行きだが台東から先の座席が無いため、台東で下車したのだ。



台東の駅は、街から離れた場所にあり空港のような広々感があった。原住民のシンボルみたいなのがあったり、周囲の人たちの顔つきも違う方が多い。



駅の外には釈迦頭(シュガーアップル)屋さんが店を出していて、5個200元で買ってみた。



その場で食べるなら1個20元と言われたので頑丈な取っ手付きの箱が高いようだ。



機車出租と自行車出租(レンタル自転車屋)を見つけたので、今度は自転車を借りて走り回ってみるのが良いかも知れない。綺麗な海でのんびりしたいのだが、1時間200元はちょっとボッタクリにも感じる・・・。



ここで駅弁を購入するのも一つの目的で、有名な池上飯包を買ってみた。



台東県の池上は、台湾で一番美味しいとされる米どころでその米を使った池上便當も有名なのだ。中身は台湾の弁当共通スタイルで、デカイ肉が飯の上に乗って、煮たり炒めたりした野菜がおかずに付いてくるモノ。確かに美味しい米で満足いく。



台東からの南廻線経由新左営までは急行相当の莒光号。
R100形という米国製のディーゼル機関車が牽引する客車列車で、今回一番の快適車両はコレだったりする。



台湾の鉄道は、総じて発進加速が遅く感じられ坂道を自然に下り始めるように出発する。ホームから離れた位からようやく加速感が感じられるが、力強く加速しないようなのだ。そのせいか、牽引式で発車する時に良くあるガシャコンも無い。
客車列車だけ有って、走行中は単調なガタンゴトンくらいだし、減速時のブレーキ音が響く程度なので静かなモノだ。



予約を入れたときは夕暮れに少しは間に合う予定だったが、これは大いなる誤算で天気のせいで夕闇が早く訪れてしまった。南廻線は絶景が売り物の人工希薄地帯だが、夜は暗いだけに過ぎない。この3時間は退屈で、立ち席でも良いから自強号312次で高雄辺りまで行けば良かったと後悔だった。
明るい内のリベンジ計画を考えながら新左営に到着。すぐの新幹線に乗って台南まで移動し、22:30にホテルへ安着。15時間ほどの長旅だった。



移動費用は以下の通りで、NT$1元=\3円として約1万円ほど。
8時間近く乗車した台鐵は3000円少々で済んだ。

台鐵 NT$1079元
台湾高鐵 NT$1440元
タクシー NT$840元  (ホテル-高鐵台南駅)往復

タクシー代が突出して高いのは、台湾高鐵台南駅が町から離れた不便な場所に有るからだ。

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台湾一周 台南~台北~花連

2013-04-04 08:38:56 | 雑感
残念ながら目覚めたら雨だった。



1月の中旬から滞在しているが、朝から雨が降り続けるなんて初めての出来事である。修羅場って帰国も出来ないのに、呑気に旅行してくるって考えが大間違いのようだ。



台湾高鐵は自販機で簡単に切符が買える。
ただ、好きな座席の指定が出来ないのと、釣り銭が硬貨で出る強制罰ゲームがあるので要注意だ。
カードで買うかお釣りが少ないように札を用意しなくてはならない。



700Tと呼ばれる台湾新幹線は、結構と揺れが少なくN700に匹敵する気がする。



車内でコンビニ朝飯を食って一寝入りするなんて、国内出張と変わらないが車体が揺れないので首の凝り方が違うかも知れない。既に通い慣れた道のりなので、緊張すらしない。



台北駅の切符売り場は、壮大な吹き抜けスペースになっていて豪華だ。案内も適当にあって乗り継ぎに迷うことは無い。



台鐵の改札は日本で見たような改札だった。道理で台湾の同僚や客が日本に来たとき、自動改札に戸惑うそぶりも見せなかったハズである。自動改札機すら同じやんけみたいな・・・



太魯閣号は時間どうりにやってきた。TEMU1000形といってJR九州885形電車が原型の日立製とのこと。
車内は明るくて広々しているが、乗り心地は余り良くなく終始ガタガタしていた。



西部幹線から宜蘭線までは、渓谷沿いに曲がりくねりながら峠を越えて海岸線に到達する路線だが、そこをガンガン車体を傾けて走り抜けていく。車体傾斜も結構大きく、バンクしていることははっきり感じ取れて面白い。昔乗った振り子電車は目隠ししてコーナーで急に振られる感じだが、制御振り子は自分で積極的にバンキングするので違和感がない。先頭車両の山側で景色的には残念だったが、先頭で一緒に傾いて飽きることはなかった。バイク乗りが振り子電車に乗るなら先頭車両がよい。



北廻線になると太平洋に迫った山の際をトンネルで貫きながらガンガン飛ばす。周囲はどんどん人気が無くなって自然が広がっていき旅情満点だが、残念ながら天気が悪い・・・。



定刻で花蓮へ到着。



まずは牛肉麺(NT$ 90元)で腹ごしらえしてから街の散策をしてみた。



とは言ってもこじんまりとした田舎町で、思わず『この町のメインストリート、僅か数100メートルう~!』と叫びたくなる。



雨が降る中、デモ行進に出くわした。
良く見ると音楽をかけながら手を振ったりして愉しげに練り歩いていて、復活祭を祝う耶蘇教の方々のパレードだった。雨の中ご苦労なこったである。



駅の近くには鉄道の記念公園みたいな広場があり、蒸気機関車が飾られていた。



線路幅が狭くてこじんまりしていると思ったら、ナローゲージ時代の日本製とのこと。この辺りに鉄道を引いたのは日本なのだ。




汽車出租がレンタカー屋で機車出租はレンタルバイク屋だ。1日でNT$ 200元(600円程度)と意外なほど安く、有名な太魯閣渓谷はここから30分くらいで行けるらしい。ツアーに頼らなくても自力で行けると言うことだ。次回は、免許証の翻訳を忘れずにしてこなければ・・・




壁新聞を眺めてから、花蓮を出発した。

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台湾一周 計画編

2013-04-03 08:26:39 | 雑感
高雄までの在来線が妙に気に入ったので、台湾一周してみた。



この国は九州と同じくらいの面積だが、西半分は新幹線で2時間のため残りの在来線区間を合わせても1日で一回り出来るし、台鐵、台湾高鐵ともに正確に運行されていて、信頼性も高い。そうと判れば、是非とも一周してみたくなるのが心情というモノ。
台鐵のサイトでこんな計画を練ってみた。自強号は特急列車で設備も良い。

台南7:50 -> 高雄8:30 自強号101次
高雄8:45 -> 花蓮8:45 自強号303次
花蓮15:30 -> 台北17:36 自強号223次普悠瑪号 or 自強号275次太魯閣号
台北 -> 台南 台湾高鐵(新幹線)

普悠瑪号は台湾鐵路管理局(台鐵)の最新車両で、今年の春節デビューの日本製振り子電車である。太魯閣号もその先代にあたる列車でJR九州ソニック号がベースの振り子電車で、最新の制御式振り子電車とやらにも興味があったのだ。人気車両である。

予約は台湾人の同僚にお願いしたが、日程を変えたり色々変更して取れたのは以下のルートだった。この季節は旅行にも良いらしく、日曜午後の列車はほとんど予約が取れないとのだという。

台北 10:50 -> 花蓮 12:55 自強号218次 太魯閣号
花蓮 15:27 -> 台東 17:37 自強号312次
台東 18:12 -> 新左営 21:43 莒光号708次

台南->台北、新左営->台南は台湾高鐵である。


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