貴の備忘録

気の向くまま、興味のあることを書いて置く場所。

令和の米騒動冤罪主張ツーリング

2024-10-08 08:08:08 | ER-6f
妖しい茶封筒でGPzセッション番外編への召集が掛かったので行ってきた。
ただ生憎1100は10万km記念のやりたい事が山積みのまま車検切れ、今はとても手が出せないのでER-6fの出番となった。



朝6時出発目標だったが雨支度で6:20出発、浜北IC集合なのでこれでも1時間は余裕が有る。
カッパのバタつきが酷く左車線走行を強いられたので途中でカッパを脱いだが、結局ほとんどカッパは不要だった。



ひとしきり歓談して出発時間を迎えたが1名不着。はるばる山口から参加された方が1時間前に刈谷PAに着いたとの連絡が有ったきり音沙汰が無い。1時間遅らせて出発というセッション恒例の待ちアトラクションとなった。
日が射して暑くなる中、1時間経っても現れずやむなくセッション走行が始まった。いつもと違い経路と目的地が明確なのでどこかで合流できるだろう。



時折小雨が降る中、濡れ落ち葉祭りを絶賛開催中の兵越峠を越え、道の駅遠山郷に到着。



初回GPzミーティングも雨の兵越峠を越えて飯田を目指し、その後何度もミーティングで走った道だ。だいたい覚えているもので何もかも懐かしい。
件の人物はここでようやく合流したが、山口Zミーティングを主催されている方で、何を血迷ったか1100に飽きたらずターボに手を出したとのこと。綺麗にレストアされていたが、早速ANDFオイル洩れというお約束に見舞われていた。あれは蓋をするのが一番だ。



宿に明るい内に到着というセッションの悲願を達成すべく、次の休憩は割愛して再び走り出す。今回は750が7台、1100が2台、ターボが2台にZ800とERの総勢13台となった。単車の集まりは集まるだけでも宴会だけでも片手落ち、共に走ってナンボだと思う。



天候は変わらずだったが、先頭集団はそれなりにペースが上がったようで最後尾でも気持ちよく走ることが出来た。なにせ複視で視界がガチャガチャなので、視野に入る単車の台数は少ないに越した事はない。
やがて雨が本降りになってパンツに雨が滲みてきた頃に宿へ到着した。


3時過ぎというセッションとしては順調過ぎる初日走行で、納屋に13台を押し込めたらセッション夜の部が始まる。夕食まで2時間半はさすがに長く、大浴場で汗を落としたら軽くビールでアップしながら、高烏谷鉱泉看板の創作懐石料理に備えた。



宴席は嬉しい事に大広間ながらテーブル席が設けられ、ぎっくり腰が治りきってない我が腰には大変に有り難かった。女将が一品ずつ出してくれる料理はどれも絶品で手が込んでいて、中でも鯉の唐揚げには脱帽した。長野は鯉こくや洗いは普通に出るので何度も食べてきたが、こんなにおいしい鯉は初めてだ。気になる小骨も丁寧に下処理してあって、餡に絡んで身がほろほろと溶けていく。



翌朝も霧が残っていたが、まずまずの回復ぶりで主催推奨の蕎麦を食べるまでが今回のセッション参加の予定だった。



連泊がデフォになった昨今、連泊ツーリングはまだ解禁してないのが残念だがコレばかりは決めた事。



おまけに事前の懸念通り、目的の蕎麦屋がお休みで初ロットなる蕎麦を食すこともかなわず、ガソリンを入れて解散となった。



高烏谷鉱泉の朝食も大変美味で、これまた美味しいお米を何杯でも食べれそうだったのを堪えただけに、昼食は蕎麦屋一択だ。
Google先生にお伺いを立てて伊那の街の蕎麦屋さんを探し、たまたま先客が居なかったので初ロット?なる蕎麦にありつくことが出来た。
美味しくて大盛りにすれば良かったが、これ以上腹が出るのは耐えがたく余韻を残しておく。果たして初ロット?なる蕎麦湯は透明感があるものなのだろうか?



帰路は高遠からR152で茅野へ抜けるか、大月から下道で帰るか迷ったが後者にした。信州とは言えかつて何度も走った道だし、小仏渋滞の方がよほど憂鬱だ。
大月から裏道志、牧場峠ともに路面状況が宜しくなく、最後まで濡れ落ち葉峠だったが、17時には自宅到着。
今回のルートは650を買ってから何度か検討したことがあり、地蔵峠の迂回もほぼほぼ固まった。晴れを狙って日帰りで訪れるだろう。



総走行距離 637km 26.65L 23.9km/L
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河口湖自動車博物館・飛行館 続編

2024-08-21 08:08:08 | 雑感
次は自動車編。
自動車の歴史を辿るようなにコレクションが整然と並べられていて、戦前の海外車両が多くどれも綺麗にレストアしてあって、とても状態が良い。多くはランニングコンディションなのだろう。
まずは言わずと知れたベンツの初号機、もちろんT型フォードもあった。



古いモノはホーとかへーになってしまうので、さりげなく置かれたバイクの写真なんかを載せておく。
別冊MC誌の愛読者として誌面で知った車両ばかりだ。
最初は陸王
祖父がバイク乗りで亡父がバイクの思い出を語る時によく出てきたという縁がある。
若い頃にいつかはハーレーと思って試乗したことがあるが、30年たってもその気がしない。



次はビンセントブラックシャドウ。
1948年に世界最速の量販車として200km超えを達成したバイク。やはり世界最速という響きが良い。




BMW R51/3
戦後に発売された水平対向2気筒の原点だ。成れの果てのR100RSに試乗したことはあるが、これまた若すぎてピンとこなかった。



トライアンフボンネビル
バーチカルツインでまだ日本車が目標としていた頃の名車だ。画像をあげた中で唯一一緒に走ったことがあるが、弾けるようなとても良い排気音を奏でる。



トライアンフトライデント
CB750Fourに対抗して出した3気筒750モデル。オイルが滲んでいるのは実動車の証だ。



CR110とCR72
第1期F1に先んじて二輪で世界をとった頃の市販レーサーでドリーム50の原型だ。



自動車博物館なのでクルマを・・・
プラモを作ったやつからピックアップしておく

ハコスカGTR
高橋国光のマシンだそうだ。市販車と一線を画すど迫力、GT-Rといえばこれがドリフトしているのだ。



フェラーリ365GT/Bデイトナ
スーパーカーブームの頃、BBと並んで紹介されてたFRにV12を乗っけたフェラーリ。



フェラーリ512BB
南港で開かれたスーパーカーショーを見に行ったな。



カウンタックLP500S
スーパーカーと言ったらコレ。



そして、コレを見るのも目的の一つだったタイレルP34



ティレルではない。



番外編その1
スバルの黒歴史となるF1エンジン 水平対向12気筒で予備予選8回連続落ちで撤退。。。



番外編その2
売り物だが117クーペ。評価はハンドメイドな前期型が高いが、好みは後期型角ヘッドランプの2L DOHCモデル。
後継のピアッツアを見たとき、どうしてこうなったんだと思った人も多かったと思う。

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河口湖自動車博物館・飛行館

2024-08-19 08:08:08 | 雑感
終戦記念日の日、河口湖自動車博物館・飛行館へ行ってきた。
家族がそろう8/16の予定だったが、台風襲来で前倒したので息子は別行動。



往路は渋滞もなく順調に河口湖畔のほうとう屋へ安着。
初見の観光客向けの店だが、真夏のほうとうも旨いぞと娘を洗脳した甲斐はあった。出汁の旨みがカボチャで消されていないのが良い。



ここから別行動で飛行館を訪れた。
出迎えてくれたたのは、そこかしこに置かれた一線を退いた自衛隊機たち。



普段は復元作業場になっているのでは?という狭いスペースに、これでもかとコレクションが詰め込まれたカオスな空間が広がっていた。
入口正面に隼二型



天井に隼一型



左手に零戦二一型



右手に零戦五二型



正面 壁側にレストア中の彩雲の機体



一式陸攻のレストア済み機体と桜花



いずれも南洋の戦場に放棄されていたモノをレストアしたもので、途方もない作業が行われたことが容易に見て取れる。
外板は大半が新生だろうが、沈頭鋲で滑らかに仕上げられていた。





実働する唯一という栄12型空冷星形複列14気筒の下にはオイル受けが用意されているところが生々しい。



当時の工業力の低さを表す例としても知られる彗星のアツタ液冷V型12気筒もあった。クランクシャフトが上、シリンダーが下向きの倒立配置で幅が狭くバランスが良さそうだ。



他にもこれでもかと言うほどの展示があったが、これが個人のコレクションというのがすごいことだ。
オーナーはCIBIEの広報活動としてハラダレーシングの代表を勤められた方で、中嶋悟を筆頭にビックリするほどなじみのある名前がぞろぞろ出てくる。
我がGPzもCIBIEに換装してあってお世話になっていると言えるのだろう。眼福だった。
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シンテッポウユリ

2024-08-10 08:08:08 | 生き物たち
我が家の空きプランターから白い百合が勝手に生えて咲くようになった。
最近アチコチで見かける野良ユリだが、きれいだし何か縁を感じて抜かずに放置していたら今夏も立派な花を咲かせた。



このユリは何ユリだろうと思って調べたら、シンテッポウユリでタカサゴユリとテッポウユリの交雑種とのこと。
テッポウユリは真っ白い花だが、一回り小ぶりで4-6月に咲き、主に球根の分球で殖える。日本固有種だが九州南部から南西諸島に自生するだけで神奈川はおろか本州には自生しない。画像は拾いものだ。


タカサゴユリは台湾原産、日本には大正時代から園芸品種として持ち込まれ、見た目の特徴としてはテッポウユリより大ぶりな花だがピンクの筋が入り、真夏に咲き、種で殖え成長が早い。画像は自宅近所で見つけたものだが、野良だと思うのでタカサゴユリの特徴がよく出た交雑種だろう。



シンテッポウユリはテッポウユリの白さと、種で殖え1年で咲くというタカサゴユリの繁殖力を求めて改良した園芸品種だ。
発表は1928年というから100年以上の歴史を持ち、今も改良が続いているそうだ。

これらのユリは園芸品種として流通しているが、シンテッポウユリとタカサゴユリは種で増えるので野生化しやすく交雑しやすいので野良ユリは交雑種だと考えれば良い。繁殖力が高い上に雑草として処分されにくい事から、全国各地で勢力を拡大していて広島の実家でも年々数を増やしている。

環境省の「生態系被害防止外来種リスト」で「その他の総合対策外来種」に指定されていることもあり、増やしたり移植することは原則御法度だ。
対策は花が落ちて莢が出来たら熟して種が出来る前に摘み取れば良く、ユリはネコにとって猛毒なので切り花は家に持ち込めない。
連作障害が有って何年かすれば咲かなくなるだろうが、しばらくは楽しませて貰えそうだ。

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Ninja650ミーティング

2024-08-08 08:08:08 | ER-6f
先月末の話だが、KCBMで出会ったER-6f乗りからNinja650全国ミーティングへお誘いが有り行ってみた。


出発は9:40と遅めで外気温35.6℃と熱中症危険領域、支度で汗をかき停車する度にファンはぶん回りもはや苦行だ。
おまけに近所の下道が大渋滞し、出発早々通勤モードを発動してネットに晒されるリスクまで負ったが、R134や西湘BPは意外なほど空いていて一息つけた。
国府津PAは立ち寄るバイクの台数が真冬並みに少なく、この気温でバイクに乗るのはよほどの物好きという雰囲気が漂っていた。


ミーティングは集まってバイパラでランチ食って談笑して解散というもの。
同時に開催されたハーレーのミーティングが軽く100台以上集まったのに対し、僅か10数台だがレア車だけ有ってよく集まったなと思った。皆さんきれいに乗っていて、箱やナビは付けてもカスタムとは無縁な人がほとんどなのは時代の流れなのか、車種固有の事情なのか・・・。



解散後にA型3台を並べて記念写真を撮っていたら、遅れてC型が2台も現れE型含めER勢が7台も並ぶという光景に発展した。



貴重なひとときにはなったが、見かけることすら無い以上同車種が揃って一緒に走る機会も絶対無いので、僅かな時間でも集団走行のスケジュールを組んだらもっと良いのでは?と思った。まぁ、今時のミーティングはこういうモノなのだろう。
帰路は椿ラインを下ったが真鶴道路の渋滞に突入し路側の雑草にすり抜けが阻まれ大失敗。この季節は標高の高い快走路かつすり抜け可能なルートに限る。
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わらじカツ丼

2024-06-11 08:08:08 | ER-6f
ツーリングのチャンスが巡ってきたので出かけてきた。
どこへ行くのか迷ったが、R299十石峠が久しぶりに開通していたのでそれを目指すことにし、昨夏のブドウ峠再訪とは逆の秩父側から回ることにした。秩父と言えばわらじカツ丼だが、長野側からだと昼飯時を過ぎて食べることが出来なかったのだ。



普段通りに起きて8時過ぎに出発、遅めの出発は高速でカバーすべく勝沼まで利用し、雁坂トンネル越えで秩父を目指した。
新たな試みとしてYahooカーナビに案内させるというのがあって、談合坂SAで目的地をセットしようとしたが非常にやりにくい。iPhoneなので操作に慣れない上にテザリングのせいか反応も鈍い。
とはいってもセットしてしまえばコチラの物で迷いがちな甲府盆地をすんなり抜けることが出来たのはさすがだった。ただ、休憩の度にiPhoneと格闘して写真など撮る暇無し。
結論として目的地設定が楽なGoogle Mapに案内させ、ナビ不要時はYahoo カーナビの運転中表示と使い分けるのが良いとの結論に達した。



Google Mapに案内して貰って、小鹿野町にある安田屋小鹿野本店に到着。
店構えは昭和レトロな目立たないものだが、バイク乗りの口コミから広まって今では秩父名物になったと言うだけあって並んで待っているのはバイク乗りが目立つ。
30分以上待たされて出てきたのが、標準?のわらじかつ2枚乗せ900円也。



薄いとはいえとんかつ専門店のような厚みが無いだけで、並のカツ丼程度の肉厚はあって食べ応えは十分だ。甘いタレがご飯までたっぷり掛かっていてこれが美味でソースカツ丼より好みである。とりあえず乗っけときました的な蓋にも意味があって、取り皿代わりにちょうど良い。
もう10歳若かったら3枚乗せにしたのにと思ってしまった。


満ち足りた思いでR299を西に向かい、次の目的地である十石峠へ向かった。ブドウ峠が定番過ぎて十石峠の記憶はほぼ無いが、こちらも酷道ぶりは引けをとってない。



そろそろ登り切ったと思う頃に大規模な皆伐で急に開けたりと面白かった。



立派な展望台が建っている辺りは予算がある国道たるゆえんなのだろう。長野側はあっさりしたもので、この峠は秩父側から抜けるのが走りやすい。



一旦、小海線に交差するまで西に向かい、その後は小海線に沿った県道で小海町から南相木村へ向かった。この辺りは走り慣れた快走路でナビなど不要でいつもの南相木村のスタンド前で休憩した。ここへ来るとツーリングは終わりのような気がするが、まだまだ結構な距離が残っている。



馬越峠は大きく変わっていて、まず立原高原キャンプ場なる施設が立派に整備されていてキャンパーたちが結構来ていた。ちなみに馬越峠が今回のツーリングでの最高標高地点で1606mほどある。



変わるもんだと思って峠を超えると川上側は木が伐採され、まるで高原のような風景が広がった。



やがてレタス畑になる様で、もう山の中の峠道を下ると言うより農道を下っていく感覚に様変わりしている。働いている人は日本人では無い人も多く、人手不足は深刻なようだ。
信州峠までは至る所レタス畑だらけで、川上村はレタスバブルが到来しているのだろう。



みずがき湖からは、茅ヶ崎広域農道を使って甲府昭和ICを目指した。山梨は広域農道が気持ち良いので、今後はこちらを使うだろう。
帰着は19:30頃、走行距離522km 燃費24.6km/lと高速を多く使った割に今回も好燃費だった。
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墓参り

2024-05-21 08:08:08 | 雑感
伯母の一周忌法要に合わせ父実家の墓参りに行ってきた。
父の手続きを済ませたので報告のために立ち寄ることにしたのだ。

父実家の菩提寺に今川義元の首塚があるのは最近知ったばかりだ。
20年か30年振りではあるが場所は覚えているもので迷うことなくたどり着いたが、肝心のお墓は見つけるのに手間取った。

祖父母や伯父が眠る新しい墓はわかったが、その周囲に幾つかあるそれ以前の古い墓はすっかり古びて墓碑銘も消えているのでどれが先祖の墓かは分からなかった。
さらに須ヶ口駅の改札近辺は寂しいもので、お供えの花も買えずなんとも中途半端になったので、いずれ再訪しなくてはならない。

もう一つ寄りたかったのは清洲城公園で、帰省した際にいつも連れて行かれ、夏は虫取り、冬は凧揚げか何かをやっていた思い出がある。
当時の雰囲気は色濃く残っていて懐かしかったが、こんなに小さくて近かったのか?と思う公園だった。

清洲城は帰省していた頃には無く、初めて訪れたが清洲公園から五条川と新幹線などJRを挟んだ対岸に建てられていた。

新幹線からよく見え、父実家近所なのでいつでも行けると感じていたが、再建後からもう30年以上経つ。

濃尾平野の真ん中らしく4階の展望階から周囲が一望できた。

信長時代にこんな立派な天守はなく後の織田信雄によって近代城郭として整備され、家康が名古屋城へ移転させたので廃城となったもの。

城下町も移転し清洲は美濃街道の宿場町として残ってきた。清洲町あるいは清須市として名古屋市に吸収されないのは、そのような流れから名古屋に合流することを良しとしないからと聞いたことがある。

名古屋市中心部の高層ビル群に混じって名古屋城がはっきり見え、清洲越しと呼ばれる名古屋移転の距離感はよく分かる。
父は清洲から名古屋城がよく見えたと話していたが、どこから見ていたのだろうか。


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ちょっとラッキー

2024-05-09 17:42:59 | 雑感
見ると幸せになれるという。







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Forerunner965のツーリングログ

2024-05-08 08:08:08 | 単車雑感
Googleタイムラインでツーリングログは取れるが、位置の記録が荒く移動距離も不正確で後からルートを見るにはカクカクしてイマイチだ。


位置記録を細かくすればバッテリーを消費するだけで、立ち寄り場所の記録だけと諦めていた。



FR965を選んだ理由の一つにアクティビティにオートバイという項目が有ること。
ツーリングログとして期待出来そうで早速使ってみた。
バッテリー消費が気になったので魚沼までの移動で計測を一旦止めてログをチェックし、データを確認したので、それ以降のログを乗せておく。



全体のマップで不自然な軌跡はなく拡大してもマップマッチングはほぼ完璧。



計測データも距離は697kmとオドメーター717kmとの誤差は2%でFR965のデータが正しいのだろう。むしろER-6fのオドメーターが意外に正確と思った方が良い。



標高でマップ位置が分かるが、体感や風景的に一番高いと思った六十里峠より福島県境の峠の方が高いのは意外だった。



バッテリーは13時間計測して約50%になったので日帰りには十分すぎる持つ。
ツーリングログとしても十分なので、これからはFR965がメインでGoogleタイムラインで補足することにする。
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奥只見の春はまだだった

2024-05-06 08:08:08 | ER-6f
GW中日の平日最後の日に奥只見ダムを目指してみた。
以前から行ってみたかったが日帰りには遠すぎて諦めていたが、ER-6fに乗り換えて長距離をこなすうちに日帰り圏内である事に気づいたのだ。
5時に起きたときは前日からの雨が降り止んでおらず、40分ほど出発を遅らせ濡れた路面にカッパをはいて出撃した。



圏央厚木PAで休憩するころには路面が乾き青空も出始めたが、北からの高気圧のせいか風は冷たく関越トンネル手前からグリヒも使うほどだった。
前日の夜に気温予想を見てウインタージャケットを着込んで大正解だった。



魚沼の道の駅ゆのたに到着は11時頃、圏央、関越とも渋滞無く空いていたが、40分遅れを取り戻すには至らず遅れ進行のままだ。



ここからは酷道として名高いR352杖折峠越え、樹海ラインへ続く。Yahooカーナビをセットして走り出したら通行止めマークがやたら目につくが、交通量は皆無と言ってよいほど快適で、快調に進むこと10分ほど・・・



無残にも奥只見への唯一のルートは閉ざされていた。
慌ててググるとまだ冬季通行止めのままで開通日は未定らしい。Google Mapでは通れるように見えたが?と改めて確認したら交通状況のマークが外れていただけだった。
福島側へはR252で北側を迂回するルートはあるが、そこもGoogle先生は通行止めのままだ。

とりあえず引き返して計画を練り直そうと7-11に入ったところ、追い越したばかりのチャリダーがやってきた。
目が合ってそれとなく会話が始まったらなんと同じ境遇で、朝出発の彼は通行止めを超えて杖折峠までは登ったがその先は除雪されてなく引き返してきたばかりだそうで、その先で宿を取ってたがキャセルしたばかりだという。
R252の迂回ルートは4/26開通が確認出来たのでそちらへ向かうことを告げたが、この時間ではチャリで只見町までは厳しいだろうし、復路の予定ルートだったとのことで完全に計画を練り直すようだった。



代替えのR252は交通量もそこそこ有って二輪とも頻繁にすれ違うが、それでも線形がよく快走ルートから始まる。
六十里峠の手前からは急勾配とヘアピンで一気に標高を上げていき溶け残った雪が目立つようになるが、路面がひどく荒れていてサスがプアなERではどっちに飛んでいくかわからんのでおちおち景色も見れないという道だった。



登り切ったら田子倉ダム湖畔に出るが、周辺の山々はすべて雪が見え隠れして絶景が続く。
ただ、雪解けで羽虫が大量に沸いて落ち着いていられないので写真を撮ってはすぐに走り出すことの繰り返しだった。



只見町ではツーリングお約束の天ざるそばを注文。ゼンマイの天ぷらは長い間食べてなかったので一際うまかった。
ただエビは無くても良いから山菜を増やしてほしいなと思う次第だ。



改めてルート検討をやり直し、R252,R400,R121,R400で西那須野塩原ICへ抜けることにしたが、走り始めて急に気が変わりUターンしてR289,R121,R400に変更した。
整備され線形がよくて淡々と走るだけだが、交通量は少ないし追いつけば譲ってくれるし抜きやすいし、景色を堪能出来るツーリングで至福の3時間になった。
塩原温泉からはクルマが増え始め観光地でもある事を感じるようになったが、これなら早く奥只見湖へ再チャレンジしたいというツーリングになった。ちなみにこの下道区間の燃費は30.8km/lとER-6f史上最高の燃費である。



帰路は西那須野塩原ICから圏央海老名ICまで高速を使い帰着は22:00前と出発の遅れを取り戻せずじまいだった。後半は休憩が多く体力の衰えを痛感したが、それでも717kmなのでそんなものだろう。

走行距離717km、燃費24.8km/l
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