牡蠣と紐育

2011-12-19 15:20:15 | 日記
マーク・カーランスキー著  扶桑社刊

昭和30年代の初頭まで、山手線の内側、品川を過ぎて田町・浜松町あたりは東京湾が入り込んでいた。入り江の砂浜には海苔が干してあり、魚網も干してあった。浜松町を過ぎても掘割には、釣り船や屋形船がもやいでいた。屋形船では東京湾の魚介類の刺身や天麩羅が楽しめ、白魚の季節には天麩羅や踊り喰いができた。私が初めて白魚の踊り食いをしたのも、この屋形船であった。
それが東京オリンピックを境に東京湾は汚染し、江戸前の魚介類はおろか、漁場まで存続を危うくした。今はやや回復したと言うものの、往時には及ばないでいる。
前書きが長すぎた。本書はこれのニューヨーク版である。ニューヨークの歴史は1609年にオランダに雇われた英国人・ヘンリー・ハドソン(ハドソン川にその名を残している)がニューヨーク湾に到着した時から始まる。
そこには世界でも一番(当時)と言われた大ぶりの美味しい牡蠣が、なんの苦労もせず手掴みで採り、それを当たり前に食べている現地人がいた。それからは入植したヨーロッパ人に知られるところとなり、かれらが訪れる牡蠣の名所となった。しかし、20世紀に入って工業化と人口密集の結果、ニューヨーク湾は牡蠣どころか魚も住めない海となってしまった。
同じである。東京もニューヨークも計画性のない都市である。問題が起きてから重い腰を上げる。しかし、そもそもの基盤が崩壊しているので、その対処法は常にその場凌ぎでしかない。両都市ともかつての豊穣な海には戻れない。残念だが。
今、日本は世界中から魚介類を調達している。その調達先で東京湾と同じ「愚」を犯しているのではないか? その国の豊かな自然を破壊しているのではないか? それが心配。「過ぎたるは及ばざる如し」飽食・グルメであることが、そのお先棒を担いでいることを忘れてはいけないい。