あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

エディプス・コンプレックスについて(自我その236)

2019-10-23 16:19:27 | 思想
エディプス・コンプレックスとは、フロイトの思想である。男児が無意識のうちに母親に恋愛感情を持ち、自分と同性である父親に敵意を抱く感情である。しかし、父親と社会に容認されないため、意識にとどめてはならず、無意識内に抑圧することになる。そして、やがて、男児は父親の欲望を模倣することになり、男児の欲望は規範化される。また、欲望の対象である母親に代えて、母親と同価値を持つ性的対象である女性を見出すことになる。そして、恋愛をし、父親になるとともに、社会的システムの中に導入されることになるのである。つまり、エディプスコンプレックスとは、わかりやすく言うと、次のようになる。男児は、母親に異性感情を抱くが、父親と社会的がそれを許さないために、自分の気持ちを抑圧する。そして、自分は男性であるから、母親のような女性と恋愛をし、めとることができ、父親のような存在になることができるという意識を持つことによって、それを納得する。そして、実際に、母親とは別な女性に愛情を抱くようになる。このようにして、男児の欲望は変化して、社会的なシステムに組み込まれていくのである。さらに、男児の欲望が変化しないと、一種のしこりの感情、屈折した感情を残し、神経症に罹患する可能性があるのである。なぜならば、男児の欲望は父親と社会に容認されることは無いから、その欲望を持ち続けた男性は、自分の気持ちと社会的システムの板挟みになり、その苦悩のあまり、神経症に罹患する可能性があるからである。さて、エディプス・コンプレックスは、多くの人に知れ渡っているが、一般に、男児の母親に対する報われない恋愛感情として理解され、成長とともに消滅されるものとされている。そこにおける、精神の葛藤、自己正当化、そして、その後の生き方に及ぼす影響が深く考慮されることはあまりないのである。幼児期の一心理状態のように扱われている。しかし、ここには、人間の心理のあり方を解く大きな鍵が隠されている。男児が母親を恋い慕うだけでは、ほほえましく思われるだけで、父親からも、社会的からも、禁止されることはない。男児が母親に恋愛感情を持ったから、父親からも、社会からも、それが禁止されたのである。しかし、禁止されたといっても、それは、直接に、父親や周囲の人に注意されたり叱られたりしたということではない。男児が、自ら、母親に対する恋愛感情は父親にも周囲の人々にも認められないことだと気づいたから、抑圧したのである。自分の気持ちは、ただ単なる恋慕では無く、恋愛感情だから、抑圧しなければいけないと思ったのである。なぜ、抑圧しなければいけないか。それは、父親にも周囲の人々にも認められないことだと気づいたからである。それ以外の理由はない。自分が母親の子供だから、父親も周囲の人からも、母親に対する恋愛感情に反対され、罰せられると気づいたのである。それは、男児の、自らの母親に対する恋愛感情の発見と同時に、家族という構造体の中での自我(男児というポジション)の発見なのである。さて、人間は、いつ、いかなる時でも、常に、ある構造体の中で、ある自我を持って暮らしている。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、ある構造体の中で、あるポジションを得て、それを自分だとして、行動するあり方である。人間は、自我を持って、初めて、人間となるのである。自我を持つとは、ある構造体の中で、あるポジションを得て、他者からそれが認められ、自らがそれに満足している状態である。それは、アイデンティティーが確立された状態である。しかし、人間は、意識して、自我を持つのでは無い。深層心理という無意識が自我を持つのである。だから、意識して自我を持とうとしても、その構造体になじめず、自我を持てないことは、誰しも起こりうることである。人間が最初に所属する構造体は、家族であり、最初の自我は、男児もしくは女児である。人間は、自我を持つと同時に、深層心理が、欲望を生み出す。それ以後、人間は、人間社会において、深層心理が生み出した欲望主体に生きる。それ故に、人間の欲望は、深層心理が生み出した自我の欲望なのである。男児のエディプスの欲望も、自我の欲望である。自我の欲望には、他者に認められたい、他者を支配したい、他者と理解し合いたい・愛し合いたい・協力し合いたいという三種類のものがある。深層心理は自我を対他化することによって、他者に認められたいという欲望を生み出す。深層心理は他者を対自化することによって、他者を支配したいという欲望を生み出す。深層心理は自我を他者と共感化させることによって、他者と理解し合いたい・愛し合いたい・協力し合いたいという欲望を生み出す。男児の深層心理は自我を対他化することによって、母親に男性として認められたいという欲望を生み出す。男児の深層心理は母親を対自化することによって、母親を女性として支配したいという欲望を生み出す。男児の深層心理は自我を母親と共感化させることによって、愛し合いたいという欲望を生み出すのである。さらに、深層心理は、自我が存続・発展するために、そして、構造体が存続・発展するために、自我の欲望を生み出す。それは、一つの自我が消滅すれば、新しい自我を獲得しなければならず、一つの構造体が消滅すれば、新しい構造体に所属しなければならないが、新しい自我の獲得にも新しい構造体の所属にも、何の保証も無く、不安だからである。自我あっての人間であり、自我なくして人間は存在できないのである。だから、人間にとって、構造体のために、自我が存在するのではない。自我のために、構造体が存在するのである。だから、男児が母親に対する恋愛感情を抑圧したのは、父親や周囲の人々から、家族という構造体から追放されることを恐れてのことなのである。このように、深層心理は、構造体において、自我を主体にして、対自化・対他化・共感化のいずれかの機能を働かせて、思考し、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出している。そして、自我が存続・発展するように、構造体が存続・発展するように、思考し、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我を行動させようとするのである。人間は、まず、無意識のうちに、深層心理が動くのである。深層心理が動いて、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出すのである。稀れには、人間は、表層心理で意識せずに、深層心理が生み出した感情のなかで、深層心理が生み出した行動の指令のままに、行動することがある。それが、無意識による行動である。しかし、たいていの場合、表層心理は、深層心理が生み出した自我の欲望を受けて、深層心理が生み出した感情の中で、深層心理の生み出した行動の指令を意識し、行動の指令の採否を考えるのである。それが理性と言われるものである。理性と言われる表層心理は、深層心理が生み出した感情の中で、深層心理が生み出した行動の指令を意識し、行動の指令のままに行動するか、行動の指令を抑圧して行動しないかを決定するのである。行動の指針を抑圧して行動しないことを決定するのは、そのように行動したら、後に、自分に不利益なことが生ずる虞があるからである。しかし、表層心理が、深層心理が出した行動の指令を抑圧して、行動しないことに決定しても、深層心理が生み出した感情が強過ぎる場合、抑圧が功を奏さず、行動してしまうことがある。それが、感情的な行動であり、後に、周囲から批判されることになり、時には、犯罪者になることがあるのである。そして、表層心理は、抑圧して、深層心理が出した行動の指令のままに行動しない場合、代替の行動を考え出そうとするのである。なぜならば、心の中には、まだ、深層心理が生み出した感情がまだ残っているからである。その感情が消えない限り、心に安らぎは訪れないのである。その感情が弱ければ、時間とともに、その感情は消滅していく。しかし、それが強ければ、表層心理で考え出した代替の行動で行動しない限り、その感情は、なかなか、消えないのである。男児の表層心理も、深層心理が生み出した母親に対する恋愛感情の中で、深層心理が生み出した男性として母に接せよという行動の指令を意識し、行動の指令のままに行動するか、行動の指令を抑圧して行動しないかを決定するのである。行層心理が生み出した男性として母に接せよという行動の指令を抑圧して行動しないことを決定するのは、そのように行動したら、後に、自分が、父親や周囲の人々から、家族という構造体から追放される虞があるからである。そして、男児の表層心理は、抑圧して、深層心理が出した行動の指令のままに行動せずに、欲望の対象である母親に代えて、やがて母親と同価値を持つ性的対象である女性を見出すという、代替の行動を考え出す。そうして、自分の心を納得させる。その後、男児は父親の欲望を模倣することになり、彼の欲望は規範化され、自らが、恋愛をし、父親になると同時に、社会的システムの中に導入されることになるのである。このように、人間は、構造体に所属し、自我を持つことによって、人間になるのである。しかし、それと同時に、深層心理は、自我を対他化・対自化・共感化することによって、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我を動かそうとするのである。しかし、それは、フロイトの言う「快感原則」という快楽を得ることを目的としたものである。だから、自我の欲望には、社会的規範や道徳観が存在しないのである。そこで、表層心理が、社会的規範や道徳観に基づいて、深層心理が出した行動の指令を考慮し、後に、自我が不利益を受けないと考えれば行動の指令を認めそのまま行動し、自我に不利益が被ると考えれば行動の指令を抑圧し、代替の行動を考えるのである。しかし、代替の行動は代替であり、深層心理は、必ずしも、心から喜べないのである。しかし、深層心理が出した行動の指令を、全て、そのままに実行すれば、自我が罰せられ、構造体から追放され、人間として生きられない状態が生じるのである。つまり、人間になるとは、深層心理が生み出した自我の欲望から引くも地獄、引かぬも地獄という状況に置かれるということなのである。