あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

国の最高権力者の自我の欲望について(自我その233)

2019-10-20 18:54:14 | 思想
人間は、欲望の存在者である。しかし、欲望は、人間に生来備わっているものではない。人間が自我を持った時に、深層心理に生まれてくるのである。深層心理とは、人間の無意識の心の働きである。表層心理が、人間の意識しての心の働きである。さて、人間に生来備わっているものは、欲望では無く、欲求である。欲求には、生命欲、睡眠欲、食欲、性欲などがあり、動物共通のものである。しかし、人間は、自我を持つと同時に、それに欲望が加わる。しかも、それ以後、人間は、人間社会において、欲望主体に生きるのである。それ故に、人間の欲望は、自我の欲望なのである。さて、自我とは、人間の、構造体の中で、あるポジションを得て、その務めを果たすように生きている、自分のあり方である。構造体とは、人間の組織・集合体である。人間の最初の構造体は、家族であり、最初の自我は、息子もしくは娘である。さて、自我の欲望には、他者に認められたい、他者を支配したい、他者と理解し合いたい・愛し合いたい・協力し合いたいという三種類のものがある。自我の欲望は、深層心理によって生み出される。深層心理は自我を対他化することによって、他者に認められたいという欲望を生み出す。深層心理は他者を対自化することによって、他者を支配したいという欲望を生み出す。深層心理は自我を他者と共感化させることによって、他者と理解し合いたい・愛し合いたい・協力し合いたいという欲望を生み出す。さて、人間は、いつ、いかなる時でも、常に、ある構造体の中で、ある自我を持って暮らしている。人間が社会的な動物であるということは、人間は、いつ、いかなる時でも、常に、組織・集合体という構造体の中で、ポジションを得て、それを自我として、その務めを果たすように生きているという意味である。さて、構造体、自我にも、さまざまなものがあるが、具体例を挙げると、次のようになる。家族という構造体には父・母・息子・娘などの自我がある。学校という構造体には、校長・教諭・生徒などの自我があり、会社という構造体には、社長・課長・社員などの自我があり、店という構造体には、店長・店員・客などの自我があり、仲間という構造体には、友人という自我があり、カップルという構造体には、恋人という自我がある。政治的なものとしては、日本という構造体には、総理大臣・国会議員・官僚・国民(日本人という庶民)という自我があり、都道府県という構造体には、都知事・道知事・府知事・県知事、都会議員・道会議員・府会議員・県会議員、都民・道民・府民・県民という自我があり、市という構造体には、市長・市会議員・市民という自我があり、町という構造体には、町長・町会議員・町民という自我がある。さて、自我を動かすのは、深層心理である。深層心理が、自我を主体に、言語を使って、論理的に思考して、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、その人を動かそうとするのである。深層心理は、快楽を得ることを目的にして、自我の欲望を生み出している。これが、フロイトの言う「快感原則」である。深層心理は、自我を主体にして、快楽を得るために、対他化・対自化・共感化の機能を使い、思考し、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出すのである。さて、対他化を細説すると、次のようになる。対他化とは、他者から好評価・高評価を受けたいと思いつつ、自我に対する他者の思いを探ることである。認められたい、愛されたい、信頼されたいという思いで、自我に対する他者の思いを探ることである。自我が、他者から、評価されること、好かれること、愛されること、認められること、信頼されることのいずれかが得られれば、喜び・満足感が得られるのである。次に、対自化を細説すると、次のようになる。対自化とは、自我が他者を支配すること、他者のリーダーとなることである。つまり、対自化とは、自分の目標を達成するために、他者の狙いや目標や目的などの思いを探りながら、他者に接することである。簡潔に言えば、力を発揮したい、支配したいという思いで、他者に接することである。自我が、他者を支配すること、他者を思うように動かすこと、他者たちのリーダーとなることのいずれかがかなえられれば、喜び・満足感が得られるのである。わがままな行動とは、深層心理の他者を対自化することによって起こる行動である。次に、共感化を細説すると、次のようになる。共感化とは、他者と理解し合いたい、愛し合いたい、協力し合いたいと思いで、他者に接することである。つまり、自我の共感化とは、自分の存在を高め、自分の存在を確かなものにするために、他者と心を交流したり、愛し合ったりすることである。それがかなえられれば、喜び・満足感が得られるのである。また、敵や周囲の者と対峙するための「呉越同舟」(共通の敵がいたならば、仲が悪い者同士も仲良くすること)という現象も、共感化の機能である。さらに、深層心理は、自我が存続・発展するために、そして、構造体が存続・発展するために、自我の欲望を生み出す。それは、一つの自我が消滅すれば、新しい自我を獲得しなければならず、一つの構造体が消滅すれば、新しい構造体に所属しなければならないが、新しい自我の獲得にも新しい構造体の所属にも、何の保証も無く、不安だからである。自我あっての人間であり、自我なくして人間は存在できないのである。だから、人間にとって、構造体のために、自我が存在するのではない。自我のために、構造体が存在するのである。このように、深層心理は、構造体において、自我を主体にして、対自化・対他化・共感化のいずれかの機能を働かせて、思考し、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出している。そして、自我が存続・発展するように、構造体が存続・発展するように、思考し、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我を行動させようとするのである。このように、人間は、まず、自ら意識せずに、深層心理が、まず、思考し、感情と行動の指令という自我の欲望を、心の中に、生み出すのである。そして、次に、表層心理が、深層心理の結果を受けて、それを意識し、深層心理が生み出した感情の中で、深層心理が出した行動の指令を許諾するか拒否するかを思考するのである。表層心理が許諾すれば、人間は、深層心理が出した行動の指令のままに行動する。これが意志による行動となる。表層心理が拒否すれば、人間は、深層心理が出した行動の指令を意志で抑圧し、表層心理が、意識して、別の行動を思考することになる。表層心理の意識した思考が理性である。一般に、深層心理は、瞬間的に思考し、表層心理の思考は、長時間を要する。感情は、深層心理が生み出すから、瞬間的に湧き上がるのである。そして、表層心理が、深層心理の行動の指令を抑圧するのは、たいていの場合、他者から侮辱などの行為で悪評価・低評価を受け、深層心理が、傷心・怒りなどの感情を生み出し、相手を殴れなどの過激な行動を指令した時である。表層心理は、後で、他者から批判され、自分が不利になることを考慮し、行動の指令を抑圧するのである。これが、フロイトの言う「現実原則」である。しかし、その後、表層心理で、傷心・怒りの感情の中で、傷心・怒りの感情から解放されるための方法を考えなければならないから、苦悩の中での長時間の思考になることが多い。これが高じて、鬱病などの精神疾患に陥ることがある。しかし、表層心理が、深層心理の行動の指令を抑圧しようとしても、深層心理が生み出した感情が強ければ、人間は、深層心理の行動の指令のままに行動することになる。この場合、傷心・怒りなどの感情が強いからであり、傷害事件などの犯罪に繋がることが多い。これが、所謂、感情的な行動である。また、人間は、深層心理が出した行動の指令のままに、表層心理で意識せずに、行動することがある。一般に、無意識の行動と言い、習慣的な行動が多い。それは、表層心理が意識・意志の下で思考するまでもない、当然の行動だからである。このように、人間は、深層心理の思考から始まるのである。表層心理(理性)の思考は、深層心理の思考の結果を受けてのものなのである。このように、人間は、深層心理が、「快感原則」に則り、自我を主体にして、快楽を得るために、対他化・対自化・共感化の機能を使い、思考し、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出している。もしも、他者からの批判が無ければ、人間は、表層心理が、深層心理が生み出した行動の指令のままに行動することになる。戦前、日本という構造体の中で、軍部が自我の欲望のままに行動し、日本を太平洋戦争に導いたのは、他者である天皇・国会議員・マスコミ・国民(日本人という庶民)からの強い批判が無かったからである。戦後、せっかく、日本に民主主義がもたらされたのに、それを、否定し、戦前の上意下達の国家主義、全体主義国家に戻そうと考えている政党が権力を握り、首相に立ち続けている。言うまでもなく、その政党とは自民党である。現在、安倍晋三総理大臣が、あからさまな国家主義、全体主義の道をひたすら突き進んでいるのは、マスコミ・日本人という庶民からの強い批判が無いからである。野党が弱いことが原因だと言う人が多いが、実は、民主党政権を瓦解したのは、産経新聞・読売新聞・週刊新潮・週刊文春・週刊ポスト・週刊現代などのマスコミや東京地検特捜部・官僚などの国家公務員が、国民(日本人という庶民)を籠絡し、民主党政権が国民(日本人という庶民)の支持を失ったからである。だから、民主党で無くても、自民党以外の政党が政権を握ると、必ずや、その政権を倒すために、産経新聞・読売新聞・週刊新潮・週刊文春・週刊ポスト・週刊現代などのマスコミや東京地検特捜部・官僚などの国家公務員が、国民(日本人という庶民)を籠絡しようとして、手練手管を使い、暗躍するだろう。残念ながら、現在、この勢力に抵抗できるだけの能力と覚悟を持った野党の政党も、野党の国会議員も存在しない。だから、国民(日本人という庶民)自身が、この勢力に抵抗できるだけの能力と覚悟を持たなければいけない。そして、それは、不可欠なことなのである。なぜならば、日本という構造体は、国民(日本人という庶民)という自我を持った人のために存在するからである。しかし、戦後の自民党の国家主義、全体主義政策を、一貫して、国民(日本人という庶民)が支持してきたのである。そして、安倍晋三政権になって、自民党の国家主義、全体主義の野望がむき出しになったのである。その際立ったものが、秘密保護法案、安保法案、憲法改正案、原発再稼働である。自民党の憲法改正案において、戦前の大日本帝国憲法において、天皇主権、国民を臣民として規定したのと同様に、天皇を元首としてあがめ、国民の権利を国家権力の下位に規定している。異なっているのは、大日本帝国憲法においては、軍隊は天皇の指揮下にあったが、自民党の憲法改正案においては、自衛隊を国防軍とし、政権の指揮下に置いていることである。その自民党や安倍政権の考えを熱狂的に支持している国民(日本人という庶民)も少なからず存在する。右翼的な思想の持ち主たちである。しかし、この右翼的な思想の持ち主たちは、自民党の憲法改正案が成立したならば、徴兵制が導入され、日本が容易に戦争に加わり、戦争になれば、自分たちのほとんどが生き残れないことに気づいていない。自民党とそれを支える官僚たちと同じ考えをしている者しか生き残れないことに気づいていない。突撃隊は、ナチスの防衛組織であり、隊員は武器を持ち、ナチスの集会を防衛し、他派の集会への襲撃などを行って、ナチスの権力掌握に大いに献身したが、ヒトラーは国防軍との関係を重視し、1934年、レームら幹部を粛清し、消滅させた。どれだけナチスに貢献したとしても、役に立たなくなれば、消滅させられるのである。北一輝、西田税ともに、国家主義者・全体主義者であったが、皇道派の青年将校に思想的影響を与えたとされ、実際には、2・26事件に直接的に関与していなかったが、事件の首謀者とみなされ、1937年、軍法会議で死刑の判決を受け、銃殺された。当時の日本は、完全な国家主義・全体主義の国であったが、北一輝や西田税は、その時の政権の考えと合わなかったので、冤罪によって処刑されたのである。右翼的な考えの集団であっても、右翼的な考えの個人であっても、その時の政権の国家主義者・全体主義者と意見が一致しなければ、弾圧を受けるのである。ましてや、自由主義者、共産主義者は言うまでもない。ナチスも戦前の日本も、警察や憲兵を使って、自由主義者や共産主義者を逮捕し、拷問し、殺した。日本においては、現在確認されているだけでも、拷問によって殺された人は、80人以上いると言われる。逮捕された女性の中には、拷問されたあげく、レイプされたり、子供を生めない体にさせられたりした者がいる。戦後、せっかく、民主国家になったのに、国民(日本人という庶民)は、どうして、戦前の国家主義・全体主義の国に戻そうとするのだろうか。どうして、国民(日本人という庶民)は、秘密保護法、安保法、憲法改正、原発再稼働を許したのだろうか。どうして、国民(日本人という庶民)は、安倍自民党政権を許しているのだろうか。さて、人間は、欲望の存在者である。深層心理は、「快感原則」に則り、自我を対他化して、他者に認められたいという欲望を生み出し、他者を対自化して、他者を支配したいという欲望を生み出し、自我を他者と共感化させて、他者と理解し合いたい・愛し合いたい・協力し合いたいという欲望を生み出す。他者の批判が無い限り、人間は、深層心理が生み出した自我の欲望を満たすために行動しようとする。総理大臣は、日本という構造体の最高権力者である。それ故に、国民(日本人という庶民)の批判が無い限り、常に、国民(日本人という庶民)を思い通りに動かしたいという自我の欲望を持っているのである。日本という構造体の最高権力者である総理大臣が、国家主義者・全体主義者である場合、国民(日本人という庶民)を対自化して、戦争で、国民(日本人という庶民)を指揮したいという自我の欲望を持つのは当然のことである。